*2* 転生(?)したらしい。

 病人用に作られた消化に良い食事のあと、アンナが呼んだ医者から処方された薬を口に含んだ瞬間、何とも形容しがたい苦味と酸味が口内を占めた。味覚に連動して嗅覚まで攻められて生理的な涙が滲む。


「うぇ……まっずい」


 良薬口に苦しとは言うが、飲んだ方が調子を悪くしそうな苦味はもはや毒だ。あまりの不味さに思わずかぶっていた子爵令嬢の皮が剥がれた。慌ててベッドの傍で本を読んだままうたた寝してしまった妹を見やったが、彼女は美しい寝顔のままピクリとも動かない。


 安らかな寝息を立てるビスクドールのような美少女。ほぼ横スクロールとノベル展開の同人ゲームが、妄想力をフル活用した夢でVRも顔負けの世界観になるとは予想していなかった。


 もう一つ予想外だったのは、アンナのベルタへの懐きぶりと、屋敷の使用人達の献身ぶりだろうか。あの日からすでにゲーム内の日数で四日が経過しているにもかかわらず、アンナと屋敷の使用人達からの監視の目が緩まない。


 ――夢の中だとはいえ、確かに私の質問のし方が雑だったことは認める。けれどまさか精神的なものからくる一時的な記憶欠如と診断されるとは思わなかった。


 一応ベッドから起き上がっての自室内行動や、入浴などといった衛生的なものは制限されていないが、それ以外は基本的に声を上げればすぐにアンナか使用人の誰かが駆けつけられるこの距離感。


「かえってこの方が気が休まらないんだけどね……」

 

 聞き咎められない声音で愚痴りつつ、そっと溜息をつく。けれどまぁ、急に姉が訳の分からないことを言い出したら驚くのが普通なのか。


 簡単にこれまでの情報を整理すると、私ことベルタ・エステルハージは現在十七歳。ゲームの通り父の留守中に領主代理として領地内の視察や書類整理をこなし、空いた時間で妹の淑女教育と、教会に隣接した孤児院の子供達に勉強を教えているらしい・・・


 らしいというのは、純粋にその記憶があやふやだからだ。あと嫌な予感がするのだが、もしかして寝落ちしたと思っていただけで、実は私は自分でも気付かない間に死んだのではないだろうかと踏んでいる。


 そうでなければこの五感の生々しさと、きっちり四日は経っていそうな体感時間に説明がつかない。


 ならば元の人格を乗っ取ってしまったのかとも思っていたが、どうやらそれも違う。というのも妹や屋敷の使用人達の会話の内容やイベントを私は知っているからだ。感覚としては幽体離脱していた霊体の状態で、肉体の方を俯瞰ふかんしたまま操っていたといった感じである。


 自作自演の人形劇とでも言うべきこの状態も、広域で捉えるなら“転生”に入るのだろうか? しかもほとんど誰も知らないような同人ゲームの、失敗すれば教え子が死ぬという高難易度な育成系に。


 一応の救いがあるとすれば、前世で寝る間も惜しんで最高レベルまで上げた授業コマンドの方は生きているようだ。要するにダンスや刺繍といった、現代社会では余程お金持ちのお嬢様でもなければ必要ない技能も、一通りこなせる。


 中身がこれでこの花のない見た目でなければ、間違いなく淑女と呼ばれる位置に入れる人種だろう。


 まぁ、控え目に言って自分のことを何とかするのに手一杯な状況だけど、あれだけ何度も死なせてしまった教え子に愛着がないはずもない。ここがあのゲームであるのなら、彼女も確実にこの世界に存在すると思っていいだろう。


 ひとまず他にこの世界で生きていく上での核もないのだから、当面の目標は最短での本編入りを果たす……つまり、これまでのプレイで最年少での家庭教師枠入りを目指す。


「確か最後のプレイが最年少記録だったから……二十五歳か。あれでもまだシナリオ的に遅いなら二十……最低でも二十一歳には本編入りしたいな」


 幸いにもこれまでのプレイ記録は日記の形として残っているし、初日に突っ伏していた机にあった書類を読んでみた限り、読み書きや計算などの基礎的な一般教養はほぼ問題なくこの身についているらしい。むしろかなりやり込んでいた分、それなり以上にはこの世界の知識がある。


 日記の日付にある共通の大きなイベント日は、まず動かないと思っていいだろう。それに前世でも大学を出るまでの学力と社会人としての常識は身に付けたので、いきなり突飛な失敗をしたりはしないはずだ。


「いや、そもそも第一王子のルートに入りたくない。自分勝手に裏切っておきながら確実に教え子の首を取ろうとしてくるからな……あの男」


 まったく毎度とんでもない奴に目をつけられるものだ。私が子爵家でなく王族に近い地位なら失脚させてやりたいくらいである。ともかくもう少し様子を見て情報を集めないことにはと思っていたら、不意に傍で眠っていた妹の唇が動いた。


 寝言を呟いている妹を起こさないように近付いて、その赤く愛らしい唇に耳を寄せてみると――。


「……ねえ、さ……寝て……さい」


 ふにゃふにゃと力の籠らない声にほんの少しくすぐったいものを感じながら、ぎこちなく妹の頭を撫でる。柔らかい髪の感触と体温に生きているんだなぁと妙な感動を覚えてしまう。これからはセーブもロードもない。この世界が現実なのだ。


「これは何と言うか……責任重大だな」


 守るものが増えた今、私の第二の人生は、早くに幕切れとなった一度目に比べても極めてハードな予感がした。

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