はじめまして


「はーい、コヤケはそろそろ限界だよねー。ここ学食だからそんな大声出しちゃ駄目だよー」

「大丈夫だよコヤケ。所詮は都市伝説なんだからさ」

「ムグーっ! ムグーっ!?」


 わたしの行動を先読みしたかのような、二人のこの手。付き合いの長いランちゃんはともかく、ユウヤくんまでお見通しだったなんて。

 あれ。でもそれなら、ランちゃんはわたしがこういう怖い話が嫌いなのも知ったうえであの話をしたということだ。


 ということは、もしかして。


「ぷはぁっ! はあ、はあ。ら、ランちゃん。その、怒ってる?」

「んー?」


 ようやく手を放してくれたランちゃんに向かって、わたしは恐る恐る声をかけた。ランちゃんがわたしのことをお見通しな通り、わたしだってランちゃんのことを良く知っている。

 わたしが嫌なことをわざわざやってくるということはつまり、今ランちゃんは機嫌が悪いということで。


「べっつにー? ただ最近彼氏ができたコヤケがあたしと全然遊んでくれなくなったなーとか、せっかく一緒にやろうって言ってた花火もドタキャンされちゃったなーとか、そんなこと思ってないよー?」


 やっぱり怒ってた。この前ユウヤくんが体調崩しちゃったから、ランちゃんとの約束ほっぽって看病に行っちゃったし。


「あー、うん。ごめんねランさん。まさか夏風邪ひいちゃうとは思ってなくてさ。ほら。病気になった時って、無性に心細いじゃない?」

「べーつにー? ユウヤくんの体調不良まで目くじら立てるつもりはないですけどー? 独り身のあたしに見せつけてるなんて思ってませんけどもー?」

「ご、ごめんねランちゃんっ!」


 駄目だ、これは完全にヘソを曲げてる時のランちゃんだ。何かで埋め合わせしないと。


「じ、じゃあまた今度お泊り会しよ? ランちゃんの大好きなパエリア作るから」

「さっすがコヤケッ! よく解ってるじゃなーいッ!」


 わたしがおずおずと提案すると、ランちゃんは嬉しそうに声を上げる。良かった、まだいつものパエリアで許してもらえる範囲だった。


「ちなみにそれ、僕がお邪魔しても?」

「だーめでーすッ! 今度はあたしがコヤケを独り占めする番でーすッ!」

「ちぇー」

「ま、またユウヤくんにも作りに行くから。ね?」

「うん。楽しみにしてるよ」


 空気が戻った気がした。機嫌の直ったランちゃんが何処から仕入れてきたのか解らない話をし、ユウヤくんがツッコミを入れて、わたしが笑っている。

 わたしとランちゃんは特にサークルとかに入ってないから時間あるし、ユウヤくんは演劇サークルに入ってるけど、今は公演もなくて暇みたいだから結構一緒に遊んでる。基本的にこの三人で遊んでいた。


 ご飯を食べ終わった後は、三人でそのまま研究室へと向かう。始まったゼミでは、山森先生がわたしだけ課題がないことについても説明してくれた。

 他のゼミ生も一応は納得してくれたみたいだったけど、内心では凄く、惨めだった。


 ゼミも終わり、一日の講義を終えたわたし。アルバイトがあるランちゃんと別れて、ユウヤくんと一緒にスーパーへ買い物に向かった。

 ユウヤくんは夜のサークルの集まりまでは暇だからって、荷物持ちをしてくれた。流石に部屋までは大丈夫だよ、とマンションの下の玄関で別れたのだけど、また助けられちゃったな。彼にお礼、したいな。


 そんな決心をしたわたしは自分の部屋に着き、玄関の鍵を閉めて靴を脱いで、中の明かりを点ける。

 まず目に入るのが、右手にあるコンロや流し等の水回り。左手にはお手洗いとお風呂があるダイニングキッチン。

 正面には扉があり、開けるとご飯を食べたりする居間。更にその奥には、ベッドが置いてある寝室だ。


 こういう間取りをワンルーム型2DKって言うんだっけ。わたしが心配だからなんて、お父さんがオートロック完備の良い部屋を探してくれて。居間にも寝室にも空気を循環させる為のシーリングファンが天井で回っている部屋なんて、わたしも初めてだった。

 最初に一人暮らしを始めた時は広いなぁって思ったけど、慣れてくるともう一部屋欲しいかもなんて思えてくる。


 買ってきた食材を台所にある冷蔵庫に入れる。終わってからは居間へ続く扉を開けて、電気を点けた。


「あれ?」


 大学用のカバンを置いてひと息つこう。そう思ったわたしの視界には、一つの奇妙なものがある。


「人形だ」


 それは居間のちゃぶ台の上にちょこんと座っている人形だった。大きさは産まれたての赤ちゃんくらいかな。

 身体は布で出来てるみたいで、ピンク色の毛糸の髪の毛を真ん中で分けてて、黒くて丸い目とつり気味の眉毛に逆三角の鼻。口を開けてニッコリと笑った顔をしている。色とりどりのお花が散りばめられた白いワンピースに、赤と白の縞々の靴下と黒い靴を履いていた。


 パッと見て可愛らしいなって思うんだけど、一つだけ問題がある。


「あんな人形、持ってたっけ?」


 思い返してみても、あんな人形は昨日までなかった。小物が好きで色々と買い込んでしまうわたしだけど、流石にあんなサイズの人形を買ったのなら覚えている筈だし。

 両親からたまに届く食べ物なんかが詰め込まれた段ボールにも、こんなものは入っていなかった筈だ。


 急に部屋に現れた、のかな。そうだとしたら、ちょっと怖いんだけど。


「でも、可愛いな」


 誰かがわたしの家に侵入し、勝手に人形を置いていった。それこそストーカーとかいう話になったら怖いんだけど、わたしは何故か、可愛らしいその人形にあまり警戒心を抱いていなかった。

 この人形、おそらくは自分が買ったのを忘れてたんだろうなって思ったから。覚えは全くなかったけど、今日ゼミの課題を忘れてたこともあって、自分の記憶力には自信がないし。


「よいしょっと。思ったより軽いや」


 抱っこしてみると布製であるからか、人形は見た目程は重くなかった。クルリと一回転させてみたり逆さまにしてみたりするけど、特に変わった様子はない。


「あっ。タグが」


 一つだけ気になる点があった。おそらく人形の名前が印字されていたであろうタグが、引き千切られたかのように破れていたことだ。

 お陰で人形の名前が解らない。辛うじて解ったのは「A」というアルファベットだけであった。


「うーん、名前がないと可哀想だよね……よし。今日からあなたはあーちゃん。あーちゃんだっ!」


 わたしは人形にあーちゃんという名前をつけた。Aの文字が見えたから、あーちゃん。我ながら安直な名前だなぁって思ったけど、名前なんてそんなもんだよね。

 とりあえず名前もつけたし、いい加減大学の荷物を片付けようかな。お買い物もできたし、課題の為に図書館で本を借りてきたからカバンもいつもより重かった。


 わたしがあーちゃんをその辺に置いて、寝室の方に行こうとした時。


 カタ……。


 音が聞こえた気がした。何の音だろう。まるで何かが動いて、床か壁にでも当たったような音だったけど。


「?」


 振り返ってキョロキョロと周りを見渡してみたけど、特に変わった様子はなかった。置き物か何かがズレたりでもしたのかな。


「…………」


 特に何もなかったので、わたしは踵を返した。荷物を置いて部屋着に着替え、自分の夕食作りに取り掛かる。

 今日は豚バラ肉が安かったから、豚バラの豆苗炒めにしようかな。ご飯は冷凍してあるやつがあるから、あとはお味噌汁とサラダにしよう。


 夕食の献立を考えていたわたしは、全く気がついていなかった。知らず知らずの内にあーちゃんの首が少し上がり、じっとわたしの方を見ていたことを。

 この日から、わたしの日常は変わってしまった。

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