第37話 勝負の前に
「おじいさん、失礼します」
広い畳の中央に座禅を組んでジッと動かないおじいさんが。
俺の声に反応して目をカッと見開く。
「あ、どうも」
「ほう、わしの眼力にひるまぬとはなかなか……ん、なんじゃその隣のは」
「ちっすじっさん。うち、同伴者っす」
礼儀のかけらもないあいさつをしながら、よっと手を振る高屋。
まずいと思って俺は慌てて高屋の前に出て、
「あ、違うんです彼女も神楽さんの後輩で、彼女が心配で来てくれて」
と言い訳を始めるも時すでに遅し。
おじいさんはゆっくり床の間へ向かうと、そこに飾ってあった刀を手に取って。
抜く。
「でええいそこに直れこのクソガキがああー!」
「だーすみませんすみません!」
俺は何も悪いことをしていないのに、なぜか必死に土下座。
高屋は、「千ちゃんおもろ」とか言いながら飴を舐めている。
いや、まじでその舐めた態度やめて!
あと飴舐めるのもやめて!
「お、おじいさん落ち着いてくださいこいつは」
「ええいこの礼儀知らずの小娘などどうでもよいわ! それよりおぬし、神楽と仲ようしとると思うたら、別のおなごを連れてくるとはいい度胸をしておる。真っ二つにして吊るしてやるわ!」
「か、勘違いですって! 彼女はただの同級生です!」
「なぬ? そうなのか、なら早くそう言え、紛らわしい」
俺に向けられた刀は綺麗な所作で鞘に戻される。
ああ、死ぬかと思った……。
「で、神楽に何があったのだ」
よっと座り直すおじいさんがちょっと残念そうにしているのはなんでだろうと首を傾げながらも、俺と高屋は目線を合わすようにその場に座り、経緯を説明する。
「……今日、神楽さんが急に学校をやめると噂が。それに、学校には来てませんでしたので間違いないのかと」
「神楽が? して、連絡は」
「とれません。電話もダメで、家に行っても門前払いでした」
「ふむ……」
どうやらおじいさんも事情は知らないようだ。
しばらく顎に手を当てて考え込むおじいさんは、やがて「そういうことか」と。
「な、なにか心当たりが?」
「神楽の母親、つまりわしの娘が帰国したというのは知っておったが。てっきり娘が心配で帰ってきたとばかり思っていたが違うようじゃの」
「と、いいますと?」
「来週、神楽は十七になる。氷室家の令嬢は、十七歳を迎えると見合いをするのじゃ」
「見合い?」
「うむ。代々そういう決まりでの。名家の息子を婿養子に迎えるという決まりがあるのじゃが……それはもう廃止せよと言ってあったのだがのう」
先輩が見合い。
つまり、どこかの金持ちと結婚……。
「千ちゃん、それゲロマズじゃん」
「……おじいさん、どうにかなりませんか?」
「わしもあの家を出て久しい。今は娘がすべてを管理しておるからの、わしの意見なぞ吹いて飛ぶ」
「そ、そんな……」
このまま、先輩に会えないままどころか先輩が人のものになるなんて。
考えただけで胸が苦しい。
吐きそうだ。
こんなに息が苦しいのは、生まれて初めてだ。
「……せんぱい」
「ふむ……」
「……おじいさん、先輩は、神楽さんは見合いなんかしたくないはずです」
「そんなことはわかっておる。しかし、一度決まったことを覆すのは氷室家でなくとも難しいものだ」
「……嫌です。先輩が望まないなら、俺は……」
俺は、なんとかしたい。
でも、何ができるというのか。
それに、もし先輩が見合いの話を受け入れていたとしたら。
そう思うとまた、胸が苦しくなる。
「……」
「まあ、一度だけチャンスはあるやもしれん」
「え、それは?」
「見合い当日、わしはおそらくその席に呼ばれるだろう。その時、付き人として貴様が同伴し、その場でなんらかの妨害ができればもしくは」
言いながら、おじいさんはいつも以上に難しそうな表情をしている。
よほど可能性の薄い案なのだろう。
でも、
「……もしできるなら、させてください」
「ほう、神楽を氷室家の呪縛から解き放つと」
「そんな大げさなことは言いませんけど……もう一度、先輩に会いたい」
「うむ、わかった。では、段取りについては明日改めて連絡する。今日はもう遅い、その付き人のおなごも一緒に送りの車で帰るがよい」
おじいさんはそう言って、席を外す。
急になんかとんでもないことになってしまった。
座ったまま天井を仰いでいると隣で高屋が笑っていた。
「な、なにがおかしいんだよ」
「なんか千ちゃんがさ、魔王にとらわれたお姫様を助けに行く勇者っぽくて笑けた」
「……そんないいもんじゃない。それに、これで失敗したらもう」
二度と先輩には会えない。
そんな覚悟を決めなければならないと思うと、やっぱり吐きそうだ。
「千ちゃん、もし失敗したら慰めてあげるから」
「高屋……なんかいつもすまんな」
「んー、うちって結構尽くすタイプなんかも」
「ははっ、意外だな」
「……千ちゃん、もし本当にダメだったら、尽くす女とかに慰められたくない?」
「え?」
「あー、なんでもない。ま、今はうまくいくことだけ考えるまでっしょ」
高屋は、「トイレ行ってくるから」といって、先に部屋を出た。
いくら鈍い俺でも、さっき高屋が何を言いたかったかくらいは、なんとなくわかる。
でも、今は先輩のことだけを考えたい。
協力してくれてるあいつには申し訳ないけど、絶対に先輩を連れ戻すんだという気持ちを高ぶらせながら、床の間に飾られた長い日本刀をじっと見つめていた。
◇
「あ、うちこの辺でいいっすよ」
「お、俺もおります」
おじいさんが手配してくれたタクシーに乗って、俺たちは真夜中に自分たちの住む街へ戻ってきた。
もちろん料金はおじいさんが出してくれると言っていたけど、ぐんぐんとあがるメーターに気が引けて、少し家まで距離があるが高屋の降りる場所で一緒に。
まあ、送っていく意味もあったしちょうどよかった。
「さて、遅くなっちゃったな」
「なんかおもしろいおじいさんだったし、プチ旅行みたいでおもろかったよ」
「でも、先輩との縁が切れたらもう、あの家に行くことも……」
真っ暗な夜道だからか、どうもマイナス思考になりがちである。
先輩のことを考えるほどに先が見えなくて、失敗した時のことばかりをイメージしてしまう。
ただ、高屋は
「でもうまくいったら超ハッピーエンドじゃん。そっちのがよくね?」
と、ネガティブな俺を支えてくれる。
「……ああ、そうだな。なんか、ほんと高屋には色々してもらってる」
「ま、好きでやってるし。先輩にも恩があるし」
「そういや、先輩とは何があったんだ? ただ憧れてるってだけじゃ」
「ま、それも先輩を助けてからっしょ。全部うまくいったら飲み会の席で教えたげる」
「まだ高校生だけどな俺たちは」
高屋の家は、タクシーを降りてすぐのところにある一軒家だった。
普通の家、といえば失礼かもしれないが、並び立つ他の家と見分けがつかないくらい普通の、ただの家。
大丈夫とは言いながらも、「さすがに裏口から入るわ。じゃあね千ちゃん」といって忍び足で家の敷地へ入っていく高屋はやっぱり普通の家の、普通の女の子だ。
ああいう子と過ごす、平凡な未来ってのも俺の選択肢にはあったのかもしれない。
でも、出会ってしまったものはしょうがない。
普通じゃない俺を、普通じゃない動機で付け回して、そのくせ普通に可愛くて普通にめんどくさくて世間の普通が通用しないような、そんな人。
氷室神楽。
俺は、そんな彼女に惹かれてしまった。
だから。
「先輩、待っててください」
氷室神楽のお見合いの日。
その日が俺の人生で唯一にして最大の。
好きな人と会うという、ただそれだけの。
大勝負だ。
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