5  メヅヌ、牛の乳を煮る

 牛を拾ったぞ、と上機嫌でぜんが帰ってきた。

「オオアマの家来がいてきたのだが、を見るなり、置き去りに逃げた」

とゲラゲラ笑う。前鬼、うっかり人にしんするのを忘れていたようだ。


「鬼退治に来やしないかね?」

顔色を変える後鬼ごきに、

「しばらく常に化身しているか」

と前鬼、大して気にしていない。


「おっとう、これは牛車ぎっしゃだ」

とメヅヌが言う横で

「牛……」

とデヅヌが呟き、牛をじっと見つめてよだれを垂らす。牛がおびえて『ぅんもう』と鳴いた。


「牛車とは?」

と後鬼が問う。

「牛車とはな、おっかあ

とメヅヌが言えば、いつもの事だがデヅヌが

「おっ母ではない。に乳を……」

と始める。


「牛の後ろに車のついた小屋のようなものがくくり付けてあるであろ。あれを言うのじゃ。そこに人が乗るようになっておるのじゃ」

「鳴くな、ヤギ! で、牛車とは食えるのか?」

言い終えたデヅヌが、それが肝要と話に加わる。


「牛車は食えぬ。牛は……牝牛じゃ。食うより乳をもろうたほうがよい」

メヅヌがそう言うと、

「乳はヤギの乳で充分じゃ」

とデヅヌが言う。するとヤギ小屋でヤギが『めぇ』と鳴く。

「煩い! ヤギめ、今度鳴いたら食うぞ!」

とデヅヌが怒鳴る。


「都の貴族たちは牛の乳を飲んだり食らったりするそうじゃ」

「都とはなんだ? 食えるのか?」

「都とは土地の名前じゃ。デヅヌのオオアマもそこに住処がある」

「オオアマが住んでいるところか」

と、ここで顔色を変えるのは前鬼だ。

「メヅヌ、今、デヅヌのオオアマと言わなんだか?」


「言うたがどうした?」

冷たくメヅヌが言い放つ。

「昨夜、デヅヌはオオアマとまぐわった」


「えぇえぇえぇ!!!」

腰を抜かすのは前鬼だ。


「オヅヌが風に乗せて、オオアマのところにデヅヌを連れて行った。で、媾った。デヅヌを気に入ったオオアマが、デヅヌを迎えに牛車を寄越したのであろ」

「本当か、デヅヌ?」

おろおろと前鬼がデヅヌに確かめる。


「媾い? あれが媾いなのか? 最初はこそばゆく、急に痛みが起こり、そのあとはなかなかのものだったぞ」

とニヤリとデヅヌが笑む。前鬼は腰を抜かしたままデヅヌの顔を見詰めるばかりだ。


「それよりおっ母、牛車を片付けたが良い」

「おっ母ではない。吾に乳を……」


「この館に牛車があっては、前鬼後鬼が鬼と知られる。牛はヤギ小屋に入れておけば、これがあの牛だとは見分けがつけられぬであろ」


 メヅヌに言われ、それもそうだと成り行きを見守っていた後鬼が慌てて車を壊してたきぎに変えた。張られた布はさっさと燃やして無き物とした。


 その間にメヅヌが鍋に牛の乳を絞り、鍋をかまどに掛けている。


「牛の乳を煮詰めるとができる。美味びみだそうじゃ」

メヅヌの言葉に

「そうか、そうか」

と、デヅヌがしたりをする。


「そう、ではない、蘇じゃ」

「そうか、そうか」

「そう、ではない、蘇!」

「そうか、そうか」

デヅヌが笑う。揶揄からかわれていると気が付いたメヅヌの瞳が光る。


「耳を切るか? その耳、よく聞こえておらぬであろ? 切り落として、付け替えてやろうぞ」

「蘇か、蘇なのじゃな。メヅヌ、よく判った」


 後ろで後鬼が、

「そこで、そう、粗相、というものだから牛が粗相をしたぞ」

とゲラゲラ笑う。


くそは拾って庭の木の根元に埋めるのであろ?」

そう言うメヅヌに

「もちろん」

と答えて後鬼は牛をいていく。あとには土間にぼたぼたと落ちたままの牛糞が残った。


「牛の糞、食えるか?」

「なんでも食おうと思ってはダメと教えたであろ」

と、湧いてきた鍋を掻き混ぜながらメヅヌがデヅヌに答えている。


「食えるものと食えないもの、きちんと見わけを付けられるようにな」

「あぃい……それで、蘇はいつ食えるのじゃ?」

「明日の朝までおっ母に煮詰めて貰えば」

「あれは青鬼の後鬼、吾に乳を……」


 ヤギ小屋でヤギが『めぇ』と鳴き、つられて牛が『うんもう』と鳴く。ヤギと牛の声が揃って『うんめぇ』と聞こえてくる。


「蘇は美味いのか?」

そう言ってから

「煩い! ヤギも牛も鳴くな!」

と怒鳴るデヅヌに

「美味いのであろ」

とメヅヌが笑う。


 その後ろでは腰を抜かしたままの前鬼が『しっかりおし!』と竹挟みで後鬼に叩かれた。前鬼を叩いた竹挟みで後鬼は牛糞を摘まんでいた。


 その夜もけた頃、屋敷の裏手で中をうかがう人影がある。少し離れたところに牛車が控えている。オオアマがデヅヌの寝所に忍び込もうとしているのだ。


 メヅヌが気配に気が付いて、少しばかり御簾みすを上げて外をのぞく。すると密かな声がある。

「ヌカタか?」

オオアマの声だ。


「ヌカタとは誰であろ?」

メヅヌが答える。


「ぬしはヌカタではあらぬと?」

するとオオアマの声を聞きつけたデヅヌ、

「オオアマか?」

と、問う。


「おお、その声はヌカタ。オオアマが会いに来たぞ。中にれておくれ」

「ならぬ」

答えたのはメヅヌだ。

「父の許しを得ておらぬであろ? 都に連れて行かせはせぬぞ」


 するとオオアマ、

てての許しは必ず貰う。どうか我とともに我が屋敷に来てくれぬか」

と言う。


「いやじゃ」

あっさりデヅヌが答える。

はこの屋敷におる。吾がいなくなればヤギが鳴く」

ヤギ小屋で『めぃ』とヤギが鳴き、『ぅんもう』と牛が鳴く。


「だが、中にはいるのはよい。れるのもよい」

にんまり笑んで御簾を上げるデヅヌを横目にメヅヌが呆れる。メヅヌを無視してオオアマ、すぐにもデヅヌを抱きすくめる。


「ヤギよ、牛よ、オオアマが帰るまで鳴き続けるがよかろ」

メヅヌの命に鳴き続けるヤギと牛をなだめ透かすのに忙しく、前鬼後鬼はオオアマの訪問についぞ気付くことがなかった。

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