4  デヅヌ、オオアマにヌカタと思われる 

 山奥に人里離れてポツリと建つ一軒家、十二年前にはボロボロの古家だったのに、今では豪華な屋敷に変わり、敷地の中にはいくつもの建屋、池さえ有って塀に囲まれている。


 鳥たちがデヅヌを雷神とおそれ、ご供物ごっこをしてなくても砂金やヒスイ・水晶などの欠片を持ってくるので、ぜん夫婦はかなり裕福となった。


 で、前鬼後鬼はデヅヌに言われるがまま屋敷を改築し増築し、川から水を引いて池を作り、デヅヌが迷い込んだ魚を手づかみで捕まえて生きたままムシャムシャ食べるのを見て見ぬふりをした。


 そんなおこないながらデヅヌは召し物にも執着し、デヅヌとメヅヌの召し物は絹織物の豪華なものだ。


 さすがに山の中にポツンと建っていると言ってもそこまでのお屋敷なら、いつの間にか人の口に上る。ましてヒョイっと垣を覗けば上等な着物の少女が二人、縁側に並んで座っている。


 しかも、まるで人形のようにつんと澄まし、一人は見目みめ麗しく、もう一人はなんとも言えず愛くるしい。どこぞの姫と噂にもなる。


 噂は人を呼び、前鬼後鬼も最近では鬼の姿でいる訳に行かなくなって屋敷にいる間は人の姿にしんしている。前鬼は赤ら顔の偉丈夫、後鬼は病弱そうな青白い顔のうりざねかおに化けた。


 噂を耳にして訪れてくる人の中には貴族もいて『姫のご身分を』と尋ねるが、前鬼も後鬼も答えられない。


 ご容赦願うと追い返すばかりだが、中には『是非とも通いたい』と言い出す者まで出る始末。


「なぁ後鬼よ。デヅヌに男が通ってきたら、どうなると思う?」


ある日、赤鬼の前鬼が妻で青鬼の後鬼に聞いた。


「デヅヌは食らうであろうなぁ」

「デヅヌは人の子ではなかったか?」

「雷を落とせる人などいるのかぇ?」


「メヅヌはどうだろう?」

「メヅヌか……あれは『腫れ物じゃ! 切らねば命が危ういぞ!』と切り落とし兼ねん」

「そうじゃのぉ」

前鬼後鬼がゲラゲラ笑う。


「オヅヌとメヅヌ、あれも人ではなかろうね」

「でも、そうだとしたらなんだろう?」

「なんであろうなぁ。どちらにしろ、あの子らのお陰で、らの毎日が面白くなった」


 確かに、と前鬼後鬼がまた笑う。その笑い声で、別の部屋で眠っていたデヅヌが目を覚まし、聞き耳を立てる。


 そんなことなどつゆとも知らぬ前鬼がぽつりと言う。


「オオアマと言っていたな」

「あぁ、オオアマと言っていたさ」

「なんだか、美味そうな名だ」

ふもとやしろに泊まっていると言っていた」

「明日も来ると言っていたね」

「食いに行くか?」

前鬼がよだれを垂らす。


「うんにゃ、やめておこう。ここに来たのは家来に違いない。宿にはほかにも家来がいるやも知れぬ」

破魔はまの矢を背負うていた」

こわや……鬼と見破られず、ホンに良かった」


「オオアマに相応ふさわしい娘か知りたい、と言っていたな」

猪狩ししがりに来て、むすめ見染みそめた、と言っていたな」


「猪か、美味かろうなぁ」

「腹が減った。これ以上減る前に寝てしまおう」

「そうだな、何か食べ始めたら、デヅヌが起きて来る。あれは抜け目ない」

と、途端におおいびきが聞こえ始める。


 夜具の上に座して、じっと前を見詰めたまま聞き耳を立てていたデヅヌがチラリとメヅヌを見る。


 夜着に真っ直ぐ横たわり、天井を向いて眠るのは、オヅヌではなくメヅヌ、間違いない。オヅヌなら大の字になって、そもそも夜具の中に納まっていない。


「メヅヌに用はない」

デヅヌはツンとメヅヌのへそつついた。


「起きよ、オヅヌ。風を呼べ」

「ほひぃ?」

ふもとやしろに『オオアマ』があるらしい。オオアマと言うからにはさぞや甘かろう」


「食いに行くのか? オイラは眠いぞ。寝ていたい」

「起きねば雷を、落とおぉす!」

「わかった、わかった……」


 首をガリガリきながら、面倒くせぇなとオヅヌが立ち上がる。お召しはメヅヌのままだ。少し丈が足りない。が、オヅヌは気にしないし、デヅヌももちろん気にしない。


 縁側に出て見上げると、月が煌々こうこうと輝いている。


「オオアマは本当に美味いのか?」

「判らん。おっ父と青鬼の後鬼が『美味そうだ』と言っていた。甘いのだろうな、とも言っていた」


「焼き栗より甘いかな?」

「場合によっては蜂の巣より甘いかもしれぬ」

「蜂の巣より? よし、行こう。風よっ!」


 ぜんやる気になったオヅヌが風に命じると、ヒューッとどこからともなく風が吹く。それにひらりとオヅヌが乗った。続いてデヅヌもオヅヌに捕まりながら乗り込んだ。


 ふもとまでひとっ跳び、やしろを上からのぞいてみると、縁側に歳の頃なら十四、五の若者ひとり。どうやら琴をつまいている。


「あれがオオアマ? 人ではないか。人は食ろうてはならぬと、おっ母が言っていたぞ」

とオヅヌが言えば、

「あれは青鬼の後鬼じゃ。等に乳をくれたのは……」

と、あいも変わらずデヅヌが言う。が、ヤギ小屋は遠すぎて、ヤギの鳴き声は聞こえない。


うるさいヤギはどこへ行った? 吾に乳をくれたヤギはどこじゃ? オヅヌ、おまえ、食ったのか?」

「遠くてオヅヌの声が聞こえなんだ。聞こえて鳴いても、ここまでヤギの声は届かなんだ」

「……そうか。ひとりで食ろうたのでなければ、よおぉし!」

ニンマリとデヅヌが笑む。


 すると、社のほうから人の声が聞こえた。

「オオアマ様、まだお休みには?」

見下ろすと、琴を爪弾く若者に、庭から誰かが話しかけている。


「うむ……今宵は月が美しい。もうしばらく琴の音を献上いたそう。おまえは先に休むが良い」

庭の誰かがどこかに消える。するとまた、琴の音が辺りに染みる。


「やはり、あれがオオアマ」

デヅヌが静かな声で言う。


「食えるのか?」

「オヅヌ、うるさい! 雷、落とすぞ!」

「今、雷落としたら、デヅヌ、どうやって帰るつもりだ?」

「煩い、煩い! それよりもっとオオアマに近づけ。ここからでは食えるかどうか判断付かぬ」


「いいけど……ちゃんと掴まっていろよ」

と、オヅヌが言うなり風が動き始め、うなりをあげてオオアマの周囲をくるりと回った。


 驚くのはオオアマだ。宙を駆け抜ける二人の乙女、天女が舞い降りたのかと目を疑う。しかもよく見れば、ひとりはいつぞや山奥で見かけた麗しの乙女。


「乙女よ、名をお教えください」

と、オオアマが声を掛けると、驚いたのはオヅヌだ。逃げなくては、と急旋回を掛けた勢いで均整を崩したデヅヌが風から落ちてしまった。


「抜かった!」

舌打ちしながらデヅヌが言う。


「ヌカタ……ヌカタと言うのですね」

オオアマ、思いを寄せる乙女から、名を告げられて有頂天だ。

「ヌカタよ、こちらにお出でなさい」

一瞬、デヅヌは迷ったが、恐る恐るオオアマに近づいてみた。隙があったら食ってやろうと思ったのだ。


 そんな事とも知らないオオアマ、名を問い、名を知らされ、名を呼ぶのは、性交まぐわいたいとの意思表示、それに応えてくれたのだから思いは遂げられると思いこむ。待ちきれなくて自分のほうからもデヅヌに近づく。


 当然、デヅヌ、もちろんそんなつもりは毛頭ない。オオアマに抱きすくめられて甘い香りに包まれると、やはりオオアマは甘いのだと勝手に思い込む。香が召し物に移っているなど知るはずもない。


 オオアマが口吸いを始めれば、食うつもりが食われてしまうと驚いたデヅヌだったが、どうやら食われるわけでもなく気が付けば甘く心地よい。


「おお、あまっ!」

と、つい、口に出す。


 オオアマ、もちろん喜んで、それはそれは丁寧に慎重にデヅヌをでる。体中を触られ舐められ、やはり食われるかと思いきや、齧ってくる気配はない。こそばゆいだけだが、それも何やら心地よい。様子を見ようとデヅヌ、オオアマにやりたいようにやらせてみる。


いっぽう、慌てて逃げだしたオヅヌ、デヅヌを取り返そうと上空から様子をうかがうが、何やら雲行きがおかしくなっている。


ありゃあ、おっ父とおっ母が、俺らに内緒で、夜中にこっそりしているのとおんなじだ。何をしているんだ、と訊いたら、こっぴどく怒られた。


 と、言うことは、今は邪魔しちゃいけないという事か。デヅヌが呼ぶまで待っていよう。


 と、

「ギャーーーーー!」

とデヅヌが叫んだ。


 オヅヌが大急ぎで旋風を呼び、デヅヌを包もうとするが、デヅヌをきつく抱きしめるオオアマが邪魔でそうもできない。


 おろおろ眺めているとデヅヌが自分からオオアマの首に腕を巻き付けて、どうも口を吸っているようだ。


 ひとしきりうごめいていたオオアマがやっと動きを止め、デヅヌを離す。が、口は離れず吸い合ったままだ。


 そこへ庭に駆け込む誰か、

「オオアマ様、オオアマ様、ご無事でしょうか? 何やら、叫び声のような、雄叫びのような……」

「気にするな、ぬえでも鳴いたのであろう」

答えるためにオオアマがデヅヌから口を離した。


(今だ!)

旋風が、クルクルとデヅヌを包み込んで舞い上がる。


「あぁ!?」

急いでオオアマがデヅヌに駆け寄るが、風に追いつくはずもない。


 デヅヌは風に座ってまっすぐ前を向いている。その袖が風を受け、ひらひらと舞った。

「天女でございましょうか?」

庭の誰かがオオアマに問うた。

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