あなたもきたのね


「見たことないなぁ、こんな人形」


 びっくりした朝からだいぶ時間も経ったお昼過ぎ。わたしは今、山森先生の研究室でランちゃんとお話している。

 天井に届いている本棚に囲まれた中に、四、五人が掛けられそうな机とパイプ椅子。山森先生の研究用デスクがあるこの部屋。


 いつもここで先生を囲みながらゼミをするんだけど、ゼミがない日はこうやってゼミ生のお喋りの場になっていた。今は誰もおらず、ランちゃんと二人っきりだ。


 わたしの傍らでスマホを弄っていたランちゃんだけど、少ししてから首を振った。人形に詳しい彼女ならあーちゃんについて知っているかと思ったんだけど、どうやら知らないみたいだった。


「でもそのお人形、急にコヤケの家に現れたんでしょ? なんか怖くない?」

「う、うん。ちょっと、怖かったけど。可愛かったし」

「コヤケってビビリの癖に、変なところは肝座ってるよね」


 そうかな。わたし、ホラー映画とかでも目を瞑っちゃうくらい怖がりなんだけど。でも不思議と、あーちゃんは怖くなかったんだよね。

 馬鹿にされちゃうかもしれないから言ってないんだけど、何故かあーちゃんには、懐かしいなって感じもあって。


「んで。その人形が来てから、コヤケの家でポルターガイストが起きた、と」

「ゆ、夢だったかも、しれないけど」


 確かにランちゃんの言う通り、あーちゃんが来てからあんなことが起こったのは事実だ。ただ、その。時間を置けば置くほど、あれは自分が見ていた夢だったんじゃないかと思えている。

 部屋の小物にもおかしな点は無かったし、あれ以降は物が宙を舞うこともなかった。夢だった、で片付けてしまうのが一番手っ取り早い気もする。


 そうなると、わたしは夢見が悪かっただけで自宅から飛び出して、ユウヤくんに電話までして呼び出したことになってしまうん、だけど。


「夢だったかもしれないけど、本当だったかもしれない、と。今日はどうするの、コヤケ?」

「ど、どうする、って?」

「夢か現実かは知らないけどさ。怖い思いをしたのは事実なんでしょ? そんな部屋で、一人で寝られる訳?」


 スマホをしまったランちゃんが、わたしの方を見ている。

 確かに、そうだなあ。夢か事実かは解らないけど、怖かったのは本当だし。また、あんなことになったら。


「ら、ランちゃん。久しぶりにお泊まり会、しない?」

「ほいきた」


 わたしの提案に、ランちゃんはあっさりとオッケーをくれる。若干誘導された感は否めないけど、今日一人で寝るのは確かに怖いし。

 あとはユウヤくんにお願いすることも考えたけど。よ、夜になって、その。そういうことになっちゃうのは、ま、まだ早いかなー、と思うし。


 だって彼とは、キスもしてないし。


「……あたしは空気読んであげようか? ユウヤ君なら多分」

「う、ううんっ! ら、ランちゃんが良いっ!」


 何かを察したらしいランちゃんがそんな提案をしてきたけど、わたしは首を振った。今朝も無理言って来てもらったんだし、これ以上彼に迷惑をかける訳にはいかないし。それだけ、だよ。


「あらあら。コヤケったらあたしが良いなんて、嬉しいこと言ってくれるわね~。ユウヤ君より先に、あたしが食べちゃおっかな~?」

「じ、冗談、だよね?」


 まるで獲物を見つけた肉食獣みたいな視線を送ってくるランちゃん。ゴクリ、と唾を呑んだ音まで聞こえてきた。

 わ、わたしなんか食べても美味しくないよっ。


「冗談よ、半分冗談。そんな怖がらないでってば~」

「う、うん」


 思わず身構えたわたしに対して、息を吐きながらそう笑っているランちゃん。よ、良かったぁ、冗談、だったぁ。

 ん。は、半分?


「さってと。んじゃ、今日は久しぶりの女子会にしよっか。夜ご飯何にする~?」


 な、なんか流された気がするけど、突っ込まない方が良いのかな。なんとなくそう感じたわたしは、そのまま一度ランちゃんと別れる。

 着替え等を取りにいった彼女とスーパーで合流した。わたしはあんまりお酒飲めないんだけど、ランちゃんが酒豪だからお酒の缶がいっぱいだ。


 車なんて持っていないので、二人して自転車のカゴに買ったものを詰め込んで、わたしの家へと向かう。えっちらおっちらと荷物を持って、やっと部屋に辿り着いた。


「うーん、コヤケの部屋も久しぶりねー。あれ? この花まだ枯れてないの? 凄くない?」

「あっ、それは枯れないお花なの」


 こういう小物を集めるのが、わたしの趣味。雑貨屋さんとか、お花屋さんとかが好きなんだ。他にも写真立てとか置物とか、自分の気に入ったものの中にいるのが好き。

 今日はこれも、宙を飛んでたんだけど。


「それで。これが例のあーちゃんね」

「う、うん」


 荷物を置いたランちゃんは、部屋にあったあーちゃんを見つけて、抱き上げた。しげしげとそれを眺めつつ、顔や身体、手足なんかを順番に見回している。


「う~ん、やっぱり見たことないわね。あっ、タグが破れてる」

「名前がそこにあると思うんだけど、Aしか読めなくて」

「だからあーちゃんって呼んでるのね。う~ん。Aから始まる名前の人形なんてごまんとあるしなぁ」


 昨日、この人形が来てから、あんなことがあったんだ。ひょっとして、この子が何かしたのかな。

 またあんなことになったら、わたし。


「コ~ヤケっ」

「ひゃうっ!?」


 すこし俯き加減になったわたしのおでこに、ランちゃんがピンっと弾いた人差し指をぶつけてきた。


「そんな顔しないの。今日はあたしがいるんだから。さ、ご飯にしよっかッ! 今日はパエリアなんでしょ?」

「う、うんっ!」


 彼女のその言葉と笑顔に、わたしは勇気をもらった気がした。うん、今日はランちゃんがいてくれるもん。きっと、大丈夫だよね。

 わたしも笑い返して、そのまま二人で台所に立つ。お喋りに夢中になっちゃって、ちょっと焦がしちゃったりしたけど。彼女と一緒に作ったパエリアは美味しかった。


 ご飯の後は、お酒を空けた。チビチビとチューハイを飲んでいるわたしの隣で、グビグビとビールと焼酎を飲んでいるランちゃん。

 飲み終えた後にぷっはぁなんて言うから、おじさんみたいだねって言ったら、頭をグリグリされちゃった。もー、ランちゃんはちゃんとしてたら美人さんなのに。


 夜も更けてきた頃、二人して毛布だけ被って雑魚寝をする。お酒も回ってきて、ランちゃんの分のお布団を敷く余裕もなかったからだ。一緒に寝ようよ~、なんて呂律の回っていないランちゃんに誘われたけど。

 久しぶりにお酒を飲んだ所為で頭が痛かったわたしは、返事もしないまま毛布を被って、ぐう、と寝てしまう。駄目だ、世界が回ってる。


「……はっ!?」


 次に起きたのは、新しい朝だった。遮光カーテンの隙間から漏れる光、もう太陽が昇ってるみたいだ。

 わたしは慌てて周りを見渡してみた。


「何も、ない?」


 見回してみたわたしの部屋は、昨日のままだった。実家から持ってきた目覚まし時計も。昨日話題に出た枯れないお花も。ランちゃんが飲み散らかした空き缶も。何もかもが昨日のままであり、宙を舞っていることもない。

 人形のあーちゃんも昨日と全く同じで、わたしのベッドで枕を背にして、ちょこんと座っていた。何にも、なかった。


「良かったぁ」


 一通り確認して、何の異常もないと解った時。わたしは大きく息を吐いた。

 やっぱり、何でもなかったんだ。あれは多分、夢見が悪かっただけなんだろう。だって今、何にもないんだから。


 胸を撫で下ろしたわたしは、お手洗いに行きたくなった。昨日飲み過ぎたのが原因だろうか。結局ランちゃんに勧められるがままに焼酎まで飲んじゃったから、まだちょっと頭も痛い気がする。お手洗いから戻ってきたら、麦茶でも飲もうっと。

 そうしてわたしはランちゃんを起こさないように、そーっと居間を出た。出すものを出して、手を洗って。


 お手洗いから出てきたわたしは冷蔵庫を開け、中にあったペットボトルの麦茶を持って居間に戻ることにした。

 ランちゃんが起きてきたら、彼女のぶんの麦茶も淹れてあげよう。コップは昨日出しっぱなしにしてるのをを使えば良いよね。


 居間の扉を開け、わたしの目に飛び込んできたのは。


「あ、ああ、ああああッ」

「えっ?」


 目を覚ましたらしいランちゃんが腰を抜かしている姿。先ほどまで何事もなかった筈の部屋を飛び交っている、わたしが買い集めた小物達だった。

 呆けてしまう。目の前の光景が、受け入れられなくて。


 さっきまで何もなかったんだよ。高校生時代からお世話になってる目覚まし時計も、昨日ランちゃんが感心してた枯れないお花も、飲み終わった筈のビールの空き缶まで。

 全部が全部、宙を舞っている。


「っ! い、いたっ」


 不意に、わたしの頬に空き缶の一つが当たった。横の部分だったから、顔を切ったりはしなかったけど。

 その痛みで、わたしは強制的に現実に引き戻された。今視界に映っているこれは、夢なんかじゃないんだぞ、と。


「い、いやぁぁぁああああああああああああああああああああああッ!!!」


 両手で頭を抱えながら、わたしは叫んだ。嫌だった。これが現実だなんて、認めたくなかった。

 飛び交っている物の全てが、わたしに向かって語りかけてきているような、そんな錯覚に陥ってしまう。全ての小物に顔がついて、ニヤーっと口元を歪めながら、こちらを見てきているかのような気さえしていた。


 ホラ、ユメナンカジャナカッタダロウ?


「あっ」


 再び、わたしの顔に何かが当たる。今度は空き缶じゃなくて、あの枯れないお花が入っている小瓶だった。

 固い感触がこめかみに直撃して、視界が暗転する。暗転から戻ってきたら今度はゆっくりと景色が歪んでいき、身体に力が入らない。


 もう一つ。失いつつある意識の中、視界に入ってくるものがあった。人形のあーちゃんだ。

 小物のほとんど全てが飛び交っている中で、唯一ベッドのところに座ったままでいるあーちゃん。


 元から笑顔であった彼女の顔は、更に笑っているような。そんな気がした。

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