いつものこやけ


「そうか。忘れてたのか」

「ご、ごめんなさいっ!」


 わたしは大学内の学生食堂で、偶然出会った研究室の指導教員、山森カズイエ先生に勢いよく頭を下げていた。中肉中背で角刈りの先生は、こちらに対して厳しい表情を向けている。

 悪いのはゼミの課題をすっかり忘れていたわたしだ。少し前にお爺ちゃんが死んじゃって、葬式だなんだがあってすっかり忘れてた。


 その後でも、時間は充分にあった筈なのに。このお昼休みの後にあるゼミの提出課題、今からやったところでもう間に合わない。確か今回の課題は必須だった筈だから、おそらく単位を落としちゃうんだ。

 何でわたし、そんな大事なことを忘れてたんだろう。


「課題を忘れたってことは、間藤は単位がいらんってことだな」

「せ、先生さッ! ちょっと待ってよッ!」


 口を開きかけた先生に対して、四人掛けテーブルの正面に座っている親友の杉浦ランちゃんが割って入った。

 ランちゃんとは幼稚園からの付き合い。引っ込み思案だったわたしを引っ張ってくれた、一番のお友達。


 黒目で茶色に染めた髪の毛を外はねボブカットにし、外国人かと思うくらいのメリハリのある顔立ちと抜群のスタイルを持っている。

 地味なわたしとは違った、とても綺麗な女の子。


 勉強もできるし、何よりも手先もすごく器用なの。元々人形が凄く好きだったんだけど、最近は自作したりもしてるんだって。

 加えて、日雇いのアルバイトをいくつもこなしてて、自分の力だけで大学生活を送っている。


 両親からの仕送りをもらい、家賃まで出してもらっているわたしからしたら、凄いなぁという言葉しか出てこない。

 そんな彼女を、わたしは呼び出していた。ご飯の最中に課題のことを思い出してしまい、一人じゃどうしたら良いか解らなかったからだ。


 ランちゃんはすぐに来てくれた。いつも困った時に相談に乗ってくれるランちゃんには、感謝しかない。


「コヤケはあたしとは違って真面目にゼミも受けてるんだしさ、一回くらいは見逃してくれたりしない? ほらッ! あたしの遅刻だって、一回は許してくれたんだしさッ!」

「そ、そうだよ先生ッ!」


 親友の彼女に続いて声を上げたのは、わたしの隣に座っている少し短めで黒い髪の毛を持った川田ユウヤくん。

 生まれて初めてわたしに告白してくれた男の子、彼氏くんだ。


 彼も同じ研究室に所属している。一人暮らしだけど実家が近いらしく、仲の良い妹がいると写真を見せてもらったこともある。一人っ子のわたしは、ちょっと羨ましかったな。

 ユウヤくんは偶然学食に来ていたらしく、ランちゃんと相談している時に声をかけてくれた。事情を話し、三人でどうしようかってお話してた時に、山森先生が来ちゃったんだ。


「たまたま忘れちゃっただけで、悪気があった訳じゃないんだし。これで単位無しなんてあんまりだってッ! 一回だけ、一回だけで良いからッ!」

「うーん」


 そんな二人が、わたしのフォローを入れてくれている。先生は唸っていたが、わたしは何も言わなかった。

 だって、悪いのはわたしなんだから。これ以上無理を言って、困らせる訳にはいかない。


「……まあ、そうだな。間藤は杉浦や川田と違って、真面目にやってるからな。来週のゼミまでに仕上げてきたら、まあ良いだろう。今回だけだぞ?」


 少しの間黙っていた山森先生が、自分の頭をかきながらそんなことを言い出した。

 えっ、そんな。わたしだけ、来週まで待ってもらえるの?


「ありがと、先生ッ!」

「さっすが僕らの山森先生、話が解るッ! ほら、コヤケもお礼言わなきゃッ!」


 二人のテンションが高い中、わたしは呆然としていた。


「い、良いんですか?」

「まあ、たまに抜けてるとはいえ、今まで真面目にやってきたからな。ただし、来週に出さなかったら、もう知らんぞ?」

「は、はい」

「コヤケッ! お礼お礼ッ!」

「あ、ありがとうございます」


 わたしはランちゃんに促されて、山森先生にお礼を言った。「じゃ、ゼミには遅れるなよ」と言い残して、先生は食堂を後にする。

 姿が完全に見えなくなってから、ランちゃんは盛大に息を吐いていた。


「は~~~~、良かったぁ。言ってみるもんね。あたしの遅刻の時も、ゴネたら結局は折れてくれた訳だし」

「ま、なんだかんだで面倒見の良い先生だしね。良かったね、コヤケ」


 安心したぁ、と力を抜いている二人だが、わたしはただただ申し訳ない気持ちでいっぱいだった。わたしの所為で二人にも、山森先生にも迷惑をかけてしまった。

 わたしが、もっとしっかりしなきゃいけないのに。


「ご、ごめんね、ランちゃんにユウヤく……」

「はいストーップ」


 謝ろうとしたわたしの口に、ランちゃんが人差し指を当ててきた。思わず、わたしは言葉を切ってしまう。


「こーゆー時は謝るんじゃないっていつも言ってるでしょ? 欲しいのはごめんねじゃなくてありがとう。ね?」

「そうそう。そんな悲しそうな顔しないでよ。みんなコヤケが大好きなんだから」


 二人してそう話してくれる、ランちゃんとユウヤくん。申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、そっちの方が嬉しいなら、と。

 ランちゃんが人差し指を離してくれた後に、わたしは頑張って声を出した。


「ありがとう、二人とも」

「いえいえ」

「どういたしまして」


 わたしのありがとうに、二人は笑顔でそう返してくれた。嬉しかった。こんなどんくさいわたしでも、彼らは助けてくれる。好きでいてくれる。凄く嬉しい気持ちの半面、わたしは内心で自分に対しての悲しみがあった。

 いつもいつもそうだった。みんなして、ちゃんと出来ないわたしを助けてくれる。ランちゃんとユウヤくんに限らず、山森先生だって、お父さんやお母さんだって、みんなそうだった。


 その度に、わたしはずっと思っていた。もっとちゃんとしなくちゃいけない、良くしてくれるみんなに、これ以上迷惑をかけちゃいけない、って。

 でも、全然上手くいかない。課題みたいにわたしはいつも忘れたり、間違えたりばっかりで。


 もっと頑張らないと。わたしだってちゃんとできるんだぞって、ちゃんとみんなに見せないと。わたしもみんなの力になれるくらいじゃないと、駄目なんだから。


「そう言えばランさん、昨日の話の続きは? 確か人形小島、だっけ?」

「そ、人形小島」


 沈んでいるわたしを見かねたのか、ユウヤくんが昨日のお話を蒸し返した。

 昨日はその後、ランちゃんのもとにアルバイトの電話が来て、中断しちゃったっけ。


「最近SNSでも有名な都市伝説なんだけどさ、二人とも知らないんだっけ?」

「全然知らないなー。コヤケは?」

「う、うん。わたしも、あんまりそういうのは見なくて」

「そっかそっか。なら話甲斐がありそうねぇ」


 ニヤリ、とランちゃんが笑った。あっ、これ、悪いこと考えてる時の顔だ。

 案の定、ランちゃんはニヤーっとした顔のまま喋り始めた。わたしの苦手な、怖い話を。


「人形小島って言うのは、人形が島中に括り付けられている島なの。島に入れば、何処を見ても人形人形人形。雨風にさらされてボロボロになった人形が笑顔のまま、木とか草に括り付けられてるんだって」

「うわー」

「ひ、ひっ!」


 へー、なんて顔をしているユウヤくんの隣で、わたしは上手く声を出せないでいる。本当はやめて欲しいのに、口が上手く動かない。


「もちろん、自然にそんな風になるなんてある訳ないよね? そう、これは誰かの仕業なのよ。わざわざ人形を持ってきて、そして括り付けていった狂った一家がいたんだって。どうしてそんなことをしていたのか? それはね、その一家がとある人形に呪われていたからなの。人形の怒りを買った親子はそのまま人形に囚われてて、それが実はウチの大学裏の海に浮かぶ小島で……そしてこの大学内にも人形の呪いがァァァッ!」

「いやぁムグゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥっ!?!?!?」


 限界を迎えたわたしが声を上げようとしたら、ランちゃんとユウヤくんの二人がかりで口を塞がれた。い、息が。

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