第5話 愛妻?弁当

 昼休み。


 弁当も何ももってこない俺はいつも一人で学食のランチを食べる。

 校舎の裏手にある食堂までの道は、そんな生徒で毎日大混雑。

 まあ売り切れる心配はないので、ゆっくりと。

 食堂を使う連中が教室を出た頃を見計らってから俺も席を立って食堂に向かおうと、席を立ったその時。


「千住君はいるか」


 聞き覚えのある、凛とした声が廊下から教室に向けられる。

 その声に反応したのは俺だけではない。

 教室に残って弁当を食べる連中が皆、声の主を見て。

 立ち上がる。


「氷室先輩だ!」


 教室の入り口には、氷室神楽が立っていた。

 全校生徒の憧れである彼女が下級生の教室にやってきたとあって、うちのクラスはもちろん他のクラスの連中も集まってくる。


「本物だ、すげえ」

「美しい……」


 男女問わず、その毅然とした先輩の立ち姿に見蕩れる。

 俺以外。


「あ、いた。おーい、みっちー」


 教室の隅で顔を隠していたがすぐばれて。

 俺の方を向いて馴れ馴れしく呼びかけてくると、彼女に見蕩れていた連中が一斉に俺の方を振り返る。

 そして、殺意すら感じる視線を一斉に浴びせられる。


「おい、あれ誰だよ」

「みっちー? なにあいつ、先輩とどういう関係? ていうかだっさ」

「おい、ぶっ殺すぞマジで」


 様々、そして散々な言われ様だった。

 いや、ぶっ殺されそうなんだよ俺は。


 しかし、そんな殺伐とした空気など知ったこっちゃないと、先輩は俺の方に向かってくる。


「おい、呼んだら返事をしないか」

「あーもうこないでくださいって、空気読め空気を!」

「そう照れるな。教室では斬らないから安心しろ。斬るならしかるべき場所でだな」

「人を斬っていい場所なんてないわ!」


 と、思わずいつもの調子で先輩にツッコんでしまい。

 周囲からの視線はより一層強くなる。


「……な、なにしにきたんですか」

「いやなに、私も考えたのだ。君の嫌がることを強制するだけではダメだなと」

「一番最初に考えてくださいよそんなこと」

「それでな、まずは君と友好を深めようと思いついたのだ」

「ゆう、こう?」


 また変なことを考え付いたのかと首を傾げている俺のことなど見もせず、先輩は持っていたカバンからゴソゴソと布に包まれた箱をとりだした。

 なんだそれ、爆弾か?


「お弁当だ、一緒に食べないか」

「先輩と? 俺が弁当を?」

「ああ、君の分もある。一緒に飯を食べて信頼を深めようではないか」

「……」


 そんなことを言いながらも、先輩の目はにやけていた。

 きっと俺が斬りたくて仕方ないのだろう。

 いやいや、いくら信頼が深まっても斬らせないよ?

 それに、こんなところで氷室神楽と弁当を食うなんて、そっちのほうが自殺行為なんだけど。


「あのー、先輩」

「なんだ」

「せめて、場所を移しませんか?」

「なぜだ」

「いや、ここは人が多いので」

「はは、照れ屋さんなんだな。わかった、屋上に行こう」


 颯爽と氷室先輩は教室を出て行く。

 俺は、向けられた無数の冷たい視線から逃げ出すように教室を飛び出す。

 ああ、俺の平和で無難で目立たない学校生活が一年生の一学期で終わってしまうなんて……。


 これからの日々が、というより昼休み明けから多分俺の憂鬱な日常が始まるのだと思うと胃が痛くなる気がした(実際には痛くならないのだけど)。


 迷いなく、振り返ることなく屋上に向かう先輩の後をついていき、やがていつも追い詰められて逃げ込む階段を昇りきり、屋上の扉の向こうへ。


 眩しい日差しに、目を細める。


「んー、いい風だ。そういえばみっちー、君は日の光は平気なのか?」

「言っておきますけど俺は吸血鬼じゃありませんから。銀の弾丸も十字架もにんにくも、一切苦手意識ないです」

「ほう、それはそれは。なら日本刀だって」

「苦手です。心は人間なので鋭利なものは普通に怖いんです」


 ていうかおそらくだけど、吸血鬼だって無作為に刀で切り付けてくる女がいたら普通に恐怖すると思うけど。


「まあいい、今は君を斬ることではなく君の心を射抜くための時間だ」

「全然うまいこと言えてませんけど」

「ふふっ、そんな余裕があるのも今の内だ。さあ、私のまごころたっぷり愛妻弁当を召し上がれ」


 包みから出てきたのは、二、三人前はある重箱。

 そして蓋を開けるとまるで正月のお節料理のような豪華な食材が顔を出す。


 海老、だし巻き、煮物まで。

 二段目にはいっぱいに敷き詰められた炊き込みご飯だ。


「これ、全部先輩が?」

「ああ、早起きして丹精込めたのだ。食べてみてくれ」

「……いただきます」


 渡された箸でまず海老を食べてみる。

 

「うっま! あーこの味付け好きだなあ」

「そうか、気にいってくれたか。どんどん食べてくれ」

「は、はい」

 

 どうやら毒の心配もないようで、俺は目の前の豪華な弁当に舌鼓を打った。

 こんなにうまい飯は食べたことがない。

 ほんと、これは毎日でも食べたくなる味だ。


「ふう、ご馳走様です。うまかったあ」

「喜んでもらえてなによりだ。さて、早速だが私と恋仲になる件についてだが」

「あ、いや、それは……」

「なんだ、まだ足りないのか?」

「そ、そういうことじゃなくてですね……」


 人生で女性から迫られる経験なんて皆無な俺は、この状況に素直に戸惑っている。

 さっきから凛々しい顔を崩してほんのり頬を朱くしてトロンとした目で俺を見る先輩と目が合うたびにドキドキする。

 でも、このまま流されたらその末路は知っている。


 切り刻まれる。

 彼女が満足いくまでずっと。


 だからどうやって誤魔化そうかと悩んでみるものの、先輩が可愛すぎて思考がまとまらない。


「みっちー、私のことは嫌いか?」

「え、いや別にそういうわけではありませんが」

「そうか、なら大好きなのだな」

「いやだからなんでそうなるの?」

「違うのか? ふむ、恋愛とは難しいものだな」

「そ、そうですよ。いきなり好きとか付き合うとか、そんな単純なもんじゃありませんって、あはは」


 まあ、恋愛したことないから知らんけど。


「ならば、週末はデートなるものをしてみないか?」

「デート? え、デートって」

「映画やランチ、それにカラオケや居合道場なんかに行くのだろう?」

「一個おかしなものが混じってますけど」

「ははっ、デートの予定は考えておく。もっとも、それまでに斬られる覚悟ができたならいつでも言ってくれ。ではまた」


 弁当箱を持って、先輩は先に屋上から出て行った。

 どうやら今度、あの氷室神楽とデートをすることになったらしい。

 もちろん理由は一つ、俺を斬りたいからだけど。

 でも、人生で初めて女子とデートをするわけで。

 不覚にもドキドキしてしまいながら俺も静かに屋上を去る。


 そして教室に戻ると。

 刺すような視線を四方八方から浴びて。

 やっぱり胃が痛くなりそうだった(それでも痛くならないのが不思議なくらい)。



「ただいま、じいや」

「おかえりなさいませお嬢様。例のお方とはいかがでしたかな?」

「ああ、じいやの占いの通りだった。彼こそ私の運命の男性だ」

「ほほっ、それはそれは。焦らずじっくりと愛を育まれますようお祈りいたしておきます」

 

 氷室家は、学校から三十分ほど離れた郊外にある。

 登下校はいつも執事であるじいやが送迎してくれる。

 たまには歩いて帰りたいものだが、しかし万が一のことがあってはならないと、親がそれを許してくれない。

 どこに行くにしてもじいや頼み。

 不自由なものだ。


「お嬢様、ご主人様と奥様は明日より海外に旅行とのことです。今がチャンスですぞ」

「ああ、首尾よくやるつもりだ。じいや、いつも助かる」

「いえいえ、私めはお嬢様の幸せが何よりとかんがえておりますゆえ」

「帰ったらもう一度占ってくれぬか? 週末はデートをするのだ」

「ほほう、デートですか。よいですな、まさに青春」


 じいやは万能だ。

 家事全般に庭師としての仕事、それに趣味で始めたという占いも非常に精度が高く、昔から困ったことがあれば彼に占ってもらっているのだ。


 今日もまた、家に着くとすぐに大広間でじいやに占ってもらう。

 水晶占いというやつだ。


「ふむふむ、随分と意中の方と仲良くなられたようですな」

「そ、そうか。ではもうすぐ彼と」

「いえ、まだ焦りは禁物ですぞ。とりあえず次のデートではお嬢様の女性としての魅力をたっぷりお伝えすることが吉と出ております。ご武運を」


 占いが終わると、じいやは夕食の準備にうつる。

 私は、日課であるのため、裏庭に。


「……でえーいっ!!」


 無数に並んだ巻き藁を一本ずつ、バサバサと切り倒す。

 昔から、友人をつくることを許されずピアノや琴やお茶の習い事などで人形のように扱われてきた私が唯一感情を爆発させられる瞬間。


 刀を振るうことでスカッとするのは、おそらくそんな生活の反動と、あとは曽祖父の血の影響だろう。


 私の曽祖父は、地域では恐れられた人斬りの侍だっと祖父より訊いたことがある。

 しかし、その活躍は時代と共に忌むべきものとして扱われるようになり、我が一族は人斬りの家系として嫌われることを恐れ、曽祖父に関する記録をほとんど破棄してしまったそうだ。


 しかし、私は見つけてしまったのだ。

 実家の書庫から、曽祖父の日記なるものを。


 そしてそこには達筆な字でこう書かれていた。


「人を斬る感触、これに勝る快感なし」

 

 こんな文章を見て、最初はゾッとした。

 顔も見たことのない曽祖父が、どれほど狂人だったかがこの一文で嫌というほど伝わってきたからだ。


 しかし、徐々に自身の中をある感情が巡る。


 曽祖父の味わった快感とはいかほどのものかと。

 もちろん、だから斬ってみようなんて非常識な人間ではなく、ずっと内にそんな感情を秘めながらも、巻き藁を斬っていた。


 ただ、現れてしまった。

 私の目の前に。

 

 斬られても死なない、そんな奇跡のような男性が。


 刺されたはずの彼が勢いよく逃げていった時、私はもしやと思って追いかけた。

 そして、しらを切る彼が怪しいと踏んで、店のカメラの画像を解析させて、衝撃の映像を目にした。


 刺さったナイフが、傷口から押し出されるように出てきたのだ。

 そして傷口いっぱいに広がった血が、すうっと消えていく。

 そう、瞬時に傷が再生していたのである。


 そしてじいやに調べてもらった。

 すると、


「お嬢様、彼が不死身というのはどうやらただの推測ではありませんぞ」


 そう言われた。

 地元で、彼のことを化物だとか妖怪だと話す人間が多数いたそうで。

 実際に彼の不死身の力を目撃したという人物の証言も何件かおさえた。


 そこで、毒饅頭。

 これを食べても平気なら疑う余地がないと。

 そして自信は確信に変わる。

 彼は不死身だった。


 そう知った瞬間、私の中の何かが産声をあげた。


 生まれてこの方、自分の意思で何も決めさせてもらったことがなく、氷室家の令嬢として品格を求められ続けて自我を抑え込まれていたストレスから抱いていたひそかな願望が、一気に爆発した。


 思いっきり人を斬ってみたい。

 こんな実現不可能で忌むべき危険思想が沸いた。

 テレビを見ることすら許されず、父が見ていた時代劇をこっそりのぞき見するばかりだった私にとって、殺陣でばっさばっさと人が斬られていく爽快感が幼心に残っていたせいもあったのだろうか。


 まあ、やっちゃダメなことをやってみたいという好奇心は誰にでもあるもので。

 そういう縛りが極端に多く、抑えこまれて育った私は心のどこかでそれを爆発させたいと願っていたのだろう。


 そしてそれがかなうかも、と。

 そう思ってしまってからはもう止められない。

 きっと彼なら私の無茶も無理も無謀な願望も受け止めてくれるはず。


 そう思った時からはもう彼のことしか考えられなくなった。

 思いっきり、彼を。


「あー、ぶった切ってみたいー!」


 大きな声で叫びながら巻藁をまた一つ両断。

 しかし、やはり以前ほどスッキリはしない。


 やはり彼しか。

 私のこの欲求を満たしてくれるのは彼しかいない。


 ずっと。

 彼のことが頭から離れない。


 

 

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