人をダメにするクッション
人をダメにするクッションに憧れている。
もちもちというか、むにゅむにゅというか、あのたまらない感触のする巨大なクッションだ。
買おうと思えば買える。
無印良品で見かける度に、(このくらいの値段ならすぐ出せる程度には)金もあるし、(このくらいの大きさなら後部座席を倒せばどうにか載るくらいの)車もあるのによぉと、なぜか頭の中でやさぐれ口調になってしまう。
人目がなかったら、もふんと身体を沈めたりもする。
抱えている悩み事まで、すべてを包みこんでくれるかのような包容感。
柔らかいのにしっかりしている、不思議な感触。
ああ、欲しい! 衝動買いしてしまいたい!
椎間板ヘルニアを2回経験しているわたしに、母は「こういうのは腰に悪いよ」と言うけど、そんなの知ったこっちゃない。
いや、自分の腰にその言い草はないと思うけど、類まれなる魅惑の座り心地には抗えない。
コスメにもアクセサリーにもファッションにもそれほど興味がなく、この年代の女子にしては出費は少ない方だと思う。
このくらいの贅沢は許されるはず……。
――って危ない危ない!
慌てて立ち上がり、クッションから距離を取る。
危うく陥落されてしまうところだった。
なぜ買えないのか。
うさぎにダメにされたクッションになる未来しか見えないからだ。
うさぎは齧る生き物だ。カーペットも、本棚の角も、電源コードも、敷居も……ありとあらゆるものを齧る。
部屋に存在するものすべて……それどころじゃなく、部屋そのものまで齧る。
しつけでどうにかなるものではない。そういう習性だからだ。
うさぎは息をするように齧るのだ。
自室にあのクッションを据えたら、おそらく10分もかからず穴を空けられ、中身がこぼれ出し、部屋は大惨事となるだろう。
他の部屋に置くという選択肢はない。
どうせなら、うさぎたちを眺めながらダメになりたい。
最近、近場のホームセンターにアウトドアコーナーができた。空前のキャンプブームに乗ったのだろう。
そこで出会ったのが、ハンモックチェアだ。
構造はハンモック、サイズは椅子という、良いとこ取りのこの商品。またもや人目がないのを確認して、腰かけてみる。
似ている。
あの憧れの、人をダメにするクッションの座り心地に。
しかも、こっちはゆらゆらと揺れる作り。まるで、大きな手のひらに包まれて、寝かしつけられているかのようだ。
さすがにクッションほど、快楽に沈み込むような心地ではないけど、ダメになり過ぎることがなさそうでちょうどいいかもしれない。
それに何と言っても、うさぎにダメにされる心配がない。
ハンモック部分は布だけど、うさぎが背伸びしても跳んでも届かない高さにある。骨組みは金属で、登れるような足がかりもない。
おそらくこれも腰に悪いけど、そんなの知ったこっちゃない。
戦に勝ったような気持ちで、折り畳まれたものが入っているであろう、細長い段ボール箱をレジへと運ぶ。
これでついにわたしもダメになれる……!
8畳の自室で組み立ててみると、広い店内で見たときよりも大きく感じる。畳1枚は占有している。アウトドア用品を室内で使う時点で間違えているのだから、そこは仕方ない。
うさぎは環境の変化に弱い。
突如現れた、でかくて食べ物ではない謎の物体に、恐れおののき逃げ惑う。
警戒しているときにする足ダンを連発。
目は見開きすぎて白目がのぞき、耳はパラボラアンテナのように大きく広がっている。
やっと、攻撃はしてこない、敵ではなさそうだと察しはじめたのか、そろそろと近づいていく。
骨組みのにおいを嗅ぎ、ずさっと後ずさる。後ろ足で立ってハンモックを鼻先でつんと突き、しゃかしゃかと距離を取る。
いつもはのんべんだらりとして、野生の勘などとうに失ったような2匹のこんな姿が、おもしろくて可愛い。
うさぎたち本人にとっては、勘弁してくれ、という感じだろうけど。
ハンモックチェアを購入して数ヶ月が経った。
あれから、うさぎたちは骨組みをアスレチックのように跳び越えたり、ときには枕にして寝転んだり、あごを擦りつけてにおいをつけ、縄張りアピールをしたりと、すっかり慣れてくれたようだ。
そして、骨組みのジョイント部分のプラスチックは齧れることに気づいてしまった。
盲点だった。
とても硬いから、歯型がつくくらいだけど。
うさぎは齧る生き物。
うさぎを前にして無傷でいられるものなど、この世にはない。
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