はじめてのいたずら


「いやぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」


 次の日の朝。目覚めたわたしは叫んだ。嫌、嫌、なんで、なんでこんなことが起きてるの。どうして、どうして、全く解らない。解る筈もない。

 わたしの寝室にあった小物たちがひとりでに宙に浮き、まるで周回しているかのように飛び回ってる理由なんか解りたくもない。


 声を上げた。精一杯、声を上げた。ただわたしの部屋は、両親が選んでくれた良い部屋。防音もしっかりしており、ちょっとやそっとのことじゃ隣の部屋には聞こえたりしないらしい。

 わたしは走り出した。寝間着のまま、髪の毛も何もかもがぐちゃぐちゃなままで寝室を出る。隣の居間も同じようなことになっており、わたしは飛び交う小物達から顔を守るように手を上げながら部屋を飛び出した。


 当然、靴を履く余裕もなかったので、裸足のままだ。走るたびにアスファルトの硬い感触が直に足の裏に響いてくる。たまに小石なんかもあって、素肌を刺すような痛みも走った。

 構わなかった。早朝であまり人も見かけない中、わたしはただただ走っていた。今はとにかく、一刻も早く、あの部屋から遠ざかりたかったから。


「はあ、はあ、はあ、はあ」


 やがて体力の限界がきてわたしは走ることを中断し、荒々しく肩で息をしながら歩いた。急な全力疾走で肺が悲鳴を上げており、胸以外の足腰もとても痛い。

 夏の終わりが始まっているとはいえ、まだまだ暑い今日この頃。激しい肉体運動をしたことによって体温が上がり、それを冷まそうと身体中からとめどなく汗が溢れてくる。


 額から流れ落ちた雫は顔の輪郭を伝ってあごまで降り、アスファルトに向かって落ちていく。

 ポタ、ポタ、ポタ、ポタ。次々と水滴が落ちていき、立ち止まったわたしの足元を濡らしていた。


「た、助け、助け、て」


 幸いにして、寝間着のポケットには自分のスマートフォンが入っていた。昨日寝る前にお手洗いに行く時に入れて、そのまま入れっぱなしにしたままだったらしい。

 何はともあれ、これは僥倖だ。スマホがあるのなら誰かに連絡が取れる。急いでロックを開けたわたしは、そのまま電話連絡をする。


 電話の後、ちょうど近くに公園があったので、わたしはそのまま敷地内に入ってブランコの所で待つことにした。


「コヤケッ! 大丈夫ッ!?」

「ユウヤ、くん」


 少しして、血相変えて走ってきてくれたのはユウヤくんだった。たまたま昨日連絡した彼の番号が、履歴の一番上にあったからだ。

 彼はこの前、家に蛾が入ってきた時も外にやってもらったことがある。困ったらいつでも呼んでねと言ってくれた彼に、また甘えることにしたのだ。


 ユウヤくんは駆け寄ってきてくれて、わたしを抱きしめてくれた。


「良かった。コヤケが無事で」

「う、ううう。ひっく。ぁ、ぁぁぁっ」


 抱きしめられ、彼の温かさに酷く安心してしまったわたしは、彼の胸の中で泣いた。子どもみたいに、わんわん泣いた。

 本当に怖かった。やっと安心して良いんだって思えて、ようやく張っていた気を抜いた。


 少しの間、彼の腕の中で泣き。落ち着いた頃にもう一度、ユウヤくんに今朝あったことを話した。起きたら一人でに部屋の小物が宙を待っていた、あの異常事態のことを。


「とても信じられないよ」


 話を聞いたユウヤくんの第一声。信じてもらえなかったのは少し悲しかったけど、正直仕方ない部分の方が大きい。

 わたしだって、いきなり自分の部屋にあったものが宙に浮いたなんて言われたら、すぐに信じられる気がしない。


 それでも、わたしは真剣だった。俄には信じられない話とわたしの本気の剣幕で、半信半疑といった様子のユウヤくん。一度部屋に戻ってみようということになった。


 裸足で走ったが為に足が痛かったわたしは、彼におんぶしてもらうことにした。恥ずかしいけど、朝で良かった。あんまり人がいないから、こんな姿を誰かに見られなくて済む。

 少し元気になってきたわたしは、そんなことを考えられる余裕もあった。自分のマンションが近づいてくるにつれて、再び心の中を恐怖が支配し始めてくる。


 部屋に戻ったら、また小物がひとりでに宙を舞っているんじゃないか。内心で怖がっているわたしを他所に、一階に住んでいる大家さんに事情を話してマスターキーを借りてくれたユウヤくん。彼に背負われたまま、わたしは自分の部屋の前まで来ていた。


「僕だけで行こうか?」

「う、ううん。わたしも行く、から」


 彼の背中で震えていたわたしだったけど、ユウヤくんの提案を蹴ることを選んだ。もう一度だけ、ちゃんと見ておきたかったから。

 深呼吸をして、ユウヤくんと顔を見合わせたわたしは、うん、と頷いて、借り物のマスターキーを差し込み、部屋の扉を開けた。


 ギィ、と音がして扉が開き、中の様子が徐々に明らかになっていく。最初に目に入る台所には、特に異常は見当たらなかった。パニックになっていて気が付かなかったが、さっきのポルターガイスト現象は台所で起きていなかったらしい。


「ここは大丈夫そうだね」

「う、うん」


 とりあえず、ここは大丈夫みたいだった。そのまま中へと上がり込んだわたし達は、恐る恐る奥へと進んでいく。

 居間と奥の寝室へ繋がる扉は閉まっていた。慌ててはいたけど、ちゃんと閉めてきたらしい。


 変なところで律儀だな、なんて思いつつも、掌は震えていた。スモークガラス入りのこの扉の向こうで、今朝、異常事態が起こっていたんだ。


「開けるよ?」

「お、お願い」


 ドアノブに手を掛けたユウヤくんにお願いして、ゆっくりと扉を開いていく。

 わたし達が見たのは……。


「えっ?」


 ちゃんと片付けられている居間だった。小物が宙を舞うことも。舞った小物が床に散乱していることもない、いつもの光景。


「う、嘘っ!?」

「あっ、コヤケッ!」


 わたしはユウヤくんの静止も聞かず、慌てて奥の寝室の方の扉を開けに行く。急いで開けてみると、掛け布団を散らかしたわたしのベッド以外には特に変化のない、寝室があった。

 ひとりでに宙を舞っていた筈の小物達も、何もなかったかのように定位置に置かれている。


「そ、そんな」

「特に大丈夫そう、かな?」


 唖然としているわたしの後ろで、ユウヤくんがそう呟いていた。わたしは慌てて振り返り、彼に弁解するかのように口を開く。


「ほ、本当っ! 本当に宙に浮いてたのっ! 嘘じゃない、嘘じゃないよっ!?」

「うん。大丈夫だよ、コヤケ」


 焦ったわたしの様子に動じることもなく、ユウヤくんが優しい声をかけてくれた。


「朝会った時のコヤケは、そんな嘘をついてるような様子じゃなかったからね。これでドッキリ大成功、とかなら流石にビックリするけど」

「ど、ドッキリなんかじゃないっ! 本当、本当だったのっ!」

「うん。コヤケはそういうの仕掛けるの苦手そうだもんね」


 ユウヤくんは信じてくれているみたいだけど、今の現状について、わたしも何も言うことができなかった。

 だってあれだけの惨状になっていた筈の部屋が、何もなかったかのように静まり返っていなのだから。


 一体全体何がなんだかさっぱり解らない。わたしが見たのは事実だったと信じて欲しい反面、あれは夢だったんじゃないか、なんて疑いも出てきた。


「あ、あれ?」


 わたしは元に戻った筈の部屋の中で、一つの違和感を見つける。昨日急に現れたお人形さん、あーちゃん。


(あそこに、置いたっけ?)


 今朝のことで気が動転したこともあってあまり覚えていないけど、あーちゃんは今、ベッドを背もたれにして床に座っている。

 昨日は確か、ベッドじゃなくて居間のテーブルの上に置いた気がするのだ。


(そんな訳、ないよね?)


 思い浮かんだ疑問を、わたしは首を振って否定する。だって、人形がひとりでに動く筈がないから。

 それによくよく考えてみたら、わたしの部屋の小物達だって勝手に宙を舞う筈がない、よね。


 今朝のことは、夢だったのかな。先ほどチラリと芽生えたその考えは、いつの間にかわたしの中で大きくなっていた。

 わたしはユウヤくんにお礼を言うと、傷ついてしまった足と一緒に身体を洗おうと、シャワーを浴びることにした。寝間着も汗だくになってしまったし、洗濯物もしなくてはいけない。


 何か手伝おうか、なんて言ってくれたユウヤくんには、朝ご飯のお買い物をお願いする。今から何か作る気にはなれなかった。


「何だったんだろう?」


 ユウヤくんが出ていった後、汚れてしまった寝間着を脱ぎながら、わたしは呟く。全然釈然としない、この感じ。

 狐につままれたって、こういうことを言うのかな。自分の小さな胸の内に噛み切れないものを感じながら、わたしはお風呂の扉を開けた。


 お風呂場にある鏡に、一瞬、あーちゃんが映ったような気がした。気のせい、だよね。

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