第6話 そんな偶然いらない


 家に帰ってからすぐに悪寒が走った。

 変だ、俺は風邪もひかない体質のはずなのに。


 まるで誰かが俺の噂をして、なんなら俺を想像して何かを滅多切りにしているような、そんな感じ。


 ……氷室先輩がどうせまた変なことを考えているのだろう。

 しかし、そんな人とデートとは。

 俺は一体どうなってしまうのだろうか。


 とはいえデートそのものは楽しみである。

 綺麗な先輩女子とのデート。それだけ聞けばまるで夢のようなシチュエーションだ。


 嫌われ者の俺には二度とない奇跡ともいえる。

 まあ、氷室先輩と二人でいるところを学校の誰かに見られたら何をされるかわかったもんじゃないが。


 すでに今日の一件で複数の生徒が俺のことを過度にマークしているのが伝わってきた。

 教室に戻った時に俺の席に敷かれた画鋲、靴箱に塗られたマヨネーズ、更に下校時に校舎から振ってきた小石の雨。

 

 ……いや、やりすぎだろ。

 いくら先輩のことが好きなのかもしれなくてもそれはやりすぎだ。

 ほんと、高校生にもなってみんな何を考えてるんだ。


 まだ家の方にまで嫌がらせ被害が及んでいないだけ不幸中の幸い。

 夕方からは静かで穏やかな時間を過ごす。

 先輩も、初日こそ家まで押しかけてきたが、あれ以来はめっきり大人しい。

 まあ、金持ちのお嬢様とのことだし忙しいのだろう。

 それもまた不幸中の幸いか。


 ……お腹空いたな。

 ハンバーガーでも買いに行こう。


 自炊はしない。 

 というよりできない。

 料理は苦手なのだ。特に包丁とか、あまり触りたくない。


 小学校の時の家庭科の授業中。

 俺は指を切った。

 ただ、トラウマになったのはそのせいではなく。

 その後の、隣で一緒に料理をしていた女の子の反応だった。


「ば、化物!!」


 傷口から飛び散った血が、シュルシュルっと傷口に戻っていくその様子を見てしまった女の子の第一声だ。


 俺は、実はひそかにこの日を楽しみにしていた。

 同じクラスのミヨちゃん。

 多分初恋、好きな子と一緒に家庭科実習ができると子供ながらにワクワクしていたことをよく覚えている。

 そしてその子からの辛辣な一言。

 当然っちゃ当然で、別にミヨちゃんが悪いわけではないのだけど。 

 随分と心が傷ついてしまい、あれ以来料理というものが大っ嫌いになった。


 とまあ、料理したくないだけの怠惰な理由をもっともらしく語ってみたが、どうあれ俺は自炊ができない。

 だからいつも通うバーガーショップで百円のバーガーを二つ。

 腹もちもいいし、コスパ最強だ。


「いらっしゃいませー」


 そしてこの店、店員さんも可愛いのだ。

 いつも夕方から夜にシフトに入っているレジの女性。

 おそらく大学生くらいか、美人なのに笑顔がとってもキュートな超タイプの女性。

 くっきり二重に少し垂れ目で、華奢な体つきなのに店の制服の上からでもはっきりわかるほどの胸の膨らみ。

 ううむ、大人の女性って色気あるよなあといつもレジで目のやり場に困るほどセクシーな人。


 この店は名札にニックネームを書くようになっているようで、胸のところには『りっちー』と。

 

「あ、いつもありがとうございます。ハンバーガー二個ですね」

「あ、はい。お願いします」


 すっかり俺のことも覚えてくれている。

 ああ、こういう女性がいいなあ。

 目がイッててすぐに刃物振り回すような気の狂ったやつよりこういうお姉さんに甘やかされたいなあ。


 うーん、今日は誰も客がいないし思い切って話しかけてみよう。


「あの、すみません」

「はい、何か追加注文ですか?」

「あ、すみませんそうじゃなくって。あの、りっちーさんは大学生、ですか?」

「はい、近くの大学に通ってるんです」

「へ、へえ」

「なんかりっちーって呼ばれるの恥ずかしいですね」

「す、すみません……あの、よかったらお名前訊いてもいいですか?」


 今日は随分とスムーズに会話が弾む。

 最近誰かさんのせいでワーワー言い合うことが増えたからか。

 だとしたら、その点だけはあの頭のおかしい先輩に感謝せねば、だな。


「私はりっか。律華ってかいてりっかって読むの」

「へえ、珍しい名前ですね」

「でしょ。それに苗字が氷室っていうんだけどそれもこのへんじゃ珍しいから名前はよく覚えてもらえるの」

「自己紹介に困らないですねそれだと……ん、氷室?」

「うん、そう。でね、妹がいるんだけどこのニックネームも妹がつけてくれてさ。あ、でね、その妹は私と違ってすっごく真面目で賢くて。私の自慢なの」

「……その妹って、もしかして神楽さんって名前じゃないですか?」

「え、知ってるの? もしかして神楽と同じ学校とか? わー、妹の知り合いにあうなんて世間狭いねー」

「……おうふ」


 ほんと、世間はせまい。

 俺の唯一ともいえる癒しの女神は、俺の唯一ともいえる外敵の姉だったと。

 そんな偶然がある? いや、あるんだから困ってるんだけど。


「ねーねー君、名前は? 神楽とはどういう関係なの?」

「え、あ、いや、俺はただの後輩でして」

「そっかそっか。じゃあ神楽には今日後輩君とあったよっていっとこー」


 是非、言わないでいただきたいのだけど。

 でも、嬉しそうにはしゃぐりっちーさんを前に、そんな冷めたことも言えるはずはなく。

 ハンバーガーを受け取ってから、テンションダダ下がりのまま帰宅した。


 ああ、りっちーさん結構好きだったのになあ。

 氷室先輩の姉だったなんて、仲良くなるだけ泥沼じゃん。

 あー詰んでる。人生詰んでるわ俺。


 まるで食欲もわかず、部屋に戻ると買ったハンバーガーをそのままに俺はベッドに寝そべる。

 どうにも最近嫌なこと続きだ。

 こんな調子じゃ週末のろくなことになりかねない。


 さて、あとは姉から話を聞いたなんていってあの変な先輩から連絡がきたりしないことを祈ろう。


 ハンバーガー、明日食べよっと。



「……ん?」


 どうやら眠っていたようだ。

 寝落ちなんて久しぶりだ。

 なにせ体力があるというか疲労しない体のため、寝ようと思わずに居眠りしてしまうことなんてそうないから。

 多分、頭の方がつかれていたのだろう。

 ここ数日、氷室神楽に追い回される毎日だった。

 ストレスが不死の体さえ蝕んでいたに違いない。

 ほんと、とんでもない女だ。


 さて、何か飲んでもう一度寝るとするか。

 暗い部屋を出てキッチンのある廊下へ。


 すると灯りがついていた。

 さらに、人がいた。


「おはよう、随分と早起きだな」

「ああ、先輩おはようございます……ん?」

「なんだ、今は朝食の準備中だ。寝てて構わんぞ」

「いやなんでいるの!?」

「いやなに、来てみたら鍵が開いていたからな。入った」

「入った、じゃねえよ! 何勝手に入ってんだよ!」


 俺の悩みの種。

 ここ最近の不調の元凶。

 ストレスの権化。

 氷室神楽がキッチンに当たり前のように立っていた。


「そんなことを言われても君を起こすのは忍びないと思ってだな」

「勝手に人の部屋に入ることにまず躊躇えよ!」

「なぜだ? 私は全然嫌じゃないぞ」

「俺の気持ちを考えてってことなの!」


 あーマジで自己中だこの人。

 行動原理が全部自分中心だもん。

 

「いや、ていうかなんで来たんですか? 最近は」

「ここ数日は親がいて外出ができなくてな。でも喜べ、今日からしばらく両親が海外にいくため不在なのだ。これからは毎日通えるぞ。こういうのを通い妻というのだろう?」

「いや、ただのストーカーだと思うんですけど」

「照れなくてもよい。それより、朝まで眠ってて構わんぞ」

「俺を斬ろうとしてる人を部屋に置いて寝れるか」

「寝込みを襲うなど武士の名折れ。そんな卑怯な真似はせん」

「……絶対に?」

「ああ、絶対だ。多分」

「いや不安残るわその言い方!」

「わかった、誓うよ。君が寝ている時に斬ったりしない」

「もし斬ったら?」

「謝る」

「軽いわ!」


 結局、こんな問答を何度か繰り返してようやく襲わない約束までとりつけたので一応寝ることに。


 とはいえ疑わしいのでしばらくは寝たふりをして様子をみたが、どうやらちゃんと料理をしているらしく部屋にも入ってこないため、ようやく一安心。

 そのまま、眠りについた。



「……ん、朝か」


 瞼の奥に光を感じ、やがて目をあけると朝日が窓から射しこんでいた。


「おはようみっちー、ぐっすりだったな」

「あ、そういやいたんだ……おはようございます先輩」

「しかし不死の体といえど睡眠はとるのだな。興味深い」

「まあ、基本的には人間となんら変わりませんからね。それより先輩こそ一晩中男の家にいて大丈夫なんですか?」

「普段ならアウトだ。しかし今は両親が不在だからな。やりたい放題だ」

「どっかの中学生か。なんですかやりたい放題って」

「早く斬りたい放題になればいいなあ」

「すぐに自分の願望を混ぜるな」

「しかしそうなれば君も私とやりたい放題だぞ」

「おっさんかお前は!」


 なんなんだ朝から。

 全く、常識人っぽく心配したこっちがバカみたいだ。


「さて、朝食は軽くパンにしたぞ。今日の弁当は洋食を大量に作ったからな」

「また一緒に昼飯食べるんですか?」

「それがなにか?」

「……なんでもないです」


 しつこく絡まれて会話を続ける中で少しだけこの人のことが見えてきた気がする。

 ようするに彼女、自己中のアホなのだ。

 世間知らずともいえる、非常識の塊だ。


 多分今までは自分の都合がなんでもかんでもまかり通ってきたのだろう。

 ほんと、こういう金持ちって実在するんだな。


「じゃあ、パンいただきます。先輩は先に学校行っててください」

「何を言うんだ。今日は一緒に登校する」

「一緒に? いや、さすがにそれはまずいって」

「何も問題ない。迎えもアパートの下にスタンバイさせてある」

「え、迎え?」


 慌てて玄関を飛び出すと。

 目の前には大きな黒塗りの高級外車が一台。


「……まさかこれで行くの?」

「ああ、送迎されるのは義務だからな」

「義務って……ていうか音しませんでしたけどいつから」

「昨日の夜からずっとそこに待機させてある」

「運転手さんを労れ!」

 

 おそらく本当にずっと待機していたのだろう。

 車に乗せられた時に運転手のおじいさんを見ると、目の下にすんごいクマをこしらえていた。


 しかしプロだ。嫌な顔を一つせず「お嬢様、おはようございます」と爽やかな笑顔を向ける彼に、俺は同情を禁じえなかった。

 


 


  

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