第19話 ナナミ・ナターシャ①

 彼女はナナミ・ナターシャ。俺たちにパーティーを組めと言った張本人で、アカデミーの教師だ。

「あんた……いつの間に……」

 まるで気配を感じなかった。そもそも〈隠密〉のアビを発動している俺の存在になぜこの人は気づけたのだろうか。

 いや、この人のなら気配を探るなど造作もないことか。


「こらジュノン。あんたじゃないだろ。ナナミ先生と呼べ」


 ごつんと拳で頭を殴られる。くそ痛いのである。

「言っておくが〈隠密〉を使えるのは忍者ニンジャだけではないぞ?」

 そうナナミ先生はにやりと笑って俺の顔面を豊満な胸部にぐいと抱き寄せる。

「ちょ、やめろ、離せって」

 元リーマンの俺からすれば夢のようなシチュエーションと言えなくもないが、状況が状況だけに今は恥ずかしさが圧倒的に勝った。だが、張りのある双丘の谷間で俺が必死の抵抗を試みるがびくともしない。

 ナナミ先生は俺を易々やすやすと拘束したまま、騒ぎの元凶である学生たちに向かって野犬でも追っ払うみたいにおざなりに手を振る。

「貴様らもう帰れ。私はこいつらに話があるんだ」

 学生たちはあからさまに不服そうだ。血気盛んな連中が素直に『はいそうですか』と引き下がるはずがなかった。

「ほう? 貴様ら? この私とやり合う気か?」

 ところが、彼女が蛇のように目をすがめると、



「教師としてひとつ忠告しておいてやるが――地上では無限迷宮のように死んでも生き返りはしないぞ?」



 学生たちは一瞬にして酔いが醒めてしまったのか青ざめた顔で一目散に店から去ってゆく。どうやら連中はこの人のジョブをよーく知っているらしい。

 鮮やかな幕引きに店内からは俄かに拍手が沸き起こる。イケメン褐色女教師は「どーもどーも」と投げキッスで応えている。

「では食事にしようではないか!  店員! 私にもこいつらと同じものをよろしく頼む!」

 ナナミ先生は何事もなかったかのように俺たちのテーブルに腰掛ける。店や客も冒険者同士のいざこざには慣れたもんで、すっかり元の賑やかさを取り戻している。


「ラヴィアン。身体は大丈夫か?」

「ああ。先生。あたしは鬼族オーガだ。あの程度、どうってことはない」

「エドウィンとルルーシャも平気か?」

「はい。先生。ぼくは平気です」

「はい。先生。わたくしもなんともありません」

「なら良し」

 ナナミ先生は満足そうに頷いてお通しのチーズをぱくりと食べる。

「いや、俺わい! 俺の心配は!」

「なんだジュノン。一人だけ仲間外れにされてヤキモチを焼いているのか?」

「違うわ! 平等に扱えって言ってんだよ!」


「怒るな。お前がにならぬよう守ってやったではないか?」


 人殺しという物騒なワードに三人がぎょっとする。皆はあの時、俺が密に行動を起こしていたことに気付いてはいない。

「恩着せがましい……ホークごときで人が死ぬかよ」

「ふーん、そういうことにしといてやるか」

 口では強がっているが、ナナミ先生に見透かされているように、あの時の俺の怒りが限りなく殺意に近かったことを否定はできない。

 おそらく一人なら我慢できた。だが、パーティーメンバーのラヴィがやられて俺は自分を抑えられなくなった。

 今回の件は深く反省すべきだろう。いさめるべき立場のリーダーが先走ってはどうにもならない。

「あんな小物連中に絡まれてお前ら災難だったな。ま、小石にでも躓いたと思って忘れろ」

 ナナミ先生はさっそく届いたミードを「かんぱーい!」と豪快に飲み干す。

「ナターシャ先生、助かりました。先生ほどの実力者からすれば彼らは小物かもしれないけど、ぼくたちからすれば格上の冒険者ですからね」

「エドウィン、卑下する必要などない。連中は小物も小物、大小物だ」

「大きいのか小さいのかどっちだよ、意味わかんねーよ」

「お前ら考えてみろ? 己に自信がある人間がわざわざ落ちこぼれパーティーに絡むか? 普通はそれほど暇じゃないと私は思うがな」

 ナナミ先生はワイルドステーキにホークをぶっ刺してがぶりと齧り付く。


「あの雑魚どものように己に自信がない連中が、己の不安を少しでも和らげたくて、必死になって己よりも下の人間を探してあげつらうのさ」


 三人とも青天の霹靂だと言わんばかりの表情を浮かべる。悔しいので表情には出さないが、俺もナナミ先生の言葉をもろに喰らっている。

『そうか。ああいう連中は自分に自信のないただの小物だったのか』

 そう思えたら、これまで受けてきた数々のあざけりやさげすみによるモヤモヤが晴れてゆく気分だった。


「実にくだらん。弱者をあげつらう暇があるなら、己が強くなる研鑽をしたほうがどう考えても有益ではないか。ま、人間とはかくも弱い生き物だということか」


 憑き物が落ちたような皆のすっきりした表情を見るに俺と気持ちは同じなのだろう。俺たちはナナミ先生の言葉に大いに救われたというわけだ。

 ただ素直に感謝するのは釈然としない。

「珍しく教師っぽいこと言うじゃん」

「ジュノン。手のひらを出すがいい。ホークをぶっ刺してやろう」

「こっわ! あんたがそれやると洒落になんねーんだよ!」

 すると、ルルが「ナナミ先生よろしいですか?」と神妙な表情を浮かべる。

「先生はどうしてわたくしたちのことをここまで気にかけてくださるのですか?」

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