第41話 予期せぬ再会


「ほう、小僧。少しはいい顔になったの」


 俺の準備が終わった頃に、おじいさんが来た。

 時刻は朝の九時。

 このあとすぐ移動して、十時に氷室邸に入り見合いの席が開催される予定だそうだ。


「さて小僧、覚悟は決まったようだが覚悟だけでは大事なものは守れんぞ。男は努力や過程というものよりも、結果が求められる」

「わかってます。先輩を助けれませんでした、なんてことは絶対にないようにします。死んでも、必ず」


 死なないけど。

 今日ばかりは、この体に感謝する。

 どんな危険でも臆することなく突撃できるこの体質が、臆病な俺の心を補ってくれる。

 それに、この体のおかげで先輩と知り合えて。

 先輩を、好きになれた。


 ……。


「行きましょう」


 今までの不幸も不遇も、これから待つ不安も全部、今日先輩を助けるためにあるのだとすればそれはそれでいいと。

 そう思えることこそが、俺にとっては救いだ。

 先輩は、暗く冷たい俺の人生を救ってくれた光だ。


 そんな先輩に俺はまだ何も返せていない。


 なんなら、俺を斬りたいんだったらぶった切ってくれても構わない。


 なんて言ったらばっさりやられるんだろうな。


 ま、その時は無視してやろっかな。

 拗ねた先輩も……まあ、可愛いもんな。



「神楽、お父様が到着されたそうよ」

「はっ、すぐに向かいます」


 高屋にはなるべく人と会わない道を教えてあげたが、うまく出ることができただろうか。

 従者たちは誤魔化せても、母に遭遇したら怪しまれるだろうし、もし私をここから逃がすために忍び込んだなんてことがバレたら退学どころでは済まない話になる。


 だからどうか何事もなくと、祈るように部屋で待機していると母から呼ばれた。

 おじいさまがきてくれたそうだ。

 高屋を遣わせたのも多分おじいさまの仕業だろう。

 それにみっちーも。

 ……。


 いや、今は余計なことは考えるな。

 不穏な空気を悟られたのでは、それこそおじいさまにまで迷惑をかけてしまう。

 平常心、平常心……。


 心を落ち着かせながら部屋を出て向かったのは家の中央にある応接間。

 教室何個分かはある広さのそこには、一体どこに需要があるのかと訊きたくなるほど長く大きなソファが向かい合わせで置いてあり、一体どんな大家族がここで食事するのかと苦言を呈したくなるほど大きなガラスの机がある。


 部屋の周りにはよくわからない石像や壺、絵画などが無数に飾られていて落ち着かない。

 私はこの部屋が嫌いだ。

 広い部屋で、無言の父の死んだような顔を見ながら、母のつまらない教養話を聞きながらの食事。


 私語は禁止。

 嫌いな食材を残すこともダメ。

 作法を間違えれば怒鳴られ、毎日毎日氷室家の将来についての話のみ。


 姉がいたころはまだよかったが、一人になってからは地獄。

 そんなトラウマばかりがこの部屋に入ると浮かんでくる。


「お嬢様、こちらの席へ」

 

 じいやに案内されて席に着く。

 一番真ん中が今日の私の席。

 そしてその向かいには、私の婿となる予定の人間が座るのだろう。


 ……その相手くらい、自分で選びたいものだが。


「おお、神楽。綺麗な着物姿じゃ」

「あ、おじいさま。ありがとうございます」


 部屋で一人待っていると。

 おじいさまが部屋にやってきて私の元へやってくる。

 少し期待はしたが、部屋に入ってきたのはおじいさま一人。

 みっちーはいなかった。


「……おじいさま」

「ほほう、既に事情は聴いておるな。しかしここでその話はなしだ。なに、心配せずともおぬしの待ち人は必ずくる」

「彼はもう、屋敷の中に?」

「ああ、従者たちが控える隣の部屋におるわい。今ここでやつに動いてもらってもよかったのだが、まだ警備が厚い。その時がくるまでもうしばらくの辛抱。あやつも今頃そわそわして死にそうになっとるのではないか?」

「そう、ですか。しかしおじいさま、私は」

「言うな神楽。わしらはわしらの勝手でしたまでよ。いざとなった時、選ぶのはおぬし自身。ここに残るもまた、おぬしの選択と思うておる。ただのう。選択肢がないというのはいただけないというだけだ。わしらにできるのは選択肢を与えることのみ。あとは好きにせい」

「おじいさま……」


 選ぶのは自分自身。

 いつも何も選ばずに、ただ従ってきただけの私に、そんなことができるのだろうかと不安になる。


 でも、選ばねばならぬ。

 もし高屋の話が本当で、この後みっちーが私を連れ去りにやってきたとして。


 私がその手を取るかどうか。

 ……。


「ふう……」

「まあ、その時の自分の気持ちに素直になることだ。おっと、来たぞ」

「お父様、ご無沙汰しております」

「おお、氷風……いや、今は当主様でしたな。お先に失礼しております」

「まあまあ、お顔をあげてください。今日はめでたい日なのですからかしこまらず」


 実の娘に丁寧に頭を下げるおじいさまを見て、本当にうんざりする。

 この家では当主こそが絶対的立場。

 

 たとえ親でも、当主である子には逆らうことを許されない。

 おじいさまが家を出て行った理由ははっきりと語ってはくれなかったけど、おそらく母に追い出されたのだろう。

 親子として、最低限の縁を残してはいるものの、そんなのは世間体を気にしてのことに過ぎない。

 凍てついた心をもって政をおさめる。

 それがこの家の家訓でもある。


 さっさと私の横へ母がくると、おじいさまは無言になる。

 そして母が黒服に「お相手の方を招きなさい」と指示すると、少しして応接間の扉が開く。


「失礼します」


 若い男の声に振り向くと、そこに立っていたのは私と同い年くらいの青年だった。

 おそらく高校生だろう。

 いや、しかしうちの学校にいたか?


「あ、神楽さんお久しぶり」


 見覚えがない、というか記憶にないはずなのだが向こうは私を知っている様子。

 いや、誰だ?


「俺だよ、足立だよ。まさかこんなところでご縁があるなんてな」


 足立、と名乗ってきたのだが私はまだピンとこない。

 いや、誰だこのひょろ長いもやしは?


「あら、足立様。神楽とお知り合いとは失礼しました。この子ったらそういう話をしないもので」

「いやあこの前学校で偶然ですから。あ、もしかして神楽さんのお姉さまですか?」

「あらやだ、私は母ですわ。お上手ね、足立様ったら」

「えーそうなんですか? いやあびっくりしました、あはは」

「おほほ」


 母は大切な客人の前ではいつもこんな感じだ。

 よく笑うし、いつもとは打って変わって下から話をする。

 それほど、この、ええと、あだちっち? とかいう棒みたいなのは氷室家にとって重要な家の出身なのだろう。


「よいしょっと。いやあ、今日は神楽さんと見合いだなんて夢のようですよ。末永くよろしくお願いしますね、神楽さん」


 堂々と私の向かいに座り、馴れ馴れしく話しかけてくるその態度にイラっとする。

 バッサリぶった斬ってやりたい。

 いや、しかしそんなことをしたら大惨事なのだが、それくらい目の前の男子の顔が生理的に無理だ。


 整ってはいるがキモい。

 え、いくら親のいいつけでも氷室家のしきたりでも無理……。


「さあ、それでは若い者同士で話をしてもらいましょうか。お父様、私たちは隣で足立様のご両親とご挨拶を」

「あ、ああ。ではな、神楽」

「え、あ……はい」


 おじいさまと母が退席してしまった。

 いや、待ってくれ。こんな変なのと二人っきり?

 無理。


「おっと、二人っきりになったね神楽」

「……」


 え、なんで急に呼び捨て?

 このもやし、馴れ馴れしいどころか礼儀も知らんのか?


「もしかして緊張してる? あはは、俺たちは夫婦になるんだからゆっくり愛を育んでいこうよ」

「うっさいもやし」

「え?」

「失礼、なんでもないです」


 うっかり心の声が漏れてしまった。

 いかん、今は平常心だ。落ち着け氷室神楽……。


「そういや、この前一緒にいた後輩のモブとはちゃんと縁を切ったかい? 俺たちが結婚して嫉妬でストーカーでもされたんじゃ困るからね」

「……君には関係ない話だ」

「あるよ。まだ状況が理解できてないのかな? 我が足立グループは氷室家と切っても切れない間柄。この縁談は誰がどうあがいても破談にはならない。もしそんなことになれば一体何人の人が路頭に迷うか。君は賢いのだからちょっと考えたらわかる話だろ?」

「……」


 そうだ、私が自分を殺してでもこの家を継ぐ決心をしたのはそういう理由もある。

 氷室家に依存して、それで生活している人間は数えきれない。

 もし後継ぎがおらず、氷室家がなくなってしまえばどれだけの人間に迷惑がかかるか、その被害は計り知れない。

 だから。

 多くの人のために個人が犠牲になると。

 そう心に決めて、姉上の代わりにここにいるはずなのに。


「ねえ、どうせ俺たちは夫婦になるんだし、ちょっと早いけど今日から君の部屋に泊まってもいいかい?」

「……」

「あはは、男性経験がないのかな? よかったら俺が手取り足取り教えてあげるから」

「……」


 あー、やっぱり無理。

 手取り足取り? その手足をもぎ取ってやろうか?

 い、いかんいかん我慢だ。


 私がここで取り乱したらそれこそ……。


 でも。


 みっちー……。

 

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