第7話 その絶望感は俺しか知らない
「いってらっしゃいませお嬢様、千住様」
車内では特にこれといった会話はなく。
すぐに学校の前に車が止まると、俺たちはスーツ姿のおじいさんに見送られながら車を降りる。
しかしこの時はうっかりしていた。
乗りなれない高級車に落ち着きをなくし、すっかり忘れていたが、
「おい、氷室先輩が男と降りてきたぞ」
「きゃー、誰よあのモブ! しねしねしね!」
「おい、氷室様から離れろカス!」
この時間、全校生徒が一斉にグラウンドで待ち構えていたのだった。
もちろん目当ては氷室神楽。
しかし今日は俺というモブが一緒だ。悲鳴がそこら中にこだまする。
「……先輩、先に行ってください」
「なぜだ? せっかくだから校舎まで一緒に行こうではないか」
「俺を殺す気ですか……」
「はは、死なないくせにおもしろいことを言うな」
「笑えねえ……」
多分俺が不死身でなければ胃潰瘍で入院レベルだ。
「さあ、行こう」
「ううっ、俺の平穏な学校生活が……」
罵声飛び交うグラウンドを、二人でゆっくり進む。
まるで空気の読めない先輩は「まるで皆の祝福を受けているようだ」とか、意味不明なこと言ってるし。
この罵声がライスシャワーとでも?
石の雨だろ、耳腐ってんのかこいつ。
「さてと。今日は一緒に学校に来てしまったから君に斬りかかる機会を失してしまったな」
「もう充分痛めつけられたので今日ばかりはそっとしててください……」
「ではまた昼休みだな」
「はあ」
ようやく校舎にたどり着くと先輩は心なしか嬉しそうに見えた。
もちろん俺は死にかけの顔でそんな彼女を見送って。
そして避難した。
今日は先輩からではなく。
全校生徒から避難しなければならない。
そうしなければ一斉に非難されるだけでなく、本当に殺されかねないとわかっている。
飛び交うヤジの中には「ぶっ殺す」や「顔覚えたからな」なんて物騒なものも混じっていて。
家がバレたら燃やされる危険すらありそうだと。
ほんと、どうしてこうなったんだろう。
こんなに目立ってしまっては俺が不死身の化物だということもすぐにバレてしまう。
なんとしてもそれだけは、それだけは阻止しなければ。
◇
とりあえず、屋上に来てみた。
ここは誰もいない。
校内では既に『氷室神楽の隣にいた男を捉えろ』という物騒なおふれが出されているようで。
さて、どうやってこの状況を乗り切るかだが。
……うん、策がない。
どうやっても無理だ。
ていうかなんでそもそも俺がこんな目に遭わなきゃならんのだ。
別に氷室先輩と付き合ってるわけでもないし、むしろ俺は俺で被害を受けている立場だというのに。
昔は地元で化物扱いされて。
今は知らない土地で間男扱いとは。
つくづく嫌われる星の元にあるようだ。
「まあ、しばらくゆっくりしよっと」
結局開き直るくらいしかできず、寝そべって空を眺める。
快晴だ。
澄み渡る青に心が洗われるようだ。
と、のんびりしていると屋上の扉がぎいっと音を立てる。
誰かがやってきたようだ。
「あ」
見ると、そこには一人の女の子が。
随分小柄な子だが、同じ一年生か?
可愛いけどギャルっぽいなあ。苦手なタイプかも。
で、なんであんなにだるそうなんだろ。
なんて思っていると向こうも俺のことを見て、ゆっくりこっちにやってくる。
そして、目を細めながら言う。
「君はたしか……社会の敵」
「え、俺ってそんな呼び方されてるの!?」
「うん、みんながそう呼んでた」
「……」
どうやら俺は社会の敵になったようだ。
……ひどい。
ていうかこいつ誰だ?
「君は?」
「私? 私は一年の高屋みのりだけど」
「あーそう。で、何しにここにきた?」
「まあ、飛び降りに」
「あーなるほどここからなら一発で……え、飛び降り!?」
涼みにきました、みたいなテンションで言われたので受け入れそうになってしまったが、今目の前の女子がとんでもないことを言った。
「うん、もう人生疲れたし」
「いやいや待って待って! なんでそんなに軽いノリなの!?」
「え、だから死んだ方が楽になるなって」
「そういうことじゃなくってさ。ええと、怖くないの?」
「さあ。死んだことないのでしらない」
「あ、そう……」
死んだことがない。
まあ、これって普通のことなんだけど。
でも、生まれてこの方何十回と死んだり死にそうになった経験を持つ俺からすれば、死ぬということはそれはそれは怖いものだとわかっている。
一瞬だが真っ暗な闇の中に飲まれるような感覚と、今までの自分の全てが無に帰っていくような虚無感は、生きている時には味わったことがない絶望を覚える。
だから止めないと。
この子も、きっと死の間際に後悔する。
「あのさ、死ぬのってめちゃくちゃ怖いんだぞ。楽になるなんて大間違いだ」
「なんでわかるの?」
「え? いや、それは、ええと」
「まるで死んだことあるみたいな言い方だね」
「そ、そんなことあるわけないじゃん。俺実際生きてるし」
「ま、そうだね。じゃあやっぱり知らないんだ。説得力ないなあ」
「……」
まさかここで初対面の同級生に「俺は実は不死身だ」とか「何回も死んだことがある」なんて言えばいよいよ俺は学校にはいられなくなる。
社会の敵から社会不適合者に昇格? いや、降格か。
でも、なんとか説得してやめさせないと。
「あのさ、生きてりゃいいことだってあるはずだ」
「例えば?」
「例えば……い、いい男と付き合えるとかさ」
「彼氏にフラれた、この前。好きだったのになあ」
「ぐっ……いや、もっといい男だって」
「いたとして、またフラれたら?」
「ん、んー。それは、また別のいい男を」
「そんなの辛いことの繰り返しじゃん。死んだらそういうこと考えなくていいもん」
「そ、それはそうだけど……」
ダメだ、元々ぼっち陰キャの俺がこんなノリの軽そうなギャルっぽい子を論破するなんて不可能だ。
でも、このままだとこいつはここから飛び降りてしまうし。
目の前で人に死なれるなんてまっぴらごめんだ。
「な、なにかしたいこととかはないのか?」
「まああるけど」
「た、例えば?」
「そうだねー、例えば憧れの先輩を横取りしちゃった間男をぶっ殺すとか」
「ず、随分と物騒だな……そ、それは誰なんだ?」
「え、君だけど」
「ああ、俺か……俺!?」
指さす先には、俺がいた。
ていうか指さされていた。
目の前の女子は、俺をそのままジッと睨みながら。
「あのさ、ぶっ殺してもいい?」
と、訪ねてきた。
「……いや、ダメだけど」
「え、なんで?」
「いやむしろいいよって言ってもらえるとどうして思えるんだよ!」
「じゃあ質問。氷室先輩とはどういう関係?」
「氷室先輩と?」
「うん。今朝のあれ、どういうことなの? 先輩にどうやって近づいたの?」
「そ、それは……」
近づいた、というのは語弊がある。
むしろ執拗に迫られているというべきなのだが、そんなことを言うのは火に油どころか火事場に爆弾を放り投げるようなものだ。
なんと説明したらよいのやら。
「あの、あれはたまたまだ」
「たまたま?」
「ああ、俺が足を痛めて困っていたから先輩が偶然車で送ってくれたんだ」
「氷の女王が他人に優しくするはずないと思うけど」
「い、いやそれは、ええと、気まぐれだったんじゃ」
「ふーん。じゃあ社会の敵じゃないんだ」
「そ、そうだよ。俺は健全なただの男子高校生だ」
あれ、なんの話からこんな会話になってるんだっけ?
あ、そうだこいつが死のうとしてるから説得してたらなぜか俺をぶっ殺す話になって、それでだっけ。
でも、このまま話を逸らせば。
「ま、それがわかったら心置きなく死ねるかな」
「いやだからすぐ死のうとしないで!」
「なんで?」
「なんでって……人が死ぬのを見たくない」
「見なきゃいいじゃん」
「こうやって知り合った人間が死ぬのは後味悪いだろ。俺は少なくともお前が死ぬのは嫌だ」
「……ほんと?」
「あ、ああほんとだ。俺はお前に死んでほしくない」
「じゃあ死なない」
「あ、それならよかっ……え、マジで?」
「なによ、死んでほしいの?」
「あ、いやそうじゃないけど……急に切り替わるからびっくりして」
「死なない。なんかしらけた」
「そ、そう……」
なんかよくわからないけど、俺は一人の女子生徒の命を救ったようだ。
思いとどまった彼女を見てほっと一息ついていると、彼女は距離を詰めてきながら俺をじっと覗き込む。
「な、なんだよ」
「君、おもしろいなって。名前は?」
「せ、千寿。千寿満知流だ」
「変わった名前だね。じゃあ千ちゃんだ」
「千ちゃん?」
「うん、あだ名。可愛いっしょ」
「う、うーん」
また変なあだ名をつけられた。
みっちーに千ちゃんか。どっちもどっちだな。
「ねえ千ちゃん」
「なんだ」
「死なないであげるからさ、一個お願い訊いてよ」
「……俺をぶっ殺す以外なら」
「あはは、殺さないって。その代わりね」
俺をジロジロと覗き込む彼女は、少しだけニヤッとして。
くるっと振り返ってから空を見上げて言った。
「私とさ、付き合ってよ」
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