第6話 桜は咲かない

 僕たちが住んでいるのは山奥の村だ。この村は緯度はそんなに高くないのだが、標高が高いこともあり、ふもとと比べて気温は低い。ふもとでは卒業式の頃には桜が咲くが、ここでは入学式あたりまで待たないといけない。

 

「でもさ……本当に持つのか?」

「持つ。ていうかなんとしても持たせる。私の精神力を何だと思ってるの」


 神奈とそんな会話をしたのは、卒業式の前日だった。結局神奈は何とか卒業式まで生き延びた。本当にぎりぎりだった。卒業式がもう一日遅かったら、どうなっていたかわからない。


「いや、でもな……お前、めちゃくちゃ痩せてるぞ。もっと言えば、昨日より足元がふらついてるぞ。かなり心配なんだが」


 神奈がこんな状態である、拓巳と彩に全てを隠しておくのは無理だった。だが神奈は謎のそれっぽい嘘の病名を彼らに説明して、絶対に自分が死ぬ予定であることは悟らせなかった。もしかすると薄々悟っているかもしれないけれど、確信は持てないようにさせていた。


「たぶん私は明日で最後よ。どうかそれまでよろしく」

「何を言ってるんだよ。まだ最後と決まったわけじゃないだろう」

「ううん、明日よ。私にはわかるの」


 そう神奈は寂しそうに言った。


⭐︎


「なんでだよ……」


 それなのに、僕は翌日絶望することになった。

 神奈は持たなかったのだ。卒業証書をまさに壇上でもらおうとしたとき、神奈の頭はぐらりと揺れて、そのまま放物線を描いて床に激突した。

 拓巳、僕、彩の順に神奈に駆け寄ったが、神奈の顔はすでに蒼白になっていた。神奈はさらりと僕との秘密を喋ってしまった。確かに今さら隠すことでもなかったが。

 神奈は救急車を呼ばれることを拒んだ。これは僕にも何回も念を押したことだった。神奈は無駄な延命治療を望んでいなかった。ただ自然のままに生きて逝きたいようだった。

 僕たちはしばらくそのまま神奈を見守っていたけれど、神奈の両親がやって来て、神奈は車に乗せられた。その車は僕たち全員が乗れるほど広かった。

 神奈の家に着くと、柔和そうな初老の男性が僕たちを迎えた。彼は神奈の主治医だった。彼は神奈を一目見るなりこう言った。


「秒読みですな」


 その言葉で、僕たちは神奈にもうほとんど時間が残されていないことを知った。元から全てを知っていた僕でさえ、神奈が今日までということが、何か遠い世界の出来事かのように感じた。

 でも神奈には時間がなかった。神奈を見れば見るほど、僕はそれを意識せざるを得なかった。

 僕は神奈がジェットコースターに乗って、ゆっくりと空に上っていくところを想像していた。頂点を過ぎれば、神奈は無限に急降下していく。神奈は必死にそこから抜け出そうとしているのだけれど、どうやってもシートベルトを外すことができない。


「神奈!」


 僕はいつのまにか夢中で神奈の手を握っていた。何度も呼びかけた。でも神奈は答えなかった。神奈は何とかしてジェットコースターを止めようとしていた。

 突然、神奈の全身が激しく痙攣けいれんした。それで僕は神奈が頂点に達してしまったことを知った。

 神奈が僕の手を強く握った。まるで落ちていくジェットコースターの中で、怖いのを紛らわすように。

 そして、神奈の手の力はだんだんと抜けていった。神奈はそのまま地面を越えて落ちていった。僕はもうその先に行くことはできなかった。

 神奈の手が完全に力を失って、だらりと垂れ下がった。

 神奈の主治医が、不意にピンセットを上に投げ上げた。みんながそのピンセットを見た。ピンセットは上に上がっていき、天井にぶつかる直前で一瞬静止して、そのまま落ちていき、主治医の手の中に収まった。

 視線が自分に集まったのを確認して、主治医はおごそかに宣言した。


「これにてご臨終です」


 神奈の命はそこまでだった。

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