第3話 とんだ変人だった

 ふと思ったが、氷室神楽という人物を氷の女王などという異名で初めて呼び出したのは一体誰なのだろう。

 そいつを見つけたら言ってやりたい。

 たった一言。


 全然違うわボケ!


「試し切り?」

「ああ、君の体は切っても再生するのだろう?」

「だとしたらなんなんですか」

「だとすれば、私の長年の夢がようやく叶う。ようやくだ」


 グッと拳に力を込めて感慨深げに震える氷室先輩。

 え、長年の夢とは?


「私の長年の夢、それはストレス解消のために人を斬ることだ!」

「ほう、それはなかなか……えっ、こっわ!! え、なにその夢、殺人鬼じゃんか!」

「失礼な。私は来たるその日の為に毎日居合の稽古を欠かさず行い、藁人形をも一刀両断できるまでに鍛錬を積んできたのだ。他人にとやかく言われる筋合いなど」

「あるわ! とやかくどころか全面的に否定だよ! 夢というかそんな考え持った時点でまあまあサイコパスだから! 殺人の為に努力しないで!」


 全否定してやった。

 当たり前である。何が人を斬るのが夢だ。

 いつの時代の武士の話だよ。


「……なんだ君は、もしかして私に斬られるのが嫌だと?」

「い、嫌に決まってるでしょ。あのね、俺は普通に痛みも感じるし怖いとかって思うんですよ?」

「しかしすぐに治るのだろ?」

「いやいや治るからって人斬っちゃあだめでしょが!」


 なんだこいつ、頭おかしいのか?

 しかもなんでさっきからエア居合して俺を斬るシミュレーションしてんの?

 絶対斬らせないからな?


「待て、何もタダで斬らせてくれと言っているわけではない。それなりに君の要求を呑むつもりだ」

「だったら斬ることを諦めてください」

「それはできん。しかし大概のことであれば叶えてやる。金か? それとも別にあるのならいいたまえ」


 こんなアホな会話をしながらふと思い出したのだが、そういえば氷室先輩の家は大金持ちだったっけ。

 だとすれば大金をせしめることだって不可能じゃないし、一度斬られて美味しい思いができるのなら安いもの……いや、そんな簡単な話じゃない。

 さっきから自らの妄想でよだれを垂らして興奮している頭のおかしい先輩を見ていると、絶対一度斬らせてはい終わりとはならないと。

 癖になって、毎度毎度斬られて痛い思いをするのがオチだ。


 それに、俺もいまいち自分の不死性について理解が及んでいない。

 どこまでが治って、どこからが治らないか。

 試すわけもないから知るはずもないが、もし勢い余って真っ二つにされたとして、それでも本当に死なないという確証まではない。


 うむ、金は惜しいがやはり断ろう。


「先輩、俺はお金ほしさに自分を売ったりはしません」

「ほう、立派な志だな。じゅるっ、そういうところも、じゅるるっ、嫌いじゃないぞ、ずずっ」

「さっきからよだれ出過ぎだよ! どんだけ興奮してんだ!」

「そ、そうは言っても興奮を抑えられんのだ。なあ、金でなくば何をすればいい? どうすれば君が私のものになるのだ?」

「……」


 どうしてそこまでして俺を斬りたいと思うのかは今は考えないことにしたとしても。

 しかし仮にも美人な先輩にここまで熱烈にアプローチをされたら少しばかり心が揺れる。

 今まで、誰かに必要だと言われたことなんてなかった俺にとっては、理由がどれだけ不純であっても俺を求めてくれるだけで嬉しく感じてしまうものなのだ。


 ……でも、やっぱりこの人は危険だ。

 ちょっともったいないけど……よし、無茶な要求をして諦めさせよう。


「そうですね、どうしてもというのなら先輩が俺の女になって毎晩エッチなことをさせてくれるっていうのなら考えなくもないですけどね」


 下衆な要求をしてみた。

 でも、本気で望んでるわけじゃない。

 多分この人はお嬢様だし、男経験なんて皆無だろうからこの手の話になると弱いと思う。

 ほら、頬を朱くして……え、嬉しそうなのは気のせいか?


「……本当にそれでいいのか?」

「え?」

「私の体と引き換えに君の体を好きにしていいと、つまりはそういうことなのだな?」

「あ、あの、だからそれは」

「確かに、それなら対等な対価だ。うむ、私のことは好きにしたまえ。まだ誰にも穢されていない綺麗な体だ。さあ」


 おもむろに、先輩はクイッと胸を突き出すポーズをとる。

 抜群のスタイルが、大きな胸が、はっきり姿を現す。


「せ、先輩?」

「好きにしていいぞ? どうだ、これでも私は結構スタイルには自信があるぞ?」

「い、いや、それは」

「なんだ、君が言い出したのだろう? ほら、早くしろ。私はとっくに君の性奴隷になる覚悟はできている」

「いやもっと自分のこと大事にしてくださいって!」

「粗末になどしていない。ただ、夢の為には犠牲が伴うというのは世の常だろう」

「夢って……」


 そもそも夢という言葉をそういうふうに使うなといいたいが。

 しかし、そこまで拘るのにはやはり相応の理由があるはず。

 彼女はどうして自分の体を差し出してまで人を斬りたがるのだ?

 もしや、その半生に何か秘密が……。


「あの、先輩が人を斬りたい理由って」

「なんかスカッとしそうだろ。それが理由だ」

「このサイコ野郎め!」

「おい、女に向かって野郎はよくないぞ」

「サイコなのはいいんかい!」


 ダメだ、この人本当に頭がどうかしてる。

 ほら、さっきから手の震えがひどくなってる。

 なんの禁断症状なんだ? まだ斬ったことないんだよな、人を。


「それより、どうなんだ。私は君の要求を呑む。だから君も潔くだな」

「ま、待ってくださいって。その、なんというかですね、そういうことはちゃんと好きなもの同士がするべきだというか」

「斬り合いをか?」

「エッチなことの方です!」


 思わずエッチと大声で叫んじゃったじゃないか。

 ああ、ここのアパート壁薄いからなあ。お隣のおばちゃんに明日笑われちゃうよ……。


「ふむ、確かにそれはそうだ。君のいうことに理があるな」

「ほっ……、ようやくわかってくれましたか。それなら」

「それなら君と私は恋人同士になればいい。どうだ」

「ああ、それはめいあ……ん?」


 今、なんかとんでもないことを言ったような気がしたが。


「今なんと?」

「私と今から婚姻届を出しに行こうといったんだが」

「言ってないよね!? なんで会話が往復したらエスカレートすんの!?」

「なんだ、聞こえてたのか。恋人になれば互いの体を好きにしても文句はないと、そう言ったんだが」

「そ、それは……」


 また、自分の夢とやらのためにとんでもないことを言いだしたなと。

 いい加減にしろと言いかけたところで、ふと考える。


 待てよ、もしかしてこれはチャンスなのか?

 俺はこんなだから人生で一度も彼女なんてできたことがないし、もちろん童貞だ。

 その俺が、学校始まって以来の美女と名高い、皆の憧れの的である氷室神楽と付き合えるなんて、こんな美味しい話があるか?

 いや、ない。この人がいくら人を斬りたがるヤバい奴だとしても、これだけの美女を好き放題できるというのならおつりがくるレベルだ。


 ううむ、よーく考えろ俺。

 どっちだ、どっちが正解なんだ?


「……ちなみに、俺が今からヤりたいと言っても先輩はいいんですか?」

「かまわん。私は既に君のものになる予定だ。好きにしたまえ」

「そ、それじゃあんなこともこんなことも」

「ああ、あーんなこともそーんなこともだ。どんなことでもいいぞ」

「ごくっ……ちなみにですが、俺が斬られるのって一回だけ、ですか?」

「何を言う。まず柱に括りつけて縦にばっさり、次に横からズバッと。あとは小刻みに斬りつけまくるのも快感か。そういえば、火であぶった刀で切るというのはどうなのだろうか」

「あーもう却下却下!! やっぱり無理でーす!」


 普段何考えて生きてんだこの女は。

 マジで頭おかしいレベル超えてるだろ。ていうかよく今まで捕まらなかったなこいつ。


「なっ……それでは私と恋人には」

「なるわけないでしょ。痛いのも怖いのも嫌いなんでお断りします」

「そ、そんな……う、嘘だと言ってくれ」

「いいません本当です。お引き取りください」


 もう、これ以上の話は無駄だと悟った。

 俺は、さっさと先輩を玄関先に連れていき、それでもあーだこーだと駄々をこねる先輩をそのまま外に放り出すと玄関のカギをしっかりかけて部屋に戻った。


 何度かどんどんとノックする音がしたが、やがて鎮まる。

 ああ、少しもったいないことをしたような気がするが、やはりこれでよかったのだ。

 仮に斬られることを耐えれたとしても、あんな頭のおかしい女が彼女なんてまっぴらごめんだ。

 俺はもっとおしとやかでピュアな子がいいのだ。


 もう、俺の中にあった氷室神楽像はすっかり崩れ去った。

 多分明日から学校で見かけてもきゅんどころかドキッとすらしないだろう。

 いや、違う意味でどぎまぎしそうだが。


 ま、元々縁がなかったと思うしかない。

 それに俺だって秘密をばらされたくない側の人間だ。

 彼女が実は頭のおかしい女子だということは、黙っておこう。

 最も、話す相手すらいないんだけど。



 そして翌朝。


 目が覚めるとなぜか。


「おはよう、みっちー」

「……えっ、なんで先輩がここにっ!?」


 昨日追い返したはずの氷室先輩が部屋にいた。

 ベッドで眠る俺をじっと見つめながら、部屋の真ん中に座っていた。


 その顔は、なんとも言えず幸せそうで。

 正座する彼女の目の前には、布で包まれた刀らしきものが置かれていた。

 

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