*4* どちら様だったんだろう?
妹のアンナを非公式な女性翻訳家として起用してから早半年。
彼女は恐るべき速度で語学を吸収してメキメキと才覚を発揮し、私が転生してから八ヶ月がすぎた頃には、教会と孤児院はちょっとした娯楽の場になっていた。
それというのもこれまで読み書きは男性中心の考えだった。そこに必要最低限の読み書きを学んだきりの女性達や、そもそも読み書きの勉強が嫌いな子供達が、妹が翻訳し、私が手直しした絵本や小説に異様なまでに食いついたからだ。
例えば絵本からはいきすぎた道徳観や宗教観を廃し、恋愛小説には回りくどくない甘い言葉を採用した。たったそれだけでも本を読むという行為のハードルは極端に下がる。これは物を学ぶ上でとてもいい傾向だ。
ちなみに妹の翻訳は男性にも人気がある。何というのか……こう、前世っぽく例えるならば、アンナは中学二年生の男子が好む言葉選びも巧みなのだ。現在は八つの頭を持つドラゴンを勇者が倒す冒険譚を翻訳中である。
私は勉強を教えることはできても、それを面白おかしく学ばせる話術は持たないし、直訳ではないにしてもテストで求められる正解の訳詞しかできない。だから我が妹の才能は本当に素晴らしいと思う。優秀すぎて将来が楽しみだ。
領民達も今までの読まず嫌いが嘘のように改善され、一日の仕事を終えれば教会の外の掲示板に張り出された翻訳の前には人だかりができ、最近では読み書きのできるシスターや神父様が瓦版的なものまで出してくれている。
一部年長の子供達の間では役者ごっこが流行っていて、馬で領内を視察しているときなどに披露してくれることもあった。
中には“これは!”と思わせる天才子役もいたりするので、そういう子達には声をかけて月に一回教会で公演してもらい、さらに読み書きに興味を持ってもらえるように活躍してもらっている。
その報酬は領地の帳簿から支払っているが、父も領内の識字率が向上することを喜んでくれているので問題ない。算術などの学問は追々教えていくとしても、この分ならば領内の識字率は今までで一番早い成長を遂げるだろう。
「お姉さま、新しい翻訳分ができたから添削をお願い」
「ふふ、いいわよ。いつも通り私がアンナ先生の翻訳書を読む一番最初の読者ね。喜んで承りましたわ」
「またそんな風にからかって。お姉さまは先生で、わたしは生徒なのよ。だから頑張ったわたしを存分に褒めて下さい」
そう言うや、翻訳された紙束を受け取った私の膝の上に頭を置く妹の姿に苦笑しつつ、その艶やかな髪を優しく梳く。しかし……元のゲームの世界観だとこの子はもっと大人びた印象だったと思う。
ゲームでは授業の選択科目コマンドを選んで、一週間分の時間割を作るのがメイン作業だったため気にならなかったが、実際に教鞭を取ると私の教育方針は学力を上げる代わりに、精神面がやや幼くなる傾向にあるのだろうか――?
考えてみれば個人の家庭教師を引き受けていたときも『先生っていうより、親戚のお姉ちゃんみたい』と評されてきた。だからこそ塾講師になってからは生徒に侮られ、他の同僚達からは『背は高いのに化粧っ気もなくて童顔だから、怒っても迫力がないんだよね』と笑われたのだ。
ほんの一瞬当時を思い出して苦々しい表情になっていたのだろう、こちらを見上げてきたアンナが小首を傾げて「どうしたの、お姉さま?」と可愛らしく訊ねてくる。慌てて「貴女が頑張り屋さんだから、早く疲れが取れますようにって、ね」と答えその髪を梳くと、アンナは嬉しそうに膝に顔を埋めた。
ああ……可愛いなぁ、参ったなぁ。もう【始めから】を押せない今度こそ、失敗したらまだ見ぬ教え子だけでなく、この子も不幸になってしまう。
「――良い子ね、アンナ。貴女は姉様の自慢の妹よ」
うつらうつらと夢現になり始めた妹の頬を撫でながら、私は明日教会で行う慰問劇の内容を思い出し、小さく溜息のようにそう零した。
***
そして翌日、領内で今年最後となる舞台の日。当然と言うべきか、十二月のやや片田舎の領地に娯楽は少ない。
だからこそ娯楽を増やすためには皆協力を惜しまないので、発案当初は教会の敷地内の空き地で行っていた催しは、いつの間にかちょっとした見世物のための舞台ができていた。
勿論観客席などはなく立ち見だが、皆その方が席取りで揉めることがなくていいと言うからその案を取り入れている。というか、私が勝手に立ち上げた識字率向上を目的としたイベントなので、そこまで手を入れるお金がない。
これについては父が領地に戻ってきたら相談してみようかと思っている。
その皆の舞台でアンナが翻訳し、私が領内からかき集めてきた演者達が、畑仕事や家畜の世話の合間に磨ききった演技力をいかんなく発揮した英雄譚は、拍手喝采の中、大盛況で幕を閉じた。
私はいつも通り裏方に徹していたので、こっそり幕の間から覗き見る程度だったけれど、妹が演者達と最後に舞台上で挨拶する姿はしっかりと見た。正直妹の姿にちょっと感動して泣いたわ。教育者冥利に尽きる。
しかしファンに囲まれた妹に手を振って別れてから、一人でひっそりと余韻に浸っていたところで、慌てふためいた様子の孤児院の子供達に捕まってしまったのが――……ついさっきのこと。
子供達に急かされて駆けつけた先に待っていたのは、随分と立ち姿の美しい青年だった。服装こそ一般的な行商人風ではあるが何か違和感を感じる。それこそ裕福な家の人間がお忍びでもしているようで、触らぬ神に祟りなしな予感だ。
相手はこちらを見て一瞬だけ軽く眉を持ち上げたものの、すぐに穏やかな笑みを浮かべて会釈をしてきた。
赤みをおびた金髪は短く切り揃えられ、眉と瞳はややつり気味。紺色に近い青い瞳は一見すると柔和そうな印象を与えてくるが、その奥は笑っていなさそうな感じがする。
身長は百八十を越えているだろうか? スラリとした身体つきだけれど、結構着痩せするタイプと見た。ますます得体が知れない。
「子供達には一番偉い大人を連れてきて欲しいと頼んだのだが、貴方がこの教会の責任者で間違いないだろうか?」
おお……深みの中に微かにビブラートが効いた実に好みの声。とはいえ、ゲームの物語画面でこの彼を見た記憶はない。本当に誰なんだろうかこの人。
「ええ。正確にはこの教会ではなく、領主の父は王城に勤めておりますので、私がこの地の領主代理をしております。我が領内で何か問題でもございましたでしょうか」
「いいや、とんでもない。実はさっきの舞台を見て感動したので、考案者がどんな人物なのか知りたくなって、子供達に連れてきて欲しいと頼み込んだのだ。元になった本を読んだことはあるが、それより数倍面白かった」
何で最初に少し嘘をついたんだよとは思いつつ、アンナの才能を見抜くとは、こう見えて意外と見る目のあるいい人かもしれない。
「まぁ、ありがとうございます。ですがあの翻訳をしたのは妹なので、その称賛はどうか彼女に」
ちょうど私の姿を探しに来たのであろうアンナが視界の端に現れたので、そちらに向かって手招きをすると、たちまち妹がスカートを翻して駆けてきた。翻訳の勉強に傾倒するあまり、最近淑女の勉強がおざなりになっている気がする。
私をロックオンした初速の勢いを殺さず、そのまま「置いていくなんて酷いわお姉さま!」と、抱きついてきた妹の甘えん坊攻撃を正面から受け止めたものの、反動からその場で半回転してしまった。
「もうアンナ、淑女はみだりに走ったりしないものよ? 今ね、こちらの男性が貴女の翻訳を褒めて下さっていたの。ご挨拶なさい」
けれど何とか抉り込むような抱擁の衝撃から立ち直ってそう言ったのに、肝心の妹は腕の中で不思議そうな顔をしてこう言った。
「お姉さま、こちらの……って、ここにはわたしとお姉さましかいないわよ? どなたのことを仰っているの?」
そんな馬鹿なと半回転する前に向いていた方向を振り向くと、そこには妹が言ったように、誰もいない虚空があるだけだった。
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