4 デヅヌ、オオアマにヌカタと思われる
山奥に人里離れてポツリと建つ一軒家、十二年前にはボロボロの古家だったのに、今では豪華な屋敷に変わり、敷地の中にはいくつもの建屋、池さえ有って塀に囲まれている。
鳥たちがデヅヌを雷神と
で、前鬼後鬼はデヅヌに言われるがまま屋敷を改築し増築し、川から水を引いて池を作り、デヅヌが迷い込んだ魚を手づかみで捕まえて生きたままムシャムシャ食べるのを見て見ぬふりをした。
そんな
さすがに山の中にポツンと建っていると言ってもそこまでのお屋敷なら、いつの間にか人の口に上る。ましてヒョイっと垣を覗けば上等な着物の少女が二人、縁側に並んで座っている。
しかも、まるで人形のようにつんと澄まし、一人は
噂は人を呼び、前鬼後鬼も最近では鬼の姿でいる訳に行かなくなって屋敷にいる間は人の姿に
噂を耳にして訪れてくる人の中には貴族もいて『姫のご身分を』と尋ねるが、前鬼も後鬼も答えられない。
ご容赦願うと追い返すばかりだが、中には『是非とも通いたい』と言い出す者まで出る始末。
「なぁ後鬼よ。デヅヌに男が通ってきたら、どうなると思う?」
ある日、赤鬼の前鬼が妻で青鬼の後鬼に聞いた。
「デヅヌは食らうであろうなぁ」
「デヅヌは人の子ではなかったか?」
「雷を落とせる人などいるのかぇ?」
「メヅヌはどうだろう?」
「メヅヌか……あれは『腫れ物じゃ! 切らねば命が危ういぞ!』と切り落とし兼ねん」
「そうじゃのぉ」
前鬼後鬼がゲラゲラ笑う。
「オヅヌとメヅヌ、あれも人ではなかろうね」
「でも、そうだとしたらなんだろう?」
「なんであろうなぁ。どちらにしろ、あの子らのお陰で、
確かに、と前鬼後鬼がまた笑う。その笑い声で、別の部屋で眠っていたデヅヌが目を覚まし、聞き耳を立てる。
そんなことなど
「オオアマと言っていたな」
「あぁ、オオアマと言っていたさ」
「なんだか、美味そうな名だ」
「
「明日も来ると言っていたね」
「食いに行くか?」
前鬼が
「うんにゃ、やめておこう。ここに来たのは家来に違いない。宿にはほかにも家来がいるやも知れぬ」
「
「
「オオアマに
「
「猪か、美味かろうなぁ」
「腹が減った。これ以上減る前に寝てしまおう」
「そうだな、何か食べ始めたら、デヅヌが起きて来る。あれは抜け目ない」
と、途端に
夜具の上に座して、じっと前を見詰めたまま聞き耳を立てていたデヅヌがチラリとメヅヌを見る。
夜着に真っ直ぐ横たわり、天井を向いて眠るのは、オヅヌではなくメヅヌ、間違いない。オヅヌなら大の字になって、そもそも夜具の中に納まっていない。
「メヅヌに用はない」
デヅヌはツンとメヅヌの
「起きよ、オヅヌ。風を呼べ」
「ほひぃ?」
「
「食いに行くのか? オイラは眠いぞ。寝ていたい」
「起きねば雷を、落とおぉす!」
「わかった、わかった……」
首をガリガリ
縁側に出て見上げると、月が
「オオアマは本当に美味いのか?」
「判らん。おっ父と青鬼の後鬼が『美味そうだ』と言っていた。甘いのだろうな、とも言っていた」
「焼き栗より甘いかな?」
「場合によっては蜂の巣より甘いかもしれぬ」
「蜂の巣より? よし、行こう。風よっ!」
「あれがオオアマ? 人ではないか。人は食ろうてはならぬと、おっ母が言っていたぞ」
とオヅヌが言えば、
「あれは青鬼の後鬼じゃ。
と、あいも変わらずデヅヌが言う。が、ヤギ小屋は遠すぎて、ヤギの鳴き声は聞こえない。
「
「遠くてオヅヌの声が聞こえなんだ。聞こえて鳴いても、ここまでヤギの声は届かなんだ」
「……そうか。ひとりで食ろうたのでなければ、よおぉし!」
ニンマリとデヅヌが笑む。
すると、社のほうから人の声が聞こえた。
「オオアマ様、まだお休みには?」
見下ろすと、琴を爪弾く若者に、庭から誰かが話しかけている。
「うむ……今宵は月が美しい。もう
庭の誰かがどこかに消える。するとまた、琴の音が辺りに染みる。
「やはり、あれがオオアマ」
デヅヌが静かな声で言う。
「食えるのか?」
「オヅヌ、
「今、雷落としたら、デヅヌ、どうやって帰るつもりだ?」
「煩い、煩い! それよりもっとオオアマに近づけ。ここからでは食えるかどうか判断付かぬ」
「いいけど……ちゃんと掴まっていろよ」
と、オヅヌが言うなり風が動き始め、うなりをあげてオオアマの周囲をくるりと回った。
驚くのはオオアマだ。宙を駆け抜ける二人の乙女、天女が舞い降りたのかと目を疑う。しかもよく見れば、ひとりはいつぞや山奥で見かけた麗しの乙女。
「乙女よ、名をお教えください」
と、オオアマが声を掛けると、驚いたのはオヅヌだ。逃げなくては、と急旋回を掛けた勢いで均整を崩したデヅヌが風から落ちてしまった。
「抜かった!」
舌打ちしながらデヅヌが言う。
「ヌカタ……ヌカタと言うのですね」
オオアマ、思いを寄せる乙女から、名を告げられて有頂天だ。
「ヌカタよ、こちらにお出でなさい」
一瞬、デヅヌは迷ったが、恐る恐るオオアマに近づいてみた。隙があったら食ってやろうと思ったのだ。
そんな事とも知らないオオアマ、名を問い、名を知らされ、名を呼ぶのは、
当然、デヅヌ、もちろんそんなつもりは毛頭ない。オオアマに抱きすくめられて甘い香りに包まれると、やはりオオアマは甘いのだと勝手に思い込む。香が召し物に移っているなど知るはずもない。
オオアマが口吸いを始めれば、食うつもりが食われてしまうと驚いたデヅヌだったが、どうやら食われるわけでもなく気が付けば甘く心地よい。
「おお、
と、つい、口に出す。
オオアマ、もちろん喜んで、それはそれは丁寧に慎重にデヅヌを
いっぽう、慌てて逃げだしたオヅヌ、デヅヌを取り返そうと上空から様子を
ありゃあ、おっ父とおっ母が、俺らに内緒で、夜中にこっそりしているのと
と、言うことは、今は邪魔しちゃいけないという事か。デヅヌが呼ぶまで待っていよう。
と、
「ギャーーーーー!」
とデヅヌが叫んだ。
オヅヌが大急ぎで旋風を呼び、デヅヌを包もうとするが、デヅヌをきつく抱きしめるオオアマが邪魔でそうもできない。
おろおろ眺めているとデヅヌが自分からオオアマの首に腕を巻き付けて、どうも口を吸っているようだ。
ひとしきり
そこへ庭に駆け込む誰か、
「オオアマ様、オオアマ様、ご無事でしょうか? 何やら、叫び声のような、雄叫びのような……」
「気にするな、
答えるためにオオアマがデヅヌから口を離した。
(今だ!)
旋風が、クルクルとデヅヌを包み込んで舞い上がる。
「あぁ!?」
急いでオオアマがデヅヌに駆け寄るが、風に追いつくはずもない。
デヅヌは風に座ってまっすぐ前を向いている。その袖が風を受け、ひらひらと舞った。
「天女でございましょうか?」
庭の誰かがオオアマに問うた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます