第39話 いよいよ

「さて、誰かさんのせいで取り乱したが。今から早速明日のことを説明するぞ」


 りっちーさんに汗を拭いてもらいながら、おじいさんはよっこらしょっと地べたに座って話を始める。


 俺はまだおじいさんの殺気の残像に怯えながらも正座し、高屋はベッドにぴょいっと腰かける。


「明日、おぬしにはわしの使いの者として同席してもらう」

「ええと、早速質問ですけどそれって大丈夫なんですか?」

「うむ、受付の者や氷室家の従者たちはわしに頭が上がらん。わしがいいと言えば、誰でも中に入るくらいはできる。ただし、明日だけだがな」

「……でも、高校生ってのはさすがに」

「問題ない。律華は大学でメイクなるものを学んでいての。聞けばおぬしを少し老けさせるようなことも可能だと」

「へえ」


 なるほど、変装ってわけか。

 でも、それで中に入れたとして……。


「そこから、俺は何をすれば?」

「まあ慌てるでない。まず、状況を見て神楽に事情を説明する。ただ、見合いが始まれば親族以外は立ち入ることは基本的に禁じられるからの。タイミングは一瞬の勝負となる」

「い、いつですか?」

「氷室家の見合いの儀の途中、わしが酒を零す。そして、使いの者を呼ぶ合図として手を叩く。そこでおぬしが、わしの為にハンカチをもって部屋にくるのだ。それくらいのことなら違和感なく入ってこれようて」

「な、なるほど……で、そのあとは?」

「神楽を捕まえて逃げい」

「……へ?」

「なんじゃ、それ以外あるまいて。娘の説得はその後わしがやるから、まずおぬしは神楽を氷室家の敷地から外に出すのだ」

「え、そ、それならまず交渉をしてから穏便にやった方が」

「そんなもので説得できるようならこんな回りくどいことなどせん。わしの娘は我が子ながら相当な冷血。娘のことも氷室家繁栄のための道具としか見ておらん。それもこれも……わしがいけないのだがな」


 もう少し早く、今の境地であれば。

 おじいさんはそう零して、しょんぼりする。


「おじいさま、大丈夫です。きっとお母様もわかってくれます」

「律華……うむ、しかし見合いが成立してしまってはもう遅いからの。とにかく妨害も兼ねて、神楽を連れ出すのが明日の絶対命題だ」


 と、再び顔をあげて力強く語ってからおじいさんは立ち上がる。


 で、なぜか高屋を見る。


「おい、そこの娘」

「ん、うち? なんすか」

「おぬしにも仕事を頼みたい。もしかすればこっちの方が重要かもしれん」

「えー、そんな大仕事無理ぽだけど」

「ここにおる以上文句は言わせん。おぬし、着付けなどには心得があるか?」

「え、なっしんだけど」

「それはあるのかないのかどっちだ?」

「だからなっしん」

「……」


 また、おじいさんが切れそうになったところでりっちーさんがあれこれ翻訳してくれて意味が伝わった。

 まあ着付けなんて、したことある高校生の方が少ない。


「ふむ、それなら今から律華に教えてもらうがよい。明日の神楽の着付けを担当する予定だった業者にはもう手を回してある。おぬしがその担当者に成りすまして、神楽に近づいてから作戦についてを説明するのだ」

「あー、なるなる。でも、それならりっちーさんがやったらダメなん?」

「私は氷室家を出禁になってるから。さすがに変装してもばれそうだし」

「あー、なるなる。じゃあうちが先輩のお着替えさせてる最中にあれこれネタバレしたらいいわけね、おけー」


 というところで、作戦の概要が固まった。


 俺はおじいさんの従者として建物に侵入。

 高屋は、先輩の着付け担当業者のフリをして先輩に近づく。


 そして、見合いの最中におじいさんが俺を呼びよせて、親族しかいない警備の薄い部屋で先輩を連れ出して。


 とにかく逃げるという、そんな話だ。


「……なんか、うまくいくのかな」

「いくかどうかではない。やるだけだ。神楽はあれで今の現状を受け入れつつあるのやもしれぬが、やはり救ってやれるならそうしてやりたい」

「……なんで、そうしなかったんですか?」

「訊くな。わしもわかっていて見過ごそうとしていたのだから。しかし昨日、おぬしがわざわざわしのところまでやってきた。そして神楽を救いたいと、赤の他人であるおぬしに言わせたことで目が覚めた。わしにできる限りのことはする。だから神楽を、頼む」

「……言われなくても、そのつもりです」


 おじいさんは自分が臆病だったせいだと、この後も何度も言っていたけど。

 あとでりっちーさんがこっそりと裏事情を、おじいさんが風呂を借りると言って部屋を出た時に教えてくれた。


「おじいさまの知り合いの方は、みんな氷室家に顔も身分も割れています。だから、いくらおじいさまの頼みとはいえ、その後の報復を恐れて誰も協力的ではなかったんです。本当はずっと、おじいさまも千寿くんのような人を探していたのかもしれませんね」


 その言葉で、おじいさんの為人を少しだけ知れた気がした。


 どうあっても先輩のことが可愛い、ただのおじいさんなんだ。

 刀をすぐ抜いてくるのは怖いけど、先輩があんなに気さくな人になったのはもしかしておじいさんの影響なのかもな。


 先輩……うん、早く会いたいな。


「よし、じゃあ作戦は決まったので今日は寝ますか」

「そうね。私はおじいさまとみのりんを送っていくから。明日は朝の8時にここに迎えにくるわね」

「千ちゃんがんばろーね」

「ああ、みんなお願いします」


 おじいさんが風呂から出ると、りっちーさんが迎えを用意したと言って、みんなで部屋を出て行く。

 

 最後に玄関のところで高屋が「そーいやさ」と言って足を止める。


「なんじゃ小娘、明日は早いから帰るぞ」

「いやあ、一応というか万が一というか、考えたらダメなんだろうけどもし失敗したらうちらどうなんの?」


 高屋の疑問は当然だった。

 もちろん成功することしか考えてはいないけど、万が一作戦が空振ったとき、ただ失敗しましたで済むのだろうか。


「子娘、お主は心配いらぬ。業者として忍び込むだけだからの」

「ふーん、じゃあ千ちゃんは?」

「こやつは氷室家にたてついた無法者として、おそらくはあの家のボディガードに惨殺されるやもしれぬな」

「……え?」

「うわあ、千ちゃんがんばー」


 とんでもない話を聞かされたところで「んじゃね」と高屋は出て行く。

 おじいさんもりっちーさんも、「頑張ろー」と棒読みで言いながらさっさと外へ。


 ……。


「え、惨殺!? おい聞いてないぞ!」


 誰もいない部屋で、玄関に向かって叫ぶ。


 俺の悲鳴にも似た叫びが部屋にこだまする。


 ……まあ、無事で済むわけがないか。

 殺されても仕方のないレベルのことを俺はやろうとしているってわけだ。


 命と引き換えに、くらいじゃないと。

 俺の元にあんな美人な先輩を連れてくることはできないと。


 ああ、そうだな。

 惨殺、なんて言われてちょっと焦ったけど。


 ちょうどいいじゃんか。

 今だけはこの体に感謝する。

 何があっても大丈夫なこの力で。


「先輩を助ける」

 

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