第32話 氷室家の事情


「おかえりなさい神楽、学校では大変だったようね」


 氷室家には鉄の掟と呼ばれるものがいくつかある。


 例えば送迎。

 氷室家の後継ぎは絶対に執事の送迎でしか移動してはならない。

 遠出も許さない。

 公共交通機関に乗るのは大人になって、仕事で必要な時のみと決まっている。


 また、友人関係についても。

 学校での付き合いなど不要、大学や社会人になってから必要な人と必要な分だけの付き合いで充分だと。

 それ以外は教育にも悪影響であると、幼い頃からそう言われ続けてきた。


 そして姉はそれを拒否した。

 普通の人間としての暮らしが欲しいからといって、家を出た。

 だから私が家督を継ぐこととなった。

 でも、それで姉を恨んだりはしなかった。

 むしろ、自分がない私のほうが傀儡には向いていると思っていたし、姉は多感すぎるからいずれそうなると予想もできた。


 まあ姉上はそんなことがあったせいで私に借りがあると思っているようだけど。

 姉上を責めるつもりはない。

 悪いのは……この親だ。


「おかえりなさいませ母上。学校での一件、ご心配をおかけして申し訳ございません」


 玄関先に帰宅した母を迎えに行き、私は片膝をついて頭を下げる。

 何があってもまず謝罪。

 氷室家の令嬢として、警察の世話になるなどという行為はいかなる理由があっても許されるものではない。


「訊きました。しかしストーカーというのもおかしな話。じいやは毎日あなたの送迎をしていたのでしょう?」

「……はい。責任は全て私めにあります」


 母、氷室氷風ひむろひょうかには嘘は通用しない。

 しかし、母の教えに背いて外出していたことがバレてはじいやがクビになる。

 それは許されない。

 どんな罰を受けても自分のやったことは自分の責任である。


「まあ、いいでしょう。しかしここまで従順に生活してきたから大目に見ていましたが、潮時ね」

「……と、いいますと?」

「来週をもって退学なさい。元々、高等学校レベルの勉学など不要です」

「そ、それは」

「大学へは資格を持てば通えます。それに、あなたも知っているでしょう? 氷室家の後継ぎは十七の歳を迎えたら親の用意した婚約者と見合いすると」

「そ、それは…………承知していますが」

「なら異論はないでしょう」

「……」


 私に、自由はない。

 意志も、決定権も何もない。

 父は母の意見に絶対服従であるし、この母の意見が私の人生を決める。


 ただ、それが嫌でも逆らおうとは思ったことはなかった。

 居合を通じて発散すればまた同じ日々の繰り返し。

 おじい様のところにたまに伺うのが楽しみな程度で、あとはレールの上を走るだけの人生だと、諦めていたのに。


 今は。


 心から、それが嫌だと思う。

 高校にも行きたいし、自由がほしいって、思う。


 みっちーに、会いたいと。


「は、母上……僭越ながら一つ、申し上げたいことがございます」

「言いなさい」

「はっ。高校を退学することは構いませんが、その前に、そのことをきちんと話しておきたいものがいるのです」

「へえ。しかしどうせ会わなくなる俗物に、そんな必要があるのかしら」

「……お願いします。一日だけ、私に時間を」


 こんな風に母に意見するなど、生まれて初めてである。

 でも、このままだと母の言う通りにことが運び、みっちーとは多分、一生会えないまま、終わる。


 それは嫌だ。

 せめてもう一度だけ。


 斬る、とかいわないから。

 会わせてほしい……。


「……いいでしょう。明日一日だけ時間をあげます。それでその者ともきっぱり縁を切ってきなさい」

「……はい。ご容赦いただきましてありがとうございます、母上」


 再び頭を下げると、母は何もいわずに奥へと下がっていった。


 もう、終わりだ。

 両親が海外へ出張していた間の束の間の夢を随分楽しんだ。

 いい夢を見れた。

 あわよくばこのまま夢の中で、なんてらしくないことも考えてしまったりしたが。

 後始末を、きちんとしなければ、な。



「……もしもし。先輩?」


 高屋が帰ってしばらくして、氷室先輩から電話が鳴る。


「ああ、みっちー。今日は助けてもらって感謝する」

「いや、別に俺は」

「そこで、感謝のしるしとして君に一日付き合ってあげようと思うのだが、どうだ?」

「付き合う? いや、それこそ別に」

「性奴隷になってやると言ってるのだぞ?」

「言ってなかったよね! それにそういうのいいですから!」

「ははっ、相変わらずうるさい奴だ。しかし、相手からの感謝を受け取らぬのも失礼というものだぞ」

「まあ、それはそうですが」

「じゃあ決まりだ。明日も学校は休みのようだから、朝、迎えに行く。首を洗って待っていろ」

「いや物騒だから断りたいんですけど!」

「ではな、みっちー」

「あ」


 一方的に電話を切られた。

 まあ、いつもの通り人の気もしらずに無神経で自分勝手な人だ。

  

 でも、なんか元気がなかったような気がしたけど気のせいか?

 ……あんな事件があったから当然か。

 

 明日は、先輩とデートってわけだ。

 ……ちょっとだけ、早く会いたいな。



 疲れていたのか精神的に落ち込んでいたのか、先輩との電話を終えたあと、そのまま眠っていた。


 そして目が覚めたら部屋が真っ暗。

 時計を見ると夜中の三時だ。


 ほんと、最近はこんなんばっかだ。

 それに、これからはもっとひどいことになるはずだし。

 

 ……とりあえず、飲み物でも飲んで落ち着こう。

 喉がカラカラだ。


「おお、みっちー目が覚めたか」

「……なんでいるんですか?」


 廊下の電気をつけると、当たり前のようにキッチンに立つ先輩がいた。

 なんか免疫がついたのか、驚くこともなくなったけど。


「いやなに、今日一日暇になったのでな。目いっぱい時間を使おうと、零時ジャストに侵入したのだが寝ていたようでな」

「侵入したっていっちゃってますよね!」

「侵略よりはましだろう」

「どんな独裁者だよあんたは!」


 ほんと、この人だけはいつも変わらない。

 一体どんな教育を受けて育ったんだ?

 親の顔を見て……みたくないなあ。

 あのおじいさんみたいな人斬りが出てきそうだし。


「で、こんな時間になにを?」

「朝食の準備と、昼食のサンドウィッチをな」

「昼食も? どっか行くんでしょ?」

「ああ、遊園地を手配した。じいやに送らせるから今日は遊園地デートをするぞ」

「え、遊園地? いや、でも平日に高校生が遊園地ってそれはさすがに」

「大丈夫だ、貸し切った」

「貸し切った!?」

 

 多分、このへんの遊園地といえば隣町にあるテーマパークのことだろうが。

 いや、あれを貸切るっていくらいるんだ?

 ていうか金でどうにかなるの?


「……相変わらず無茶苦茶しますね」

「ははっ、今日は大切な一日だからな。それくらいは当然だ」

「大切?」

「まあ、そんなことより早く準備を整えろ。着替えたら早速出発する」

「え、もうですか?」

「ああ、じいやが昨晩からずっと待っててそろそろやばい」

「寝させてやれよ頼むから!」


 別に遊園地が楽しみとか、先輩と早く出かけたいとか以前にじいやさんの睡眠時間が心配になって、急いで着替えて家を飛び出した。


 するとまだ真っ暗の路上に止まった車の前でピシッと立つじいやさんが、


「おはようございます千寿様」

 

 と丁寧にあいさつしてくれたのが本当に申し訳なくて。


 俺はさっさと車に乗り込んで、先輩と一緒に遊園地へ向かうことにした。

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