第26話 迷い
「あー、お腹いっぱいです。もう食べれません」
トイレから戻ると、またおじいさんがせっせと配膳してくれて俺はそれを黙々と食べ続け。
満腹になったところで先輩が箸を置く。
「さて、食後は運動だな」
「え、こんなんじゃ動けませんって」
「少しゆっくりしてからで構わない。準備を整えてくるから待っていてくれ」
満腹で苦しむ俺を置いて、先輩はさっさとどこかに消える。
おじいさんも一緒に出て行ってしまい、少しの間一人でその場に残されたまま茶を飲んでいると、すぐに先輩が戻ってくる。
「もういいぞ」
「あ、先輩……その恰好は?」
「うむ、今からおじい様の指南を受けながら居合をする。君もいい体験になるだろうから、一緒にやらぬか」
「居合……」
先輩は紺の胴着姿に早変わり。
居合と訊いて、嫌な予感がした。
あれって日本刀で藁とか斬るやつだよな。
ということは日本刀を振り回す狂人二人がすぐそこにいるってことで。
……うわあ、嫌だ。
「え、ええと」
「なんだ、遠慮はいらぬぞ。それに今日斬るのは巻き藁だ。君ではない」
「……約束ですよ?」
「ああ、男には二言なしというからな」
「あんたは女でしょが」
なんて言いながらも一人で他人の家のリビングでくつろぐのも落ち着かず、渋々ついていくとさっき通された居間に再び。
そして広い部屋の中央には、俺の身長くらいある巻き藁が立っていた。
その前には当然刀を構えたおじいさんも。
「きえええーい!」
部屋に入るや否や、おじいさんは大きな声をあげながら刀を振る。
すると、分厚い藁がまるで紙きれのようにスパッと。
一刀両断された。
「す、すごい……」
思わず声を出してしまうほど、見事な一撃だった。
あんなのを喰らったらどんな屈強な人間だろうとひとたまりもないだろう。
……やっぱこええ。
斬られるの、怖い。
「おじい様、お見事です」
「おお、神楽。久々に見てやるからおぬしもやってみい」
「はい。みっちー、君はそこで見ているがいい」
「は、はい」
おじいさんが斬られた藁を片付けて新しい巻き藁を設置すると、今度は先輩が刀を抜き、構える。
そして静かに迷いなく刀を振りぬくと、さっきのおじいさんの一撃とそん色ないほど綺麗に、藁は斜めにスパッと。
「どうでしょう、おじい様」
「うむ、迷いのない一撃、見事……といいたいところだが」
「な、なにか?」
「ううむ」
素人の俺からすればおじいさんと先輩のそれのどこに差があるのか見わけもつかない程、二人とも見事な太刀筋に見えたが。
おじいさんは少し怪訝そうに斬られた藁を見つめる。
「……神楽、少し心に迷いがあるの」
「迷い? 私に、ですか?」
「この藁は、刀の切れ味とおぬしの技術によって見事に斬られておる。しかし心が伴っておらぬ。躊躇したのか、わしのそれと比べて鈍いわい」
「躊躇……」
躊躇。
その言葉を聞いて驚いたのは先輩だけではない。
むしろ俺の方が驚いた。
人を斬りたくて仕方ないあの氷室神楽が、どうして巻き藁を斬ることに躊躇する必要があったのか。
しかし先輩も自覚がないのか、戸惑った様子で刀を見つめている。
「……おじいさま、私は」
「いや、気のせいならよいのだがの。しかし見事な太刀筋には違いない。成長したな、神楽」
「あ、ありがとうございます」
「さて、次は……」
おじいさんはくるっと振り返って俺を見る。
そしてぶっきらぼうに鞘に収まった刀を渡してくる。
「ほれ、やってみい」
「え、俺が?」
「貴様の精神力が本物かどうか、見極めてやらねばの」
「……わかりました」
有無を言わさぬ目に睨まれて、俺は刀を手に取る。
ずっしり重いそれは、思ったより長さもあって扱いにくい。
恐る恐る鞘から抜くと、輝く白刃が姿を見せた。
「すごい、吸い込まれそうだ」
「ほほう、その刀の迫力に飲まれぬとはなかなか。ほれ、そのまま振ってみるがよい」
そして、斬られて半分になった巻き藁の前へ。
その藁を見ながら俺は、なんか切なくなった。
ああ、俺もあんな風にいつか真っ二つにされるのかな。
こんな斬ることの快感だけが生き甲斐みたいな変人たちに毎日毎日斬られるこいつらも可哀そうだなあ。
ほんと、同情を禁じ得ない。
俺はなぜか巻き藁の気分になってしまっていた。
「……」
「何をしておる。斬らぬか」
「……」
ごめん、藁たち。
後で俺も続くかもだから。
と、なぜか心の中で謝りながら刀を振る。
すると、藁の途中で刀が止まる。
「あ、あれ?」
「はっはっは。どうじゃ、難しいものだろ?」
「き、斬れない……」
「邪念があるものにはその藁すら斬れぬ。わしのようになるには日々の鍛錬と、斬ることの恐怖を断ち切る精神力が必要なのだ」
「斬る恐怖? 斬られる恐怖じゃなくて、ですか?」
「左様。斬られることを恐れるのは当然だが、斬ったものは絶対に元には戻らないと、そう理解したうえでそこに同情を持たず、しかし決して無駄にはせぬという心を持ちながら刀を振るう。それができて初めて、真の太刀筋が生まれるのだ」
なんかもっともらしいことを言われて俺は「へー」と感心してしまう。
ただ、おじいさんの言葉を聞いた先輩は、何か響くものがあったのか黙りこくってうつむいてしまった。
その様子を見ておじいさんもまた、何かを察したように「ほれ、片付けるぞ」と話をやめた。
慌てて箒で散らばった藁を集め、せっせと部屋を片付けた後。
先輩は掃除機を持ってきたのだが目が虚ろだ。
どうしたんだろう?
「先輩、大丈夫ですか?」
「あ、みっちー……ん」
「あばばばばっ! って俺を吸うな!」
「す、すまない。ゴミに見えた」
「落ち込んでても何でもありじゃないぞ!」
「……はあ」
相変わらずふざけてはいるが、覇気がない。
俺のツッコミがイマイチだった? いや、そうじゃない。
さっきおじいさんが話をしてから、様子が変だ。
「あの、先輩。おじいさんに指摘されて落ち込んでます?」
「……それもあるにはある。しかし……いや、なんでもない。さっさと片付けよう」
「?」
呆けたまま、先輩は掃除機をかけ始める。
ふらふらと、魂が抜けた様子の彼女を見ながら少し心配になってしまったが、おじいさんから「さぼるな」と怒られて俺も掃除を続け。
やがて部屋が元通りになったところで、先輩は部屋の隅に座り込んでしまった。
「あ、あの」
「……みっちー、私は、どうしてしまったのだろうな」
「なにが、です?」
「いや、私にもよくわからんのだ。なぜか胸のあたりがモヤモヤする」
「さ、さっき食べ過ぎたとか?」
「ふむ……そうかもしれんな。浮かれていたのかもしれん」
はあ、と。
もう一度深いため息を吐いた後、先輩はそっと立ち上がって、「帰ろうか」と。
するとおじいさんが部屋に戻ってきて、「神楽をよろしくの」とだけ。
その後、廊下の奥に消えていった。
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