第4話 喜劇も毎日となると悲劇である

 最近読んだ小説の一説で、こんなシーンがあった。


 朝目が覚めた時に誰かが傍にいることがこんなに幸せだなんて思ってもみなかった、という一節。


 しかし創作物に苦言を呈すなど愚かであるとわかっていても敢えて言いたい。

 目覚めた時に誰かがそこにいたらさあ。


 怖いって!


「どうやって入ったんですか!?」

「秘密だ」

「秘密って……それに何しに」

「なに、将来の伴侶となる君の寝顔を一目見ようと、な」

「そんな可愛いことを可愛らしく言いながらどうして刀を携えてるのでしょうかねえ」

「細かいことを気にするな。刀は常に持ち歩いている」

「いやいや普通にアウトだからそれ!」


 いつの時代だよ一体。

 え、俺だけ江戸時代にでもタイムスリップしたのかな?


「そんなことよりだ。朝餉あさげを用意してあるのだ。食べないか?」

「朝飯を? 先輩が作ったんですか?」

「ああ。昨日は怒らせてしまったようだからな、そのお詫びだ」


 机の上をみると、湯気が立ち込める炊き立てのご飯に味噌汁、それに卵焼きまで用意されていた。

 いい匂いがする。

 お腹がぎゅううっと音を鳴らす。


「ふふっ、おなかが空いてるようだな。ほら、早く食べてみろ」

「……毒、入ってませんよね?」

「あれは君の不死性を確かめるためにしただけだ。別に君が毒で悶える姿を見るのが趣味では……いや、あれはあれでなかなか」

「今ここで変な性癖に目覚めないでください! いただきますから」


 慌ててベッドから降りて朝食に手を付ける。

 すると、思わず箸が止まる。


「……え、うまっ」

「私は料理に自信があるのだ。気に入ってもらえてなによりだ」

「いや、本気でうまいですよこれ。卵焼きとかふわふわじゃないですか」


 男の一人暮らしなんて大概カップ麺か外食だったから、家で誰かの作ったものを食べるのは久々で。

 さっきまでの警戒心などどこに行ったのか、さっさと出された料理を完食してしまう。


「……ごちそうさまです」

「いい食べっぷりだったな」

「い、いやまあおいしかったのでつい」

「ふふっ、こんなものでよければいつでもつくるぞ」

「いつでも……」

「ああ、毎日でも構わない。どうだ、私と付き合う気になったか?」

「そ、それは……」


 胃袋を掴まれる、なんて表現をよく訊くがまさに今の俺がそうだった。

 こんなうまい飯を毎日作ってくれる彼女なんて、それだけでも十分だというのに更に氷室先輩は超がつく美人なわけで。

 こんな美人に毎朝飯を作ってもらえるなんて、およそ男の理想。いや、これこそまさに夢である。


「……あの、俺は」

「なんだみっちー」

「……みっちーってそれ、俺のことですか?」

「ああ、可愛いだろ。私は気に入ったものは愛称で呼ぶことにしているのだ」

「あの、俺のどこをそんなに気に入ったんですか?」


 まあ、訊くまでもないのだろうけど。

 それでも、まだ少しばかり希望を持っていた俺は――否、持とうとしていた俺は一縷の望みにかけて訊いた。

 超楽観的に考えればだが、もし氷室先輩が俺の不死性だけでなく俺個人に好意をいだいていたとすれば。 

 まだ説得の余地もあると。

 ただ、


「そんなの、君が死なないからに決まってるじゃないか」


 訊くまでもなかった。

 訊いてがっかり、そして少しだけ勝手に傷ついた。


 まあ、当然といえば当然。

 俺は別にイケメンでもなければ何か秀でたものも持ち合わせてない。

 そんなモブな後輩をこんな高嶺の花が好きになるはずがない。

 あー、訊くんじゃなかった。


 ……いや、まてよ?


「あの、先輩はもし俺が不死身じゃなくて斬られたら死ぬとして、それならどうします?」

「そんなの決まっている、こうしている時間すら無駄と思うだけだ」

「うっ……ま、まあそうですよね。でも、先輩は俺のことを高く評価してるみたいですが実際はそんなこともないかもですよ」


 そう言いながら、俺は自らがただの人間であることを今更ながら必死にアピールした。

 しかし、もちろんそんな嘘を信じてもらえるはずもなく。

 先輩は痺れを切らして刀を包んだ布をとる。


「そこまで君が言うのなら、実際切ってみればわかるだろう」

「いやいやもし本当だったらどうすんの? 俺死ぬんですけど!」

「しかしもし私に嘘をついたとすれば、それは万死に値する。だからちょうどいいではないか」

「何が!? 何がちょうどよかったの!? え、先輩って結構独裁者気質なんですか?」

「いちいちこまかい奴だ。さあ、そこになおれ」


 手にもった日本刀を鞘からスッと抜き出すと、両手で構える。

 普通に怖い。今から真っ二つにされると思うと、足が震える。


「や、やめてください……人殺しになりますから」

「まだ嘘をつくのか? 本当のことを言うならいまのうちだぞ」

「……」

「今本当のことをいえば、特別に斬るのを諦めてやらなくもない」

「ほ、ほんとうに?」

「ああ、武士に二言はない」

「……」


 武士なの? え、この人ってなんなの?

 い、いやそんなことを考えてる場合じゃない。 

 今は、今はこの場をなんとかおさめることに集中しろ。


「……すみません、嘘をついてました」

「ほう」

「俺、先輩の言う通り不死身です。多分斬られても死にませんけど、でも痛いし怖いし、それに日本刀で斬られたことはないので不安しかありませんし、やっぱりやめていただけると……」


 自らの口から、体の秘密を人に話すのは初めてで少し声が震えた。

 しかし、今は秘密うんぬんよりも目の前の頭のおかしい人斬りをどうにかせねばと、必死に言葉を振り絞った。


「ふむ、わかってはいたが君本人から訊くと感慨深いものがあるな」

「いや、別にいいもんじゃないですよほんと」

「何を言う。稀少も稀少ではないか。ああ、やっぱり斬りたい」

「武士に二言はないんでしょ。ほら、ほんとのことを言ったんだからお引き取りくださいって」


 一応、自分の言ったことに責任をとる程度の良識は備わっていたようで。

 先輩は相当悔しそうに、それはそれはもう悔しくて悔しくて仕方ない様子で肩を落としながら、間際に「なんて余計なことを言ったのだ私は」とこぼしながら、部屋を出て行った。


 で、一件落着。


 ともならず。


 やはりただのその場しのぎにしかならなかった今朝の一件を経て。


 ここから氷室神楽に追い回される日常が幕を開けたのだった。



「さてと、今日こそは斬らせてもらう」

「だから、学校に刀とか持ってきたらダメですって!」

「できる女はいかなるチャンスも逃さないものだ」

「もっともらしい言葉でごまかすな!」


 さて、氷室神楽との出会いの場面を長らく回想していたが、しかし今俺は屋上手前の扉の前で興奮気味の彼女に追い詰められている。


 ていうか知り合ってから毎朝こんな調子である。


「お願いだからもうやめてくださいって」

「嫌だ。君がこの刀の初めての男になってくれるまで諦めはせん」

「その刀は永遠に初めてを迎えちゃダメですからね!」

「ついでに私の初めてもあげるといってるのだぞ」

「ついでで処女を差し出すな!」


 とかなんとか。

 バカみたいなやりとりをしていると始業のチャイムが鳴る。


「むっ、時間か。命拾いしたな」

「いやそのセリフ完全に悪役ですからね」

「まあ授業に遅れるわけにはいかんからな。ではまた。次に会う時は命がないものと思え」

「本気で悪だなあんたは!」


 一応、この学校では優等生で通っている先輩はチャイムがなるとこうして諦めて教室に戻っていく。

 今日もなんとか命拾いをした。

 ほんと、いつまで続くのだろうか。


 先輩が去った後、俺もゆっくり階段を降りて教室に戻る。

 ここからは平和な一日の始まりだ。

 学校では基本的に接点もないし、出会った日以外は放課後も家に押し掛けてこないし。

 だからしばらくゆっくりしようと。


 気を抜いたのははたして慢心というべきだったのだろうか。


 

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