第36話 門前

「ほええ、でっか」

「中は迷路みたいだぞ、ここ」

「ふーん、入ったことあんだ。へえー」

「い、今はそういう話はいいから」


 氷室先輩の家の前に着くと、先輩に初めて拉致された時のことをなぜか思い出した。

 そう昔の話でもないのだけど、なぜかとても懐かしくて。

 思えばあの頃から俺は、先輩のウザがらみもなんだかんだ楽しんでいたのかもしれない。


 やっぱり、このままじゃ嫌だな。


「すみませーん」


 大きな門の脇にあるボタンを押して、呼びかける。


 しかし、反応はない。


「……誰もいないのかな」

「んなわけないっしょ。居留守だろうね」


 高屋は呆れたように上を見る。

 するとそこには監視カメラが。


「見られてる、ってことか」

「そゆこと。門前払いだね」

「……」


 この家のセキュリティは厳重だと、以前先輩がそんな話をしていたこともあった。

 だから強行突破も難しいだろう。

 せめて先輩に、一言だけでも……。


「せんぱい、聞こえてますか? 俺、勝手にいなくなるようなことは許しませんからね! 散々人を振り回しておいて、用がなくなったらはいさよならは通じません。それだけははっきり言っておきますね!」


 と、聞こえてるかどうかはわからないが近所迷惑なくらいの声で言ってやった。


 すると、門がゆっくり、少しだけ開き。


 じいやさんが顔を出す。


「あ、じいやさん」

「……お引き取りください千寿様」


 いつも穏やかな表情をしていたじいやさんは、今日ばかりは無感情なロボットのように淡々と。

 そして、


「立ち去らなければ警察をお呼びします」


 そういって、携帯を出す。


「……じいやさん」

「お嬢様とのこと、どうかお忘れくださいませ」

「ちょ、ちょっと」


 俺と高屋を引っぱって、じいやさんは門の前から俺たちを引き離した。

 そしてなぜか俺だけ少し強めに放り出されて地面に尻もちをつくと、「では」といってじいやさんは去った。


「……まじかよ」

「千ちゃん、あれって運転手さん?」

「知ってたんだ。うん、いい人だと思ってたんだけ……ん?」


 さっきじいやさんがたっていた場所に何か落ちている。

 紙切れ?


「……これは」


 小さなメモ用紙には、達筆な字で一言。


『道山様のところへ』


 それを見て「あっ」と思わず声を出してしまった。


「どしたん千ちゃん?」

「……先輩のおじいさんのところに行こう」

「え、おじいさん知ってんの?」

「う、うん。一回だけ会ったことがあって。先輩とすごく仲がいいんだ」

「じゃあそこに行けば」

「……」

「どったの千ちゃん?」

「あ、いやなんでも」


 せっかくじいやさんがこっそり俺にアドバイスをくれて、先輩ともう一度会うためのわずかな可能性が見えてきたというのに、今更気乗りしないなんて選択肢もないだろうと、首を振る。


 でもなあ。

 あのじいさん、めっちゃ頭おかしいんだよなあ。

 だから行きたくないけど……。


「行くしかない、か」


 それもこれも先輩と会うためだ。

 それに、よく事情がわからないけどさっきのじいやさんの反応とこのメモを見る限り、氷室家の中で何かが起こっているのは間違いなさそうだし、このまま放っておくわけにはいかない。

 そうと決まれば善は急げ。


 さっそく氷室道山の住む屋敷を目指すこととした。



「はあ、はあ……遠い」

「千ちゃん、タンマ。足痛い」

「俺も休憩……」


 しかし大事な時にうっかりしているのは俺の専売特許。

 前に訪れたおじいさん宅は車でも三十分以上は走った記憶がある。


 徒歩で気軽に、という距離ではない。

 先輩の家に行ったのは昼前だったというのに、気が付けば昼の三時を過ぎている。


「……高屋、今日は帰るか?」

「え、なんで? 諦めたん?」

「そ、そうじゃないけど……こんな遠くまできたら帰りがさ」

「うちん家は少々帰らなくても問題なっしんだけど」

「で、でも夜遅くなったら高校生はうろうろできないわけだし」


 仮にこのあと先輩のおじいさんの家についたところで、先輩がいないこの状況で俺たちだけ泊めてもらうなんて図々しいことはできまい。


 でも、夜に出歩いてたら補導されちゃうし。

 

「だから今日は」

「そうなったら、どっか泊まろよ」

「え?」

「別に制服脱いだらホテルくらいいけるっしょ。それくらいの持ち合わせあるし」

「ほ、ホテルってお前そんなこと」

「千ちゃんは、嫌なん?」

「……」


 ホテル、と訊いて敏感に反応してしまうのは何も俺が下衆な男子だからというだけではない。

 高屋が、いつもの怠そうな表情を少し緩めて、頬をほんのり赤くさせながら迫るように聞いてくるから。

 余計に変な意識をしてしまう。


「……高屋、俺は」

「先輩が好き、だったね。ふーん、ブレないんだ」

「た、試したのか?」

「まね。でもまあ、あわよくば」

「?」

「ははっ、マジニブチン。とにかく、うちは大丈夫だから行こ」

「あ、ああ」


 やがて、夕陽が俺たちを真っ赤に染めていく。

 そして住宅街の閑静な場所に入ると、誰ともすれ違わなくなる。


 少し不気味なほど。

 静かだ。


「わっ」

「わっ! ……な、なんだよ急に」

「誰もいなさ過ぎて静かだなって」

「だからって大声だすなよ……もうすぐ着くから」

「にしし」


 時々高屋にこうやってからかわれながらも、俺は足を進める。

 そして夕陽が地平線の向こうに消えかかったその頃。


 ようやく大きな屋敷の前にやってきた。


「こ、ここだ……」

「へえ、おっきい。やっぱ先輩のおじいさんだけあって大金持ちなんだ」

「まあ、色々あるみたいだけどその辺は中に入っておじいさんに訊くぞ」


 時間はない。

 あまり遅くなると本当に帰れなくなってしまうかもだし、早速中へ入ろう。


「すみませーん」


 氷室邸とは違ってセキュリティは甘い昔ながらの豪邸なので、勝手に門を抜けて玄関へ。


 そしてこんこんと扉をたたくと、奥から足音が。


「はい、どちらさまで?」

「あ、あの、以前神楽さんとお邪魔しました千寿というものですが」

「千寿?」


 おじいさんの声だ。

 でも、覚えていないのか?


「は、はい。ええと、一度夕食もご馳走になりまして」

「……そこにおれ」


 急に玄関の向こうで話すおじいさんの声が低くなり。

 そして少しだけ玄関が開いたと思った瞬間。


 刀がぬっと姿を現す。


「わっ!」

「おぬし、今日は神楽と一緒ではないのか?」

「え、ええと……ちょっとそのことについてお話がありまして」

「ほう、話とな」


 すると、スッと刀が奥に引っ込む。


「入れ。茶を入れよう」


 そう言ってから、おじいさんの足音は奥の方へ消えていく。

 高屋を見ると、顔が引いていた。


「は、入る?」

「え、おじいさんってヤバめの人? 刀、マジもん?」

「い、居合の先生らしいんだけど……嫌なら帰ってもいいぞ」

「んー、まあ入るけど」

「そ、そう? 怖くないの?」


 俺は不死身の体をもってしても、あの人の白刃の前ではやはり恐怖に怯えてしまうものだが。

 高屋はいつもと変わらず淡々としている。

 やっぱり不思議なやつだ。


「じゃあ、行くぞ」

「ちーっす」


 ガラガラと、引き戸を開けて中に。

 前回同様、薄暗い玄関はひんやり冷たく、廊下の奥は真っ暗で不気味さを際立たせる。


 恐る恐る靴を脱ぎ、一回目に訪れた時に居合をしたあの部屋へ行き。


 高屋と二人で中に入る。

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