*5* やっと家族が勢揃い。
妹の年内最後の舞台公演に現れた不思議な男が消えてから一週間後。残り少ない年末を家族で過ごすべく、王都から父が帰ってきた。
ハインリヒ・エステルハージ。それが今世での父親の名だ。
転生してから男の家族がいない屋敷の生活を満喫していたので、前日までは緊張していたものの、馬車から降りてきたこの世界での父の姿を見た瞬間妙に懐かしい気持ちになって、気付けばアンナと一緒に抱き付いていた。
いつもはそんなことをしないのであろう私に、父は少し驚きつつも「無理をして倒れたらお父様が恋しくなったか?」と笑って頭を撫でてくれた。生前にはあまり感じたことのない家族っぽさに、胸の内が温かいもので満たされる。
予定よりも帰還が遅かった理由をアンナが訊ねれば、父は苦笑しつつ「王城の方がかなり慌ただしくてね」とだけ言った。あまり歯切れの良くない説明から、どうもあまり詳しく話せない内容なのだろう。
そんな父の気配を素早く察知した家令が「お嬢様、旦那様。積もるお話の続きは、暖かい場所で如何でしょうか?」と声をかけてくれたので、その提案に頷いて暖められた応接室に移動する。
そこでメイドが用意してくれた紅茶と父のお土産のクッキーを口にしながら、徐々にアンナと私の試みへと話題を持っていく。
「手紙に書いてあった今年最後の舞台に間に合わなかったのは悔しいが、教会の寄付も増えたそうだし、領民達の識字率が上がるのは悪いことではない……というか、むしろ素晴らしい功績だ。お前達はこのまま励みなさい」
一通り話を聞き終わった父は、そう言って事も無げにカラリと笑った。緊張して話したのにと思う一方で、ゲーム内でもたまに王都から情報を持ち帰って来る際に見せた茶目っ気を覗かせる。
「ありがとうございます。やはり持つべきは理解のある父親ですわね」
「ありがとうお父さま、大好きよ!」
「うんうん、二人とも恐ろしく現金だな。だがそれも良し! 文官の仕事が忙しくて年に三、四回しか戻って来られない領地と可愛い娘達の頼みだ。これくらいで感謝されるなら悪くない」
そんな冗談なのか本気なのか分からない反応を見せる父は、後ろで束ねた栗色の髪と、ダークグリーンの瞳を持つ中性的な美しさの男性だ。妹を気品のある家猫に喩えるなら、父は野生種の猫だろうか。どちらもつり目つり眉なのに、受ける印象は多少異なる。
私とアンナの母親を早くに亡くしてからも社交界の女性達からの人気は高く、何度も後添えの話が持ち上がったらしい。けれど妻以外は愛せないという理由で再婚を断り続け、今年で三十八歳になってしまった一途な人である。
しかし父は何故か見た目と文官という職業を裏切るガサ……剛胆な性格で、製作者側が彼をどう扱いたかったのかに困る。
とはいえゲームのどのシナリオルートでも父に関しての話は少なかった。考えてみればあまり領地に戻って来られないのだから当然だろうけれど、今世ではこれから親子としての絆を深めていこうと思う。
「だが出資する交換条件として、年明けに城に戻るときにはベルタが監修して、アンナの翻訳した本を数冊くれないか。同僚に自慢したい」
「お父さまったら、そんな理由なら絶対あげません。親馬鹿だと笑われます」
「アンナったらお父様なりの冗談よ。きっと純粋に貴女が頑張って翻訳した本が読みたいだけだわ」
そう助け船を出してはみたものの、父に胡乱な視線を向ける妹は「本当かしら」と呆れ顔である。たとえ会うことが少なかろうとも、思春期の反抗期は避けられない。それでも父はアンナのそんな姿にも嬉しそうに笑顔を浮かべている。
その後は仕事に忙殺されていると同情を買う作戦に出た父に対し、妹は「それなら、何か心の休まるものを翻訳した方がいい?」と、可愛らしい発言をして父を感動させた。しかしどれだけ綺麗な顔をしていようが、こういうところは普通に世間一般のちょっと鬱陶しい父親なのがおかしい。
紅茶の用意を新しく書庫の方に整えてもらい、この半年で取り寄せた蔵書と格闘するアンナの背中を父と眺めつつ、他愛のない会話と共に紅茶を楽しむ。すると父がふとカップを置いてこちらに愉快そうな視線を向けた。
「それでベルタ、領民達の識字率を上げた後のことはどの程度考えている? お前のことだからそれで“はい、おしまい”とはならないのだろう?」
父よ……意外と鋭いな。けれど、まさか“将来自分の教え子になるお嬢様になるべく早く会いたいから”とは言えまい。それにその目標は結構早い段階で軌道修正してしまっている。
今の私は教えることの楽しさと、教えた相手ができるようになったときの顔を見るたびにやり甲斐を感じていた。前世の最後はあんなにもやっつけ気分だったのに、死んでから天職だったのではないかと思うとは因果なものだ。
黙り込む地味な私とはまったく似ていない美貌の父が見つめて、ただ言葉を待っている。
「勘違いがあっては困るので、これは前置きなのですが……お父様が信用して任せて下さるから、領地のことで頭を悩ませるのは嫌いではないのです」
「そうか、ベルタは優しいな。うちは代々女系で男児が産まれ難い家系だから、長女のお前にはいつも迷惑をかけてばかりだ。他所のご令嬢なら、もっと私に対して怒っているところだぞ?」
「いいえ。お父様が王城に出仕して下さるおかげで、私とアンナはここでのびのびと暮らしていられるのですもの。怒ることなどありません。ただ――……」
ここで一旦言葉を切った。父は急に会話を止めた私を不思議そうに眺めている。でも父よ、前世を含めても人生初の試みに至るには心の準備が必要なのだ。
そして私はついに自分の中にあった禁忌の蓋を開けて、父に精一杯の上目遣いをしたままこう言った。
「皆が各々のできることを少しずつでも増やしていけば、領地の発展にも繋がりますし……王都でお父様に何かあっても、皆に留守を任せてすぐに駆け付けられるようになるかと思って。目指すのはその水準ですわ」
その恥を捨て去った私の一連の攻撃に父は漢泣きをし、そんな事情を知らず本を手に戻ったアンナの心底冷たい眼差しに晒されて、別の意味でも泣いた。
そんな感じで娘達に激甘な父を陥落させ、領地内を引っ張り回し、たった二週間しかない領地滞在期間のほぼ全てを妹と私の相手に費やさせた。はっきり言って鬼の所業である。世の家族持ちの休日返上サービスに脱帽だ。
おまけに王都に帰っていく父が、王城を訪ねた際に使える手形を作ってくれた。愛娘のおねだりの威力、恐るべし。とはいえ、この手形で王城に入ることは叶わない。あくまで父への取次ぎを頼めるだけだ。
しかし持っていて損をするものでもないだろうし、実際に父の身に何かあったときに使えるのだから、もらって嬉しくないはずがない。
「それではお父様、行ってらっしゃいませ。次のお帰りは春小麦の収穫頃でしたね。領民一同、お待ちしておりますわ」
「お父さま、わたし次のお土産は王都で流行りの海外小説がいいです」
「実に対照的な見送りの言葉だな。だがまぁ、頼もしく成長してくれて嬉しい。ベルタ、留守とアンナを頼む。アンナ、お土産は了解だが、ベルタの言うことをきちんと聞いてしっかり学びなさい。皆も適度に身体を休めつつ業務に当たり、娘達に虫が付きそうなら報告を頼む。では行ってくるよ」
父はそんな年頃の娘に嫌われる余計な一言に、何となく一週間前に見た青年が頭を過ってヒヤリとしたけれど、微笑んで受け流す。
そして彼はアンナが寝る間も惜しんで二週間で翻訳した短編小説の写しと、これまで公演したり、教会に張り出したものの写しをトランクに詰められるだけ詰め、月曜日の朝を迎えたサラリーマンのような顔で旅立って行った。
――この日を境に、私の第二の教育者人生は大きな野望と共に幕を開けたのだ。
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