四、

06.腐敗魂も尽きせぬ夢想も抱えて生きてゆく

 百万の星が一斉に落ちてきて、ステージは踊る色と光に満たされた。アイを中心に、Braking Jamの面々が姿を現すと、ざわめいていた会場の空気は一気に昂揚する。悲鳴にも近い歓声が巻き起こり、飛び跳ね手を振り彼らを迎える。

 ステージに立つアイを見た瞬間、ゆりの中でも何かが弾け飛んだ。憧れ続けた彼女がそこにいる、夢じゃない、声の届く距離にいるんだ! 心臓が爆発し、全てを忘れて叫んでいた。オニになったときとは比べ物にならない衝動、生きてるんだと強く感じる。胸に刺さった小さな棘など、熱い涙に押し流されてしまう。そう、約束したのに、夜響は来なかった。

 ジンがギターをかき鳴らし、アイがスタンドからマイクをもぎ取った。

「Oh, Yeah!」

 赤と黒に染め分けた髪を振り乱し、一声叫ぶ。ドラムが入り曲が始まる。振動と爆音が体を揺さぶる。畳みかけるように刻むビート、弾ける電子音、アイはビブラートを効かせた特徴ある声で、矢継ぎ早に歌詞を叫ぶ。ほかのメンバーと合わせて、

「ヘイ、カモン!」

 を連発するサビの間に、皆の興奮は否応いやおうなしに高まってゆく。

(アイは一瞬にして、こんな大勢に魔法をかけられるんだ)

 女装したルウと絡むジャケットのアイを見たときに、足下あしもとからぞくぞくと這い上がってきたあの興奮、あれが今もっと大きくなって、ここにいる皆を包んでいる。全てを忘れさせる激しい鼓動、こぼれる涙さえ気付かぬほど。正しいとか間違っているとか、冷静な基準が用を為さない野性のままの叫びに、ゆりは解き放たれてゆく。単純に美しいもの、楽しいものを、たらふく食べるみたいに。

「音楽は仮面だ!」

 一曲目が終わると同時に、ベースの妖介ようすけが前に躍り出て、アイの手からマイクを奪い叫ぶ。「伝えたい程のものも、伝えられる程の価値も、俺たちにはない! みんなただ感じてくれ。今夜は狂わせてやる、エレキの音でイカせてやるっ!」

 隣でアイが手を叩いて喜んでいる。最年少の妖介は、ラジオ番組ではほとんど口を利かない自称「ヤク中」のくせに、ライブとなると妙に元気だ。二曲目が始まり、飛び回る妖介に、皆口々に叫んで返す。

(墜ちてゆくだけだ)

 ゆりは思う。

(人は生まれる瞬間から、死に向かって歩いてる。待つものなんて死しかない。どこまで行ったって、光なんかありはしない)

 夜響やBraking Jam、ネオンサインがみせる作り物の光は、まばゆく輝くけれども、夜が明ければ消えてしまう。散る花のように。土に落ち朽ちるように。だけど、限りがあるからいとおしい。

(上澄みだけ飲んでキレイ事で終わるより、底の底まで這いもぐって、せめて生きてることだけでも感じたい)

 今強く、鼓動を感じる。オニになったゆりは、何も恐れない。墜ちてゆくことも。爆音に包まれ恍惚としたまま跳び続ける。きらめくステージはまるで銀幕の夢、理想の幻が、架空の美が、皆を包んでいる。

〈全ての感覚が研ぎ澄まされて 体中がマヒしちまいそうだ!〉

 低く叫んで曲が始まる。

 今はも、自分を消したいなんて思わない。世界は、もっと、ずっと広い。行き場なんていくらでもある。踏み出すことさえ恐れなければ。

 ――あたしが誰だか気付かせてくれる――

 それが、ゆりのみつけたもっともふさわしい言葉だった。

〈ああみえるわ

 思いがそのまま黒い炎になって

 この影が消えないことを祈るよ 太陽に照らし出されぬよう

 ――夜が大好きなんだ〉

 アイは歌う。ゆりの中の、もうひとりのユリを言い当てるように。「私」と呼べるのは、決して一人じゃない。「B.B.Girlz」の服に包まれ鏡の前に立つとき、ゆりの中に潜む少年が、鏡の虚像に心を奪われている。夜タオルケットに包まれ、夢うつつの物語の中、まなこばかり光らせているとき、少女の心は暗闇に惹かれてゆく、夜の瞳を持つ少年に。

〈夜が大好きなんだ〉

 アイは繰り返す。強いビートに乗って。

 卑屈に否定し続けた過去や暗い欲求を、ごく自然に認めるうち、いましめはひとつづつ解け、ゆりは手の届かないところへ上がってゆく。不思議な雲の上で満ち足りている。

〈そんなものは

 消そうとしたって消えるものじゃないことを

 アタシは知ってる

 ああステキだわ 手の平の上の世界

回りながら輝いてる〉

 大きく手を振り、声をあわせて歌っていると、涙がこぼれた。消そうだなんて、もう思わない。そんなふうに自分を否定し傷付けて、何が楽しいの? 昨日までの愚かな自分のために、ゆりは泣いた。

 負けるもんか。この腐敗魂ふはいこんを、尽きせぬ夢想を、自らの手で絞め殺したりするもんか。狂った星のもとに生まれ落ちた。あの星は異端者を生むけれど、神も悪魔もそこから生まれるんだ。

 アイは、女装したルウと一本のマイクに唇を寄せあい、身をくねらせる。赤と青のライトが、二人を妖しく照らし出す。

〈ハンディも性も美醜も乗り越えるべきもの

 アタシはもう越えてるの?〉

 それはゆりの大好きな曲、神にも悪魔にもなれる、と確信に満ちて歌う最後が、なんと言っても好きなのだけれど。

 Braking Jamは、ほぼ同時に二枚のアルバムを出した。一枚目は、ピアノやアコースティック・ギター、ストリングスが絡み、透明感に満ちた音色ねいろを、ゆったりと聴かせる。詩に現れる夏祭りや水辺が、疲れた体を包み込む。だが故郷を映すみなもには次第に不安な波が寄せ、情景は壊されてゆく。やがて彼女は「肥大化したカラダの中で、心臓は空洞だわ」と泣き叫ぶのだ。

 ライブでアイは、大きなシーツにくるまってステージに現れた。少女のようなアイを見た途端、ゆりは彼女を自分だけのものにしたい衝動に駆られた。今も、あのときの写真を雑誌で見るたび、胸がきゅんとする。

〈アタシを消さないで、アタシはここにいる〉

 そんな曲を最後に歌って「恐怖心」をかたどったアイは消えてゆく。

 もう一枚が発売されて、前作を蝕んだものが黒い欲望だと分かった。思い出は感傷を呼び、素敵な欲望に恐怖を抱く。あたしを尻込みさせる邪魔者だと、悪魔のような出で立ちでアイは一蹴する。前作のツアーが終わらぬうちに、今回のツアーを始め、前作のほうは今作に呑まれるように終了した。

 挑発的なアルバムのイメージそのままに、アイは髪を逆立さかだて眉を剃り、目を吊り上げて、黒い口紅とひきかえに、頬には過激な紅を重ねている。黒いロングコートは、色とりどりの照明を悪魔的にはね返し、それを脱ぎ捨てると、歓声がドームの天井を突いた。スパンコールをちりばめたベストから、大胆にのぞく胸元、時折へそピアスがきらりと光る。大きな薔薇を描いたジーンズにも厚底ブーツにもラメが散り、全てが輝いている。

 二枚のアルバムには、題と詩と編曲を変えて、同じ曲が収められている。詩の入る箇所が交互になっているので、あわせれば二つの心の対話とも聞こえる。

〈きみは力 アタシを狂わせる

 息が止まる

 ふるえる〉

 ――呪いのコトバばかり唱えてるわ

   アタシにも セカイにも――

 ゆりはもう一方の詩を、心の中で口ずさむ。

〈ねえでも今きみが現れて 心は姿を変える〉

 この部分は、もう一方も同じ言葉。

〈アタシは誰だっけ――?〉

 ――ああこわい 変わらずにいて――

〈そんなこと 忘れていい〉

 ――ああやめて 殺さないで――

〈人は気付くかしら

 アタシが人でない何かに変わったこと

 昨日までのアタシは消えちまったわ

 心は昇華されて雲の上 霞になった〉

 ――高いところはこわいのよ

   うちはどこ? 帰らせて――

〈きみはアタシに命ずるの

 コワセって

 ああ分かってる 今やるわ 何よりきみが大切だから

 きみのためならこの胸引き裂くわ〉

 ――何も見えない 雲ばかり

   堕ちてゆくわ 霞の中闇の中

   助けて 転げ落ちる――

〈なんだって出来る

 こわいのはこの陶酔から醒めることだけ〉

 根本的な恐怖に襲われた。幾度も聴いた曲なのに。拳を握って、目の前の空気をにらみつける。指が、冷たい汗にぬるりとした。

(皆、死ぬのはいけないことだと言う。だからそんな悪いことをしないで済むよう、思い通りやるだけだ)

 アイは歌う。

〈何が悪い 全て欲しいんだ!〉

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