男の周りには、元々人間だった生き物が転がっている。

 彼らは口々になにかうわごとのようなことをつぶやいている。しかしそれは、もはや人間の言葉ではない。獣のような声で、獣のように地面を這いずりまわっている。そのため着ていた浴衣ははだけて、黒く変色している肌が見えていた。

男は何度も助けようとした。だが彼らは望んでこの様な姿になったのだ。だから自分は悪くない。そう自分に言い聞かせることしか、男にはできなかった。

「あんたは本来ここにいるような人間じゃない。なぜ?」

 男の前に、見知らぬ人物が立っていた。色とりどりの奇妙な面を被っておりよくわからないが、声からして少女だろう。誰だと問いただそうとした。しかしその前に、少女が身につけている羽織に描かれている桜の紋を見つけてしまった。それによって、男は自分の命が長くないと察した。

「全部話してもらおうか」

 少女はそう言って、男に刀を向けた。


 ここは、匣鳴(ごうなり)。大きな海にポツンとある、小さな島国だ。この国は4つの地区に分かれている。この国の上位に君臨する王族や貴族が生活する北地区。商人が生活する東地区。漁村が広がる西地区。そして治安が悪い、南地区。この男は元々東地区で、医者をしていた。しかし先日あった大火により家と職場を失った。職場を立て直すには金が必要だ。よほど金に目がくらんだのかこの男、怪しげな誘いに乗ったのだ。ミツタと名乗る小柄な男から、うちの病院で働いてほしい。言われたのだ。最初はとある患者たちの治療と説明され、言われた通りに薬を処方した。だが患者たちはよくなるどころか日に日に狂っていった。男は気が付いた。この薬は普通の医者が処方するものではなく、人をだめにする薬であると。男は指示をしている者達にこのままでは患者たちが壊れていくと忠告した。するとミツタはあっさりと、それを了承した。しかしほっとしたのもつかの間。患者たちがすごい形相で病院へやってきたのだ。

「はやくよこせ!」

「なぜよこさぬ!よこさぬなら貴様を八つ裂きにしてやる!」

 よく覚えていないが、こんなことを患者たちが口走っていた気がする。ただ呆然と、診察室に座っていると、ミツタはこう言った。

「これが現実なのですよ。患者たちが望んでいるのです。患者を救いましょうよ。先生。」

 ミツタは笑いながらそう言った。男は首を縦に振るしかなかった。


「それが、あんたがここにいる理由か?」

 一通り話を終えた後、少女は聞いてきた。

「ああ。これがすべてだよ。番犬さん。」

 男は諦めたような顔で、その場に座った。

「あとは好きにすればよい」

 男は死を覚悟し目を瞑った。脳裏には心から愛した女性の顔が浮かんでいる。天国があるとしても、俺は彼女の元へは行けないだろう。ならせめて、来世でまた出会いたい。詩人もびっくりするくらい情緒的なことを考えていた。しかし、いつまで経っても刀は振り下ろされない。恐る恐る目を開くと、顔のすぐ近くにまであの奇妙な面が迫っていた。

「うわああ!」

 驚きのあまり飛びのいた男に向かって、少女は言った。

「お前を生かす。」

 男はまだ、来世に行くことはできないようだ。

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匣庭の野良犬 倉園みつこ @yunagi78

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