第5話 きみの体温を感じたい
「浅井くん、まだかなぁ」
夏祭りの人混みに、愛しい人はいなかった。捜索の手がかりは、背中の既視感。
どうして私は浅井くんの顔を探さないのかな。首をひねった私の脳裏に、教室の光景が浮かぶ。
板書を写す度に、丸めた背中が視界に入った。身長が低い私を案じているのか、浅井くんは背筋を伸ばさない。肩が凝らないか心配だけど、私はその気遣いが嬉しかったんだ。それで背中の方が印象に残っているのかもしれない。
ということは、付き合う前も浅井くんに惹かれていた? 告白の言葉に偽りはなかったのでは。
なんだか手汗が止まらなくなってきた。麻の浴衣は汗を吸収してくれるかな。百合の絵柄を見つめていると、美優ちゃんの下駄がカッと音を立てた。
「待ち合わせから五分も経っているんですけど。初デートなら、特に遅刻しないようにするでしょ。清羅。困ったら、いつでも相談に乗ってあげるからね」
「……ありがと」
昨日の初デートは最高だったから気にしないもん。それに、五分くらい許容範囲だよ。本屋で文庫本を買えば、一時間は待機できる。
私の横で、美優ちゃんの彼氏は黄色い声を上げた。
「美優は友達思いだね。学校でも世話焼きなんだ?」
「だって、清羅みたいな子は放っておけないんだもん。でも、一番放っておけないのは、あっくんだよ」
「うちの彼女が可愛いすぎる! この日のためにバイト頑張ったから、何でも買ってあげるよ」
うわぁ、帰りたい。
自分のいちゃつき具合を客観視すると、いたたまれなくなるらしい。少女漫画では分からなかった知識だ。
「富安さん、ごめんね。一人にさせて」
浴衣男子が私に微笑んだ。
「遅れてすみません。北口の改札で降りてしまって」
「方向音痴かよ。なら、多目に見ようぜ。美優」
私と美優ちゃんは呆然としていた。浅井くんが身にまとっていたのは、生成りに藍色の縞模様が入った浴衣だった。上級者向けのデザインを、さらりと着こなしている。
「浅井くん、粋だね」
「浴衣は下駄でしょ。スニーカーとか論外」
美優ちゃんの言葉に、私はぎょっとした。マウントで仲を引き裂き、彼氏を横取りするという噂は真実なのだろうか。嫌な予感が的中した気がして、寒気を覚えた。
「鷹見さんって、もしかして着物警察? 都市伝説だと思っていたよ」
「余裕そうね。清羅にふさわしい彼氏か、見極めさせてもらうわ」
肩をすくめた浅井くんに、美優ちゃんは四枚の紙片を見せる。
「カップルなら楽勝じゃない?」
「さすが美優! 可愛いキューピッド様!」
ナイスアシストと彼氏に言われ、美優ちゃんは上機嫌だ。何のチケットか覗き込んで、私は血の気が引いた。
「美優ちゃん。私、お化け屋敷は……」
「じゃ、決まりね。混まないうちに行こっか」
美優ちゃんの目に、私の姿は映っていなかった。お化け屋敷へ歩き出した三人を見つめ、のろのろと追いかける。
「暗いところは駄目なのに」
断る意思は夕空に消えていった。
ぴちゃん、ぴちゃ。
水滴の音ですら、お化け屋敷では恐怖の対象に変わる。
「井戸の底にあるのは、婚約破棄された令嬢の涙。ここはロマンチックな乙女ゲームの世界……」
私は呪文のように唱えていた。
ダブルデートはどこへやら。二人は嬉々として進んでいった。私は浅井くんの顔を見上げる。
「浅井くん。掴まってもいい?」
「もちろん」
浅井くんは私と小指を絡ませた。
「富安さんは怖がりだったんだね。これでもう大丈夫」
大丈夫じゃない。昨日みたいに手を握ろうよ。
私は唇を噛んだ。
物足りないって言ったら、浅井くんは嫌がるのかな。
おねだりの言葉が言えなくて、私は浅井くんの左腕を抱きしめた。
「浅井くんの体温を感じさせて」
「と、ととと富安さん?」
浅井くんの声が上ずった。
可愛いところもあるんだ。私の緊張が緩んだそのときだった。
「ふざけるな。本当は怖くないくせに」
今まで聞いたことのない声色に、腕組みを解いた。
「ど、どうしたの? 急に」
「ベタベタ触られるの嫌いなんだよ。恋人なら密着していいとか、その考え方も気にくわない。あいつの入れ知恵か? 道理で趣味が悪いはずだ」
「美優ちゃんのことを悪く言わないでよ。私にとっては大事な……」
友達なのかな。美優ちゃんにとって、私は仲よくしてあげている存在じゃないの?
黙り込む私に、浅井くんは冷めた眼差しを向けた。
「ほら。言葉に詰まるくらいなら、ろくな関係じゃないよ。どうせ告白も、俺に向けて言った訳じゃないんだよね」
「それは」
肯定してしまえば、この恋を手放してしまう気がする。
ごまかしても、バッドエンドは避けられそうもない。
ためらっていると、スマホが着信音を奏でた。
美優達、もう出たよ。あとは二人でごゆっくり。引き立て役、お疲れ~。
「引き立て役?」
友達じゃなかったんだ。照明の電気が弱まったのは、気のせいかな。
文面を見て、浅井くんは囁いた。
「もう終わりにしよう」
「待って!」
弁解しないといけないのに、言葉が出てこない。
嘘をついてごめん。暗いのが怖いなんて本心じゃない。正しい反応が分からなくて、模範解答に頼っただけなんだ。本物の幽霊は、こんな作り物よりも、ずっとずっと優しいの。
クラスメイトが肝試しで行こうとしていた竹藪の子達も、無邪気で可愛い笑顔を見せてくれた。焼夷弾の威力も、死んだことも知らずにいる在りし日の姿。祟りが起きるのは、礼節を欠いたときだけだ。
私には霊感がある。ただ、見えることを口外したのは一度もない。幽霊を見ることができるのなら、一番会いたい人だけを目にしたかった。
お母さん。どうしてあなただけ私の前に現われてくれないの。
「大変ですねぇ。リア充の人生も」
私は間延びした声にツッコんだ。
「私はリア充なんかじゃない。ただの嘘つきだもん」
「富安さん、誰と話しているの?」
後ろの正面だあれ。
浅井くんだと思ったのは、学ランの青年だった。はにかむ彼の表情の奥で、通路の壁が透けていた。
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