五、中学校入学愛子

 愛子が猪投中学校の入学式を終え、一年一組の教室へ移動したときのこと。両親や周囲の人間に愛されてきた愛子にとって、初めての体験が訪れる。


「父ちゃん達の言っとったとおりじゃな。鞆浦のモンは、陸でもクラゲみたいにふにゃふにゃしとるわ。腰の入ったヤツなんおらんみたいじゃ」


 愛子以外の鞆浦小出身者は、周囲の大人や兄姉からと聞いていた。そのため、何かあればと身構えており、血の気の多い者などは自分から戦端を開くきっかけを探していたほどだ。

 だからこそ、聞き慣れない声の発する誹謗にも即座に反応した。もう数瞬も経てば、売り言葉に買い言葉で、教室中が乱闘騒ぎになってもおかしくはない。




 愛子も話には聞いていた。父智昭の研究に協力する漁師達などから、「髭守の連中は性根が曲がっとるで、中学に上がったら気いつけえよ」と。だから、鞆浦町の子供だけが集まる鞆浦小学校から、位置的に鞆浦町と髭守町の相中の山中に存在する猪投中学校へ進学するにあたり、多少の不安はあった。

 ただ不安と言ってもそれは、『いつも口喧嘩になりそうな、少し仲が悪い子達と一緒になる』程度のものでしかなかった(とはいえ、仮に程度が軽かろうが、地域のを巡るバンカラ物でもない田舎の中学校内において、派閥としての学校単位での対立構造があること自体、異常なのだが)。


 鞆浦町で友人達と過ごしはしても、他地域への隔意など欠片も持たない両親の下で育った愛子には、髭守小学校出身の同級生が放った言葉が、すぐには理解できない。

 意味はわかる。愛子は人の悪意に多少鈍感ではあっても、頭の出来が悪いわけではない。

 しかし、初対面の人間から、正当かつ明確な事由も無く、悪感情だけを理由に罵倒されたことが、愛子の常識の外にあったのだ。


 これは、愛子の過ごした学年が例外的に、愛子を中心として大きな『お友達の輪』を構成していたことが大きい。


 本来ならば、地域ぐるみで共通のがいる鞆浦町とはいえ、住民全員が強い仲間意識、同族意識で結ばれているわけではない。それなりに諍い事はあるし、疎遠な者もいる。

 それは、小学校とて同じことだ。子供が集まっているだけで、社会の縮図であることに変わりない。


 そんな状況を、鞆浦の事情など知らない他所者が、変えてしまった。

 勿論、誰もが友人であり笑顔の絶えない環境が悪いはずがない。寧ろ、愛子の学年を担当していた主任教員は、赴任以来初めて目にする素晴らしく穏やかで明るい光景に、日々驚きを覚えていたほどだ。


 けれど、それも一年前までの話である。 今この教室にいるのは、鞆浦小のお友達ばかりではない。

 鞆浦町の大人達曰く「性根が曲がっとる」同級生が半数ほど存在している。




 鞆浦小出身者の中でも、喧嘩っ早い一人が反撃を開始した。


「それこそこっちも聞いとったとおりじゃ。髭守ん連中は狭い土地に閉じ込められたせいで、店に並べられん出来損ないの瓜みたいに性根がひん曲がっとる。だで、磯の香りが羨ましゅうても、僻むことしかできんのじゃ。おぉ、お可哀そうなこっちゃ」


 反撃には、学級内の四半がいきり立つ。教室には、鞆浦小出身者と髭守小出身者が大体半々の人数配置されていることを鑑みると、髭守小出身の男子ほぼ全員が反応したことになる。

 それを受けて、売られた喧嘩なら喜んで買ってやるとばかりに、もう四半も立ち上がる。


 女子達とて、実力行使に出ることはないが、互いに見慣れない顔を睨み合っている。


 担任教師の大塚おおつかは、今年のスタートもか、と溜息をつく。

 入学初日の騒ぎは、毎年恒例の伝統行事であるため、猪投中学校の一年生学級各担任は、体育や生活指導を担当する強面の教員が多い。というか、大人しい女性教員などに担任させれば、冗談ではなく学級崩壊もあり得る。


 騒ぎ出した悪垂れ共を鎮める大喝のために、大塚が大きく息を吸った……そのとき、現在の教室の空気にはそぐわない、落ち着いた声が響く。そぐわないからこそ、響いたというべきか。


「止めんね、みっともない。喧嘩売られるんならまだしも、こっちから売っとったら世話ないが。新しいお友達等に『品が無い』なん思われるぞ。座りい」


 自分達から喧嘩を売っては、との言葉からして、声の主は髭守小出身者であろう。実際に、諌められた者達はバツの悪そうな顔で席に付く。これには大塚も驚いた。

 次いで、そう言えば今年の新入生の中には、髭守町の中でも発言力を持つ家の子供がいたことを思い出す。




 麻井陽太あさいようた。平たく言えば地主の子である。


 麻井の家は、髭守を治めていた某という殿様の末だと言う話もある。口さがない者(主に鞆浦の者だが)は、廃藩置県のどさくさに紛れて土地を買い占めただけの成金だ、と言ったりもする。

 真実は既に没した麻井一族の者にしかわからないが、いずれにせよ、現在の髭守町では何をするにしても「ほいじゃあ、麻井さんとこに話通さにゃ」となる程度には力がある。


 麻井家は代が変わろうとも、一族から市議と県議を必ず輩出している。市長や県知事を目指さないのは、矢面に立つ面倒をよく知るからだ。『外』に対しては名を捨てて実を取る。だからこそ、『内』である狭い地元では無視し得ない力を保持できている。

 鞆浦の人間は、『髭守の麻井』と言えば蛇蝎の如く嫌う対象ではあるが、堅実で賢しい生き方だと忌々しげに評価する者もいる。認めざるを得ないほどに、手強い、ということだ。

 ちなみに、鞆浦に同様の絶対的な存在感を放つ家はない。元々の地域的な気質なのかもしれないし、里山の髭守に比べて海沿いの鞆浦では、土地や政治に対する認識が、やや薄かったのかもしれない。


 土地を持ち、地域の政治に介入し、代々の蓄えや資産運用で増える経済力もある。田舎で力を持つ家というのは、都市の人間が想像する以上に、目立たずな権力を持つ。

 どうしたって髭守町の人間は、麻井の人間の顔色を窺わざるを得ない。




 大塚は騒動が止んだことに一安心したが、同時に非常に危うい学級だ、とも思った。

 元々、鞆浦小出身者と髭守小出身者を各学級で半々の割合に配置するのは、力関係を拮抗させるためだ。


 中学一年生の学級分けでなにを大袈裟な、と他所の土地の者なら言うだろう。

 しかし、猪投中学校では過去に実際、学級崩壊が起きた例がある。その経験から、どうしても対応は慎重にならざるを得ない。


 生徒の配置や担任教師の選出。他にも、朝の登校時、南北から両町の生徒達が鉢合わせる校門には多くの教職員を起き、朝の挨拶や生活指導を口実に、揉め事を防いでいる。

 そういった神経質なほどの対応を重ねたというのに、髭守側には派閥を纏める中心人物がいる。これは不味い。


 髭守小出身者に対するなら、鞆浦小出身者もそれなりにはまとまるだろう。

 しかしそうではない場合でなら? 強固にまとまった一派が何かと教室内を仕切ることになる。なんなら、鞆浦側の生徒を懐柔するくらいはやってのけるかもしれない。


 子供とはいえ中学生。それなりに知恵を備えた悪事を働く歳だ。

 地域の大人公認で悪感情を顕在化させることが容認されている環境であれば、何をしでかすか読めない。


 大塚は、自分を一組の担任にした校長と教頭を恨んだ。まだ自己紹介もしていないのに、胃が重く、気疲れの気配までしている。


 麻井の言葉で喧嘩腰であった四半の生徒が治まった。ならもう片方は? 少々納得が行かずとも、矛を収めるしかない。もう四半の生徒も着席し、教室が静まった。




 大塚は再び溜息を付き、まずは挨拶と自己紹介を終えた。

 例年であれば、まず騒動が起き、それを収めつつ説教混じりに怒鳴り叩きつけるように行う、というのが恒例なのだが……円滑な進行がかえって不気味である。


 その後、出席番号一番から順に自己紹介をさせる。その際、名前の他にはだけを言わせる。

 それだけでも十二分に嫌味は言えるものだが、馬鹿正直にを言わせる隙を与えることもない。どうなるかは、培われた経験により、火を見るより明らかだからだ。


 自己紹介が何事もなく終わったことで、大塚はまた一つ居心地の悪さを感じる。

 やはり、大きな騒ぎが起きなかったことと、麻井陽太の存在が気にかかる。現に、隣の二組では乱闘でもしているのか、という騒ぎが壁越しにも聞こえてくる。おそらく、更にその隣の三組でも同様だろう。なんなら、静かなこの一組を訝しんでいるかもしれない。




 前途に不安を覚えるも、しかし職責は果たさねばならない。

 大塚が一年間の予定や学校生活での注意事項について話を進めようとしたとき、一人の女生徒が、挙手をした。ピンとまっすぐ伸びた手には、不思議と真面目さより快活さを覚えた。


 村上愛子だ。「先生、質問してもいいですか」と行儀良く質問する愛子に、大塚はそれを許可する。

 発言の前には挙手。これも、やんちゃ盛りの生徒達に教え込みたい、大切な一つの事項であったからだ。前例を作った者は優遇して、それを言外に告げる。


「えっと……、ごめんね。まだ一度じゃ名前覚えられんくって。さっき、『鞆浦のモンは、陸でもクラゲみたい』って言った子、どうしてそんなこと言うん? なんか気に食わんやった?」


 俺への質問じゃないのか! しかも蒸し返したぞこの馬鹿! 大塚の愛子に対する好感は消し飛んだ。

 だがすぐさま、「いや、冷静になれ俺」と大塚は自分に言い聞かせる。


 多分、おそらくでしかないのだが、この村上愛子という生徒は、致命的に空気が読めないのだ。更に言えば、好奇心旺盛で、純粋に思ったこと感じたことを口にしてしまう。

 子供らしく素直で擦れていない、良い資質だと思う。その資質を見せてくれたのが今このときでなければ、大塚は喜んで愛子の探究心を満たす手助けをしただろう。が、今でなくてもいいだろう、と重ね重ね思う。


「村上さん……やったっけ? すまんね、ウチのモンが。があとでキチッと言い聞かせておくで、勘弁したってくれん?」


「……ごめん、ナントカさん。んー、やっぱり一度じゃ名前覚えられんわ。でも、どうしたん? 私、アンタには話かけとらんよ」


 麻井の表情が作った笑顔のまま固まり、大塚は溜息、どころか息を飲んだ。

 愛子は話を蒸し返し、それに対し麻井が、野次を飛ばし愛子に質問された髭守小出身者を庇った。「ウチのモン」だの「言い聞かせて」だの、まるで任侠組織の若頭のような態度ではないか。それができるだけの統率力が、その小さな身体にある、ということなのだろう。

 大塚からすれば末恐ろしいと感じるし、学級運営を考えると、ひたすらに頭が痛い。


 そして、そんな麻井に対して愛子はなんと言ったか。「アンタには話かけとらん」だ。

 大塚が思うに言葉通りの意味しかなく、何故直接質問した相手ではない第三者が答えるのか、純粋に疑問に思ったのだろう。

 だが、人並みに空気が読める者ならこう聞こえたろう。「部外者は黙っとれ」と。


 麻井の存在感は既に教室中が気付いている。その麻井を、お呼びじゃない、と脇に避けたのだ。

 髭守側には、男子も女子も、再び怪しい空気が漂う。ちらほらと、「陽太さんになんちゅう口の利き方……」とも聞こえる。自分達の代表が虚仮にされた、と感じているのだろう。不味い。


 鞆浦側も同様に、男子も女子も腰を浮かしかけている。中には「愛子を守らんと……」などと聞こえる。

 どうやら、この村上という生徒は、鞆浦側の中心人物のようだ、と大塚は判断した。こちらも不味い。というか、愛子の立ち位置が己の認識どおりなら、余計に不味い。


 言い方は悪いが、下っ端同士の争いなら、手打ちにするのも然程難しくはない。それは、子供の世界でも変わらない。

 しかし渦中の麻井陽太と村上愛子が、それぞれの派閥の中心人物だと言うのなら、一度騒動になれば収集はつかないだろう。頭同士の争いは、完全に引き分けるか、どちらかが頭を下げなければまず終わらない。

 おそらく騒ぎは二組にも三組にも波及する。最悪の場合、上の学年にも飛び火し、代理戦争のようになるだろう。学級崩壊どころではない。学校崩壊だ。こんな田舎にテレビ局がカメラを抱え、喜々として醜態を映し出しに来るぞ。


 大塚は、自分を一組の担任にした校長と教頭を、強く、強く、これでもかと恨んだ。




 大塚は迷っていた。教師としては、愛子の発言を止めることは悪手である。止められないことはないが、挙手に応じ、発言を許可し、その内容に他者を害する文言は含まれていない。

 そして教師云々の立場を脇に置いても、喜ばしい結果にはならないだろう。

 騒動を起こさないことだけを考えて「村上、そういった話はあとでしなさい」とでも言えば、この場は収まるはずだ。だがそれでどうなると言うのだ。自分の目が届かない場所で乱闘騒ぎでも起こされたら、たまったものではない。


 それに、どちらかと言えば、やくざ地味た態度で同級生を子分として扱っている麻井にこそ、注意が必要だろう。自分は一度それを黙認した。

 大塚は教師を聖職と考え、それに殉じる一本気な教員ではある。あるのだが、この場においては、教育と、『生徒』という人間の集りの舵取り、という難題を抱え、機能不全に陥っていた。

 あえて大塚に同情的な意見を述べるのならば、偶然とは言え、麻井陽太と村上愛子という起爆剤を同じ学級に放り込んだ、学校上層部が悪い。


「ほいで、最初のナントカさん、答えてくれんね。どうしてそんなこと言うん? 私、まだアンタからの返事を聞いとらん。どうしても言いたくないんなら、引き下がるけども」


 大塚の葛藤を他所に、愛子は止まらない。初志貫徹。質問を続ける。


 質問された生徒は、周囲と違い、狼狽えている。初めは軽い野次のつもりだった。これから『鞆浦のモン』に舐められないためにも、軽いひと当ては必要だと思ったのだ。

 結果的として騒動にはならず、麻井の言葉で場が収まった。そこに不満はない。自分も徹底的に争いたかったわけではないし、髭守側を代表して代弁しただけ、という側面は、言わずとも髭守側の皆が承知している。陽太さん、に従うのも、今に始まったことではない。


 であるのに、一度は収まった話を、鞆浦の女が蒸し返している。それも、その他大勢の中から声を上げた自分を名指しして。

 野次った生徒はいたたまれなくなり、思わず麻井に助けを求めようとした。


 だが、麻井に期待した助けは得られなかった。

 麻井は野次った生徒へ冷たい視線を向けて、顎をしゃくる。意味は、「に恥をかかせるつもりじゃなかろうな」だ。


 この入学初日に鞆浦の、それも女に頭を下げたと知れたら、町に帰ってから何を言われるか。

 しかし、この場で麻井の機嫌を損ねるほうが、余程恐ろしいし、考えすぎでなければ親族も立場が悪くなる。

 逃げ場が無くなった生徒がとれる行動は、一つだけだった。


「村上さん、ごめんなさい。みんなから鞆浦の人達は……あ、いや、違くて。中学に入学してちっと気が大きくなっとった。それに、初めて会う同級生に、僕を強く見せたかったんよ。だで、つい思ってもおらんことを言うた。鞆浦小の皆さん、このとおり。ごめんなさい」


 文字どおり頭を下げて謝る生徒の姿は、痛々しいの一言だった。

 麻井に指示された以上、先程、場を収めた麻井の顔を潰す言い回しはできない。となれば、髭守の人間を指す「みんな」は不味い。それが公然の、秘密ですらない事実だったとしても。髭守と麻井家はほぼイコールだからだ。

 ならばどうするか。己の身一つで収めるため、自分が粋がって調子に乗った、と告白するしかない。衆人環視の中、中学の新入生にさせるには、あまりに酷であった。


 中学生であれば、それなりの機微がわかる歳だ。鞆浦側の生徒達も、泣きそうに謝る生徒を見て、口火を切った人間とはいえ、少々不憫にさえ思った。

 だからか。まるで湿度を感じさせない、あっけらかんとした能天気な声がやたら響いたのは。


「なんね。したら緊張しとっただけやったんじゃ。良かったあ。緊張しとるん私もなんよー。制服なん着慣れんし、そもそもスカートなんよう穿かんで、ヒラヒラ落ち着かん。それに小学校のときはみんな友達やったけれど、中学でもそうなれるかなって。なれたらいいなって。

 でも、初日からもう、一人できてもうたで。一安心だわ」


 髭守側の生徒達は、謝罪に対し、今後は気をつけろ、というような釘を刺す言葉でも返ってくるもんだとばかり思っていた。

 愛子達に頭を下げた生徒は、愛子の追撃如何によっては、人目を憚らず涙を零しただろう。


 しかし、返答は予想外の和解。そしてこの女、最後に何と言った?

 意味がわからず、思わず涙声のまま「あの、村上さん?」と質問し返してしまう。


「なんね野次の人。や、こら友達の呼び方やないね。名前、もう一度教えてくれん?」


 よくわからないまま、乞われたとおりに「僕、吉村です」と答える。というか、今「友達の呼び方」と言ったか? もうそれが聞きたかった質問の答えなのだが。

 愛子は吉村のほうけた様子を他所に、小声で「吉村くん……覚えた」と零し、「で、何なん?」と再び返す。


 返されても吉村としては半ば回答を受けてしまっているので、かえって困るのだが。

 しかし質問を返したのは自分だ。意図を説明しなければ、話が進まない。


「えっと、さっき僕のこと『友達』言うた気がしたんやけど。僕ら……友達なん?」


 言って思った。我ながらなんと間の抜けた問いだろうかと。

 チラと麻井を見れば、あきれたような、珍しいものを見たような……わからない。この陽太という子供は、同い年ながら読めないところがありすぎる。

 わかるのは、愛子からジッと目を離さずにいることだけだ。


「そらそうやろ。吉村くんは、悪いことしたんは謝ったで、それは言われたみんなも、もう怒っとらんし。というか、こっちの子らも言い返しとる分は、ちゃんと謝らんとね。田辺、アンタに言うとるんよ。

 そんで、友達かって? 私が決めたで、友達なんよ。こんな大勢の前であんなふうに謝るんは勇気がいるわ。私、肝の座った男の子っちゃ素敵や思う。吉村くんのこと気に入ったで。

 ほいで、ここからは謝られた側の特権。少しくらいのわがままは許されろ? だで、今日から私と吉村くんは友達なんよ。緊張仲間やし。私の中学の友達第一号じゃ。よろしくね」


 繰り返すが、愛子は両親や周囲からひたすら愛されて育ったため、人の悪意に多少鈍感ではある。が、頭の出来が悪いわけではない。


 髭守町での力関係など知らない。初めてあった麻井陽太の、同級生への影響力も知らない。

 しかし、多少不自然であろうが恥を曝してでも頭を下げ、動機も責任も自分にある、と言い切った男子は、勇敢だと思った。

 だから、友達だ。嫌がられても、友達だ。立場は、一時的にではあるが、頭を下げさせたこちらが上なのだ。だから、友達かどうかを決めるのは自分だ。愛子は、そう宣言した。


 鞆浦側の生徒から、忍び笑いが聞こえる。「愛子はわがままじゃの」だの、「ほうじゃ。自分で『わがまま』言えば許されるもんでもなかろうが」だの。

 愛子は、裏切られた、とでも言いた気な顔で、年単位付き合ってきた顔を次々に見やり、「なんか文句があるん!」と吠える。


 そこには、先程までの険悪な空気も、不気味な空気も、緊迫した空気も、ありはしなかった。

 あるのは、、賑やかで穏やかな、入学式当日の空気感だけだ。




 ことの成り行きを見守っていた大塚は、村上愛子への認識を改めた。

 なんとかと天才は紙一重という。「天才」を「大物」と言い換えることもある。村上愛子とう女生徒は、おそらく、なんとか、ではなく後者のほうだ。

 一時は学級運営に多大な不安を感じていた大塚だが、これは案外どうにかなるのでは? とある種の楽観的思考に至っていた。

 少なくともこの女生徒がいて、自分らしさを失わない限り。

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