人形A

沖田ねてる

あたしはここよ


人形Aあーちゃん


 見られている。わたしは、見られている。顔が半分ない人形と、全身が虫に食われた人形と、目以外の顔がはげ落ちた人形に。

 顔が分からないものもあるのに。笑顔で、見られている、気がする。


「…………」


 暗い夜。輪郭しか見えない雑木林の中に無数に吊るされた、あるいは括り付けられた人形たち。一つ、二つ、三つ……持参した懐中電灯の光を順番に当てていっても、数えるのが追いつかない。全部で何体いるんだろう。

 親友のランちゃんから話を聞いたここは、確か人形小島と呼ばれている場所だ。昔、人形に呪われたとある一家が、人形を集めて島中に括り付けたとされる奇怪な場所。こんなところに本当のあーちゃんがいるのかな。


 数多の空虚で無機質な瞳の全てが、わたし、間藤まとうコヤケを捉えて離さない。長い前髪の合間から見えるその不気味な景色は、まるでやってきた余所者をみんなで監視しているみたいだ。黒髪が胸くらいまで伸びている、こんなわたしを。


 背筋が凍りそうな思いをしながら、わたしは左手に布製の人形のあーちゃん――これは自分で作ったもので、本当のあーちゃんじゃないみたいだけど――を、右手に懐中電灯を握って、草むらの合間に伸びる細い獣道をよろよろと歩いていた。

 真っ直ぐ伸びている光に、名前も知らない虫たちが集まってくる。中には顔にぶつかってくるのもいて、わたしは何度も手で払ったり、首を振ったりしていた。


 すると、振り回していた懐中電灯が何かに当たった。近くの草むらに何かが落ちる。


「ひっ!」


 光を向けてみると、落ちていたのは人形だった。男の子を模した人形で、見たところ布製だが、身体の至る所が虫でも食われたかのように欠損している。

 落ちたその人形の首が、こちらを向いている。半分しかない顔は笑みを浮かべており、空いた穴からは多足類の虫が這い出してきた。


 それを見たわたしは、身体の芯を冷たい両手で絞られたかのような感覚に陥った。内側からこみ上げてくるものが、ゾワゾワした感覚と共に頭まで駆け上がっていく。身震いせずにはいられない。

 まるで、お前なんて誰も歓迎していないんだぞ、と言われたような気がしてしまったから。


 思わず、わたしは周囲に目をやった。風雨に晒されてボロボロになっている人形の全ての瞳と、順番に目が合ってしまう。

 上から、下から、右から、左から。木の枝からぶら下がっている人形も、地面に落ちている人形も。瞳の部分がなく空洞になっていようが、身体のパーツがなく首しかなかろうが、右腕部分しか括り付けてなかろうが。


 みんながわたしを見ている、気がする。


 重苦しい空気が漂っているこの場所。夏が終わり始めているとはいえ、まだまだクーラー無しでは寝られないくらい暑かった筈なのに。凍えそうな、心地がする。


 だけどわたしは奥歯を食いしばって、もう一度歩き出した。いつの間にか足が上がらなくなっており、すり足のような形になっている。


「あぅっ!」


 不意に、右足に固い感触があった。足が上がってなかったから、何かにつまづいてしまったみたいだ。平行感覚を失ったわたしは、バランスを崩して倒れ込む。

 幸いにして草の生い茂っているところに倒れ込んだので、石や木の幹にぶつかることはなかった。


 何につまづいてしまったのだろうと、懐中電灯を向けて見ると、そこにはセルロイド製の男の子の人形があった。

 衣服は既にボロボロでほとんど裸になっている彼は今、わたしの足元でバラバラになっている。さっき足に当たった時に落ちて、壊れてしまったらしい。


 また、わたしの所為で。


「ごめん、なさいっ」


 わたしはボサボサの頭を下げると、身体を起こしてすぐにその場から歩き出した。人形の男の子には申し訳ないけど、急がなければならない。

 だってわたしは、あーちゃんに呼ばれているのだから。これ以上、みんなに迷惑はかけられない。何とかしなくちゃいけないんだ。他の誰でもない、わたしが。


「本当のあーちゃんは、どこにいるの?」


 心の中で決意を新たにしながら、わたしは腕の中のあーちゃんに尋ねた。返事が返ってくることはない。

 ちょっと前は喋ってくれてたのに、この人形小島に来てからというもの、彼女は黙ったままだった。


 行けば解る、ということなのかな。わたし一人で、本当に大丈夫なのかな。


「駄目。弱気になってちゃ、駄目っ」


 油断するとすぐに不安が押し寄せてくる。わたしは一度気持ちを切り替えようと、首を横に振った。

 ボサボサの髪の毛が顔に当たり、ベタっとした髪の毛の束が頬につく。そう言えば最近、頭も洗ってなかった。


 だけど、立ち止まってなんかいられない。わたしは髪の毛を退けてから懐中電灯をぎゅっと握り込み、光を再び前へと向けた。

 今日の空は晴れている筈なのに、雑木林が生い茂っている所為で星明りも月明りも届いてこない。真っ暗な中、わたしは手元の光だけを頼りに、再度歩き出した。


 足には踏みしめている草木の他に、固い感触がある。これももしかして、人形のパーツなんだろうか。わたしはもう、それ以上は考えなかった。

 歩いていくと、目の前にひと際真っ黒な影が見えてきた。視界の大部分を占めている、その影。


 それが掘っ立て小屋だとわかったのは、影の上の一部がせり出していて、屋根だと解ったからだった。


「っ!?」


 小屋に懐中電灯を向けたわたしは後悔した。目を見開き、視界から得た情報を脳が理解した瞬間に、頭から順に鳥肌が立っていくのを感じる。手に持っている懐中電灯の光が、震えていた。

 掘っ立て小屋の外壁中に括り付けられた、人形、人形、人形、人形。有名なお着換え人形から、何処かの会社のマスコットキャラクターまで、パッと見て一つとして同じ人形がない、その光景。


 全てが笑顔であり、わたしを見下ろして、見据えて、見上げていた。


「あ、あああっ」


 自分の奥歯がかみ合わないのを感じている。外壁からの折り重なった視線に、絡め取られたような錯覚を覚えた。

 欠損していたり、身体ごと千切れたりしてしている人形たちの無機物の瞳に、見られているだけ。今までだって見られていたし、何ら特別なことなんてないのに。


 わたしはその場に釘付けにされたかのように動けなくなってしまった。

 行きたく、ない。自分の中に、そんな感情が芽生える。下腹部に鉄球でも詰められたかのような、重いものを感じた。見たくないのに、まぶたを誰かに無理やり引っ張られているような感覚もある。


 怖い、怖い、怖い。行きたくない、行きたくない。行きたくない行きたくない行きたくない行きたくない行きたくない行きたくない行きたくない行きたくない行きたくない行きたくない行きたくない行きたくない。


「こやけ?」

「ひぅっ!?」


 不意に、声がした。驚きから身体がビクッと震え、心臓がすくみ上ったような痛みを覚える。この、声は。


「あたしはこのなかよ。はやくあいにきて」

「あー、ちゃん」


 手元に視線を落とすと、また声が聞こえた。わたしが持っているこの人形、あーちゃんからだ。

 人形が喋っている。普通に考えたら異常事態であるにも関わらず、わたしは逆に変な安堵感を覚えていた。そうだ、あーちゃんが、いてくれてるんだ。


「う、ん。今、行く、ね」


 無理矢理、わたしは足を動かした。怖い気持ちがなくなった訳ではないけど、自分が呼ばれている。

 わたしがしっかりしなきゃ、いけないんだ。強迫観念にも近いそんな思いで、震える足を一生懸命前へと進めた。


 どんどん、どんどん小屋が近づいてくる。外壁にある人形達は、相変わらずわたしを見ている。

 掘っ立て小屋からじめっとした空気が漂ってきて、酸っぱいような、肉が腐ったような、変な臭いもしていた。


「でも、行かなきゃ」


 わたしが行かなければ、一体何のためにここまで来たのかが解らないから。

 みんなわたしの所為で、いなくなっちゃった。残っているのは、彼女だけ。彼女だけでも守る為に、わたしが行くしかないんだ。どんなに怖くても、どんなに嫌でも、もう、わたししかいないんだから。


 わたしは必死の思いで、小屋の入り口までたどり着いた。外壁中に括られているのと同じように、入り口の扉にも人形がたくさん貼り付けられている。

 人形達のその視線は、小屋の中に入ろうとする者を見定めるいるかのように、こちらを向いていた。


 開き戸になっているドアノブに手をかけて回しながら押すと、冷たい感触とともにガチャリという開く音がした。ギィーっという金具の軋む音がして、扉が中へ向かって開いていく。

 掘っ立て小屋の中に懐中電灯を向けると、予想通り人形にまみれていた。壁はもちろん、足元にも人形が所狭しと座っている。


 屋根から雨漏りでもしているのか、何かの液体に濡れてぐちゃぐちゃになっている布製の人形もあった。覚悟はしていたとはいえ、わたしはまた手元が震えてくる。

 一つだけ、さっきまでとは違うことがあった。小屋中の人形達が、自分の方を向いていないことだった。彼らが見ているのは、小屋の中心。真ん中にポツンと置かれた木の椅子に座っている、一体の人形。


 産まれたての赤ん坊くらいの大きさで、おそらくは布製。ピンク色の毛糸の髪の毛は露に濡れて乱れており、黒くて丸い目は片方が剥がれ落ちている。つり気味の眉毛に逆三角の鼻はくすみ、ニッコリと笑っている筈の口元は虫に食われたように穴が空いている。

 色とりどりのお花が散りばめられた白いワンピースはボロボロで、赤と白の縞々の靴下と黒い靴を履いている足は、片方ない。そして全身の至る所が、火にあぶられたかのように焦げていた。


 わたしが手に持っているあーちゃんをボロボロにしたかのような、その人形。小屋中の他の人形の視線が、彼女に対して向けられていた。

 まるでこの人形達の全てが、彼女の為に存在しているかのような雰囲気だった。


「こんばんは、あたしのかわいいこやけ」


 声がした。先ほどあった手に持っているあーちゃんの声と同じだが、今度は発せられた場所が違う。

 わたしの手元ではなく椅子の方から、座っている人形からであった。


「あーちゃん、なの?」

「そうよ、あたしがあーちゃんよ。よくきてくれたね、こやけ。あたし、ずっとまってたんだよ? いろんなことがあったけど、やっときてくれたんだね」


 座っているあーちゃんにそう言われて思い返されるのは、ここにわたしが来ることになってしまった今までの話。色んなことがあった、とあーちゃんは言っていた。

 本当に、色んな事があった。わたしの頭の中には、今までのことが思い返される。始まりはあの日。


 全てはわたしの家に、突然あーちゃんが現れたことからだった。

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