第40話 潜入

「おっはよー」


 先輩の見合い当日。

 勝手に部屋に入ってきて元気よく挨拶するりっちーさんの声で俺は目覚める。


「ん……え、りっちーさん?」

「心配だから起こしにきたよ。今日はいよいよ本番だね」

「いや、その前にどうやって入ってきたんすか? 鍵はちゃんと」

「んー、こじあけちゃった」

「そういうとこはほんとあの人の姉だな!」


 氷室家に生まれたら不法侵入癖が遺伝するのか?


「まあまあ、それより君の変装もしないとだし」

「あ、そうでしたね。そういや、高屋は?」

「ばっちり。昨日、あれから着付けのことを教えてあげて、実家の見取り図とかも目を通してもらっておいたの。何かあった時にあの広い家で迷子になられても困るから」

「……ありがとうございます」

「お礼をいうのはこっちだよ。もう、みのりんは家に着く頃だろうからうまくやってくれることを祈りましょ。さて、おじいさまがこっちに向かってるから準備するわよ」


 昨日聞かされた予定よりは随分と早い時間だったけど、それだけみんな内心は焦っているのだろう。


 氷室先輩を取り戻すための闘い、なんて大袈裟な方で話ではなく。

 みんな結局先輩のことが好きで、そんな先輩にただ自由に生きて欲しいと願うからこその行動だ。

 

 うまくいくかどうかとか、この作戦の後で自分がどうなるかとかは考えたら負け。


 大好きな氷室神楽のために何ができるかだけを今はそれぞれが考えて、精一杯やれることをやるだけだ。


「じゃあ、お願いします」


 俺は、りっちーさんにメイクを施してもらあながら決意を固めていく。

 

 部屋を出たらいよいよ、氷室家に殴り込みだ。



「神楽様、着付け業者の方が来られました」

「うむ、通せ」


 今日は私の見合いの日。

 氷室神楽は氷室家の跡取りとして、見ず知らずの誰かとの婚約を今日、交わす。


 みっちーと遊園地に出かけたあの日から数日、私は悩んだ。


 果たしてこのままでよいのかと。

 ようやく、自分の意思で好きだと思える男子を見つけることができたのにこのまま誰かのものになってしまうことが幸せなのかと。


 涙した夜もあった。

 しかし、現実は泣いたくらいでは変わらない。


 厳重に監視が張り巡らされた我が家からの脱出は不可能で、携帯も何もかも没収され、本くらいしかない自室に軟禁され。


 母もまた、本気でこの見合いを成立させようとしていることが伺える。

 母の本気には勝てない。

 そう自覚してから、ようやく諦めがついたのか昨日の夜は思ったより気分が楽になった。


 だんだん、こうやって思い出すらも思い出せなくなっていって。

 いずれ私の婿として受け入れる男性とそれなりの関係を築いていって。


 やがて私も母のようになるのだろう。

 そうやって氷室家はこの一帯での権力と、巨万の富を維持してきたのだ。


 何事にも犠牲は伴う。 

 そういえば、そんな話をみっちーにもしたっけ。

 ふっ、我ながらよくわかっているではないか。

 それに、犠牲になるのが自分じゃないとは限らない。

 私が、私の願望のために自らを犠牲にしてもいいと言ったように。

 氷室家の繁栄のために、私が犠牲になっても仕方ないと言う母の言い分も、結局は同じこと。


 それだけのこと、なのだ。


「失礼しやーす」


 着物の着付けをしてくれる業者がきた。

 しかし随分と崩れた挨拶だ。

 礼儀知らずなやつ……


「君は?」

「ちっす先輩ご無沙汰っす」


 部屋に入ってきたのは、いつぞやのカラオケ店員であり、私がファミレスにも呼び出したことがある後輩。

 高屋みのり。


「どうして君が……アルバイトでもしているのか?」

「んー、話せば長くなるんでとりあえず鍵しますね。あと、この部屋って監視カメラとかあります?」

「さすがにそういうものはない」

「ならオケーです。さて先輩、とりあえず着物着せながら話しますんで」


 私服姿の高屋は大きなトランクから着物を取り出す。

 慌てて服を脱ぐと、「ほえー、先輩スタイルヤバっ」と言いながら高屋は着物を私に着させてくれる。


「……なんか変な気分だな」

「着物、普段は着ないんすか?」

「そうじゃない。君に着せてもらうことが、だ」

「なーる。ま、今日はちょっと先輩にお話がありましたもので」

「その話とはなんだ? 言っておくがみっちーのことなら私はもう」

「ほんとに、その先を口にしていいんすか?」

「え?」


 高屋は着物の帯を巻きながら、少し力を強める。

 

「先輩、うちが千ちゃんのこと好きっていうことくらいはわかりますよね?」

「……そうでなければみっちーをデートに誘ったりはしないだろうからな」

「さすが学習が早いすね。でも、そんな私にとって先輩はいわゆるライバルなんすよ。もっと言えば敵、すかね。そんな邪魔者である先輩が自滅してくれようってのに、私はここに何しに来たと思います?」

「なんだ、みっちーとのことを自慢しにきたのか」

「だといいんすけどね。一回しか言わないんで。今日、千ちゃんがここにきます」

「なに?」

「最後まで聞いてください。で、先輩のおじいさんが見合いの席であれこれやってる隙に、千ちゃんが先輩を連れ出すので一緒に逃げてください」

「な、なんだと? そんな馬鹿げた話が」

「あるんすよ。千ちゃんは、先輩が誰かのものになるのが嫌なんだって。だからみんなで助けようって、そんな馬鹿げた話っす」

「……なぜ」


 なぜ、みっちーが私を助けにくる?

 私は彼にとって、別に何者でもないはず。

 むしろ私は彼を切り刻んでやろうとしていた張本人だ。


「……」

「ふーん、そういうとこ、まだまだ察しが悪いすね」

「なあ高屋、みっちーはどうしてここに来るのだ? 氷室の家にたてつくなど、タダでは済まないことくらいおじいさまから聞いているだろう」

「その答えは直接本人から聞いてくださいっす。うちが言うのは野暮だし、そこまでする義理はないす」


 はい、できた。

 と、着物の帯を綺麗にしめたところで高屋は腰のあたりをパンと叩いてから。


 私の前に立つ。


「先輩、どうしてうちが先輩を助ける作戦に協力してると思います?」

「……さっぱり理解できん」

「でしょね。ほんとなら先輩がこのまま消えてくれた方がいいんすけどね。まあ先輩にも借りがあるんすよ実は」

「借り、だと?」

「ま、その話は先輩が無事逃げおおせたら話します。それに、好きな人が守りたいものを犠牲になんて、できないっしょ」


 あー、うちかっけえわ。

 とか、勝手に独り言を言いながら高屋は最後に「死ぬ気で彼の手をとってやってくださいね」と言って、部屋を出て行った。


 みっちーが、ここにくる……。

 そう聞かされただけで、まだ姿も見ていないのに、心臓が狂ったように鼓動を早める。

 息が苦しい。

 顔が熱い。

 密室で着物なんて堅苦しいものを着ているせい、ではないことくらいわかる。


 彼のことを考えるだけでおかしくなりそうだ。

 昨日までの絶望が、まるで嘘だったかのように体が軽くなる。


 みっちー……早く、会いたい。


 でも。


 あの母親から逃げるなんてことが果たして……。

 

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