四、小学生愛子

 香田夫妻の一人息子である香田太一も、先述のとおり、登校初日から空気を読まず『やらかして』しまったため、その後の学校生活は肩身の狭い思いをすることになる。


 太一のやらかしを語るには、まず、村上愛子がどのような立ち位置にいたか、について触れなければならない。

 そして村上愛子の立ち位置に触れるなら、髭守町と鞆浦町の関係にも触れざるを得ない。




 香田一家の移住に対し、二年先駆けて、村上一家は海辺の鞆浦町へ越してきた。

 地理的に言えば、鞆浦町が緩い湾に沿うように東西に長く広がっており、そこから北に山を越えると、盆地になった髭守町がある。

 どちらも行政区画としては「町」と呼ばれるが、これはそれぞれ別の町村と合併した故のものであり、規模としてはどちらも『村』だ。


 そんな両であるが、先述のとおり、とにかく仲が悪い。


 理由としては、諸説ある。

 一つは、元々はどちらも某という同じ氏族の治める土地であったが、あるときを境に、本家と分家に別れた。このあたり、初めは良くとも、いずれ仲違いするのは歴史の常として珍しくない。

 一つは、髭守も鞆浦も含む一帯で龍神信仰が存在するのだが、あるときから、髭守の者達が「龍神樣がおわすのは髭守だ。地名もそこから来ている」と主張し始めた。当然、鞆浦の人間は面白くない。ので、揉める。

 一つは、髭守は盆地という土地柄からして、塩を求めるなら、他所へ買付に出なくてはならない。地理的に当然の流れとして、髭守の人間は最寄りの鞆浦へ塩の買付に赴く。この売買交渉で揉め事があった。

 とはいえ、三つ目に関して言えば、険悪な仲だったからこそ揉め事が起きた、という話かもしれない。卵が先か鶏が先か、それは誰にもわからない。


 そして歴史の話をするのなら、源平、南北朝、戦国、維新、と日本国内でも度々大規模な内戦が起きているわけだが、髭守と鞆浦は必ずと言っていいほど、別の陣営に別れて争ってきた。

 距離的には近いはずだが、山を挟んでいることが、お互い適度に争い、適度に捨て置ける関係にあった。昭和の中頃にトンネルが開通するまでは、微妙に近くて微妙に遠い。そんな距離だったのだ。

 ちなみに最も古い資料としては、鎌倉末期には既に現在の関係の土台が作られていたようだ。




 このような背景があり、髭守と鞆浦の者達のあいだには、『なんとなく』レベルの嫌悪感が存在する。

 都市の人間には想像し難いことだが、ある特定地域の生まれ、というだけで、別の特定地域では受け入れられづらい、ということは実際に例がある。少々距離と面積に差があるが、北の津○と南○を思えばわかりやすいか。


 そして大人達の『なんとなく』な嫌悪感は、子供達にも伝わる。

 大人が直接「山向の連中とは口を聞くな。関わるな」と教えたり、大人同士で話ているのを聞いて、勝手にしていく。


 自分達とは違う新しい価値観、考え方の入りづらい土地において、そういった永い時間でされた固定観念というのは、なかなか取り除くことが難しい。

 そも、どちらの土地にも基本的にはいがみ合う人間しかいないのだから、その固定観念を取り除こうと思う人間がいない。いても少数であり、多数の同調圧力に負ける。

 負けなかった者は、勝てもせず、村八分にされるか土地を追われる。


 そんな、他所者から見れば馬鹿馬鹿しい負の遺産が現代まで残ってしまったのが、この髭守町と鞆浦町という土地なのだ。




 そして、村上愛子はである。それも、東京なんぞというドラマやニュースでしか聞かない現在の日本の首都からやってきた、他所者の権化だ。鞆浦要素は欠片もない。

 しかし、愛子は鞆浦の人間に受け入れられた。全体的に見れば父智昭の存在が大ではあるとはいえ、子供社会に限って言えば、本人の素質も大いに貢献していた。




 まず、村上愛子の容姿は悪くない。美少女、と表現すると少々大袈裟な感がないでもないが、愛嬌があり、よく笑う。

 外遊びで真っ黒に日焼けし、笑う度に白い歯が輝く様は、同世代の男子達を簡単に魅了した。おそらく将来に至っても、「綺麗」だとか「美人」というより、「可愛い」として好かれるたちだ(勿論、ある程度以上に顔の配置が整っていれば、「美人」と呼んで差し支えはないのだが)(もっと言えば、本人の所作や人間関係における立ち振舞に教養、それらを以て「美人」と称すこともあるが、今は置いておく)。


 


 田舎では、東京からやって来た、というだけでひ弱な印象を持たれがちだが、愛子はお転婆だった。そも、外遊びで日焼けした女の子が、ひ弱なわけがないのだ。

 まだ性差による筋肉量の多寡も然程目立たない年頃である。活発な女の子であれば、男の子に混じって遊ぶことはできる。

 鬼ごっこだろうが隠れんぼだろうが、新聞紙を丸めたチャンバラごっこだろうが面子遊びだろうが、学校に空想の舞台をこしらえ繰り広げられる探検ごっこだろうが、愛子は喜んで参加した。そのうえで、けして足手纏にはならなかった。


 となれば、多少面白くない気持ちを抱く者も出てくる。その逆の気持ちを抱いても、結果的に同じ言動を選ぶことも。


 あるとき、あまりに男子連中の遊びに問題無く付いてくるので、一人が愛子を「男女」と呼んだ。

 子供らしい、気になる子への意地悪といったところで、酷い悪意があったわけではない。しかも、口にしてすぐに後悔していた。

 周囲の生徒達は、愛子に泣かれはしないかと若干やきもきしていた。

 しかし愛子は、「男の子のカッコよさと女の子のかわいさがあわさったら、さいきょうだ! わたしすごい!」と弾ける笑顔を見せた。

 皆が呆れると同時にほっと安堵し、愛子を「男女」呼ばわりした男子すら、彼女を認めざるを得なかった。


 愛子は外遊びを好んだため、男子と行動を共にすることが多かったが、女子と疎遠だったわけでもない。

 愛子は自分が『できないこと』であれば素直に認め、教えを乞うことを全く恥ずかしがらなかった。

 女子のあいだで流行っているアニメのキャラクターも知らない。あやとりもできなければ、シール集めもしたことがない。だから愛子はそれらを、片っ端から聞いて回った。そして教えてくれた相手には笑顔で礼をいい、「好き!」と思ったままを口にした。

 比較的おとなしい子でも、少々な面倒見のいい子も、愛子を放っておけなくなった。守られているだけの弱い子ではないが、自分達が教え導いてやらなければ、と自然にそう思わせる愛玩動物にも似た空気感が愛子にはあった。

 

 男子とも女子とも仲良く遊ぶ愛子は、度々、男女感や、男子同士、女子同士で取り合いになった。

 この手の行動は独占欲や所有欲などの感情が主であるため、理屈で説いたところで収まるものではない。

 そういうとき、愛子は決まって、泣いた。それも大声で。愛子は良くも悪くも、泣き虫であった。


 わんわんと可愛らしい顔を歪めて大粒の涙を流しながら言うのだ。

 誰くんは優しいところが好きだし、誰ちゃんは頭が良くて聞いたことはなんでも教えてくれる。好きな人と好きな人が怖い顔でケンカしてるのは嫌だ。そう言って泣く。

 泣いている理由が、「どっちを選ぶんだ」と詰め寄られたことではなく、自分達のケンカそのものであると言われ、ついでに大声で己の美点を曝され、愛子を取り合っている全員が冷静にならざるを得ない。


 そして、揉め事への関与が比較的薄かった数人の女子だけが愛子に近づき、この純粋で愛らしい少女を宥め、泣き止ませる権利を得る。

 頭を撫で、優しい声で「もうだれもケンカしてないよ。みんなあいこちゃんが好きなだけだよ。本当はみんななかよしだよ。だいじょうぶだよ」と。

 泣き止み、鼻をすすりながら愛子が聞く。「ほんとう?」と。元の顔がいいだけに、これでその場の全員がノックアウトされる。そして、泣かせてしまったことに対しての一斉謝罪が始まる。


 その輪の中で、完全に泣き止んだ愛子は笑う。そして直った機嫌そのままに、「じゃあ、みんなであそぼう。みんなでできるヤツがいい!」と言い放つ。

 やんちゃな男子から大人しい女子までが共に遊ぶとなると、選択肢はほとんどない。愛子達のあいだでは、ヒーローごっことおままごとを合わせたような、寸劇地味た遊びがそれであった。


 愛子はその中で、ヒーローの紅一点やお姫様役を勧められることが多かったが、本人は役どころには拘らず、そのときそのときの気分で端役もこなした。そして満面の笑みで言う。「みんないっしょで、楽しいね!」と。




 愛子は、人を傷つけ陥れる悪意など微塵も持ち合わせていないが、適度に悪戯好きでもあった。

 教職員に虫や蜥蜴などの小動物を見せては、悪垂れ共と一緒に叱られている姿がよく目撃された。


 では、正義感に欠けるか、と言えば、そうでもない。非道を目にしたのなら、相手が上級生の男子だろうが食って掛かった。

 恐れ知らずなのではない。固く握った拳も、懸命にピンと伸ばした膝や背筋もも、恐怖で震えている。


 東京モンの(自分達を魅了した)女の子が、勇気を振り絞ってに立ち向かっている。これを見捨てて、お父さんやお母さんに今日のことを話せるだろうか。きっとお父さんは「そんなんは鞆浦ん男じゃねえ」と自分を叱るだろう。それは嫌だ。

 そして何より、好きな女の子を見捨てる自分になってしまうことは、叱られることよりももっと嫌だ。


 そう考えた一人が動けば、あとは雪崩を打ったように同級生の男子達が駆けつける。ついでとばかりに、気の強い女子達も駆けつける。

 いくら体の大きな上級生とはいえ、女子を守るために立ち上がった大勢の男子を相手にすれば、たじろぐくらいはする。


 必死に自分を睨む下級生を一人ずつ張り倒していくか逡巡していると、騒ぎを聞きつけて大人である教員がやってくる。大体はそれで手打ちだ。

 愛子を守った男子達は同級生の女子達から勇気ある行動を褒められ、愛子は愛子で親しい女子に無茶を諌められている。

 過程や結果がどうであれ、愛子が友人達から愛されていることだけは確かだった。


 ちなみにこの『東京モン』扱いも、一年生の一学期のうちに鳴りを潜め、二年生に上がる頃には完全に消えた。

 ある意味、その時点で愛子は『鞆浦の子』と認知されたことになる。




 それだけ、地元の子供達の懐に入り込んだ愛子の言動には、母依子の教えもあった。


「愛ちゃん。愛ちゃんはお父さんやお母さんのこと好き? ……そう、ありがとう。お母さんも愛ちゃんが大好きよ。お父さんもね。それでね、愛ちゃんに一つ、お母さんからアドバイスがあるの。聞いてくれる?

 愛ちゃんが通う鞆浦小学校ってところには、たくさんの、愛ちゃんくらいの子供がいるわ。その子達を試しに、ウチの子だって思ってみるの。つまり愛ちゃんには、小学校にいる分だけの、たくさんのお兄ちゃんや弟や、お姉ちゃんは妹ができるの。そうしたらきっと、小学校がすごく楽しくなると思うわ。

 思ってみるのが嫌だったり、思って見ても楽しくなかったら、『ウチの子なんかじゃない! 家族じゃない! お母さんのアドバイスは全然うまく行かなかった!』って怒ってくれていいわ。だから、一度試しにね、やってみてほしいの。

 それで、うまくいってもいかなくても、そのお話をお父さんやお母さんに聞かせてちょうだい。お母さんは、うまくいくといいなー、なんて思っているのだけれど」


 人類皆兄弟。それを文字通りに本気で掲げて、誰も彼もがそのとおりに成れるのなら世話は無い。人に宿る業とは、一言の格言で丸く収まるほど安くはない。だからこそ世界は平和にならない。

 依子の助言はけして普遍的ではないし、それは依子も重々承知している。しかし、村上愛子という、自らの愛娘である一人の少女に対しては、うまく作用するのではないか、そんな思いがあった。


 結果として愛子は、小学校六年間を通して大勢の友人を作ることに成功し、依子の助言はこの上なく上々の首尾に終わった。

 誰に言っても成功するとは限らないだろう。ある意味奇跡的なこの結果は、母依子が、愛子を心から愛し、慈しみ、その性根をよく把握していたことと、愛子の周辺環境について確度の高い予測ができるだけの観察眼を持っていたことが理由にある。


 とはいえ、最も大きな要因は、運である。

 だからこそ、依子は愛子が夕食の席で学校での話をする度に、胸を撫で下ろし、心からの祝福を娘に送っていた。

 たかだか一人の母親の助言で娘の学校生活が輝いたものになると考えるほど、依子は楽観的ではなかった。




 そうして、愛子は家族と級友達に愛され、小学校の六年間を過ごした。

 時折、「男女」だの「泣き虫愛子」だのとからかわれることはあっても、皆、愛子が好きだった。

 これだけ多くの味方を引っさげて、愛子は猪投ししなげ中学校に上がる。

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