◆第一章◆

*1* これオープニングだわ。

「――……ま……きて……い」


 どこかでぼうっと人の声のような耳鳴りがして、前夜は体調が悪いくせにゲームの最中に座って寝落ちしたはずが、ゆっくり左右にユラユラと自分の意図と関係なく身体が揺れる。そんな気配で真っ先に思い浮かべるのは――……地震?


 最悪だ。独り暮らしで体調不良のときに自然災害はシャレにならない。おかしな姿勢で寝てしまったせいで身体も痛む。


「ガスの元栓と……玄関のドアを開けて出口の確保、しないと、」


「あら、せっかく今朝はすぐに反応があったと思ったのに。まだ寝惚けているのですか? ベルタお姉さま」


 起き抜けに地震、独り言に返事が返ってきただけでも充分驚いた。


 おまけに突っ伏していた身体を引き起こした視線の先には、洋画に出てきそうな栗色の髪の美少女。不法侵入者なのにライムグリーンの瞳を笑みの形に細める美少女。ふっくらしたサクランボのような唇が同性から見ても魅力的な、情報が重複するくらいの美少女。


 ……どうなっているんだ、私の今朝の目覚めは。


 凍り付くこちらにお構いなしにクスクスと楽しげに笑う彼女の様子をこっそり窺う。外人さんの年齢は分かりにくいけれど、十二、三歳前後くらいだろうか? こちらに対して親しげな気配を纏う彼女に、何となく見覚えがある気もする。


 ――というよりも、この場面を私は何度も見た・・・・・。それこそつい先程寝落ちする前にも見ようとしていた。


「それにまたこんなところで力尽きて。いくらお父さまに領地の留守を任されているといっても、張り切りすぎて身体を壊しては大変よ?」


 そう言って可愛らしく睨み付けてくる、猫のようなライムグリーンの双眸。つり目つり眉のこの美少女は、私の妹だ。より正確に言えばこの子が呼んだ“ベルタ”の妹である。


 どうやら私はゲームにドはまりするあまり、寝落ちしたあとの夢にまで【お嬢様の家庭教師ガヴァネス~綻ぶ蕾のその色は~】を持ち込んだらしい。二十八歳にもなって香ばしすぎる案件だ。


 自分の痛々しい一面に触れて眉間を揉む私の前に、ゲーム内では領地のスケジュール管理画面でよくお世話になったアンナが手鏡を寄越した。


「ほら、ね? こんなに疲れた顔をしてるわ」


 そこに映っていたのはこのゲームの主人公で子爵令嬢の、ベルタ・エステルハージだ。顔の中心に散ったソバカスと、ダークグリーンの瞳に赤煉瓦色の髪。顔立ちは垂れ目つり眉で、本人の意思に関係なくやや含むものがありそうな顔……。


 両親と妹は美形なものの、一人だけパッとしない容姿なあの・・キャラクターだった。絵から血の通った人間になるとこうなるのかと思わせる自然な姿に、妙に凝っている夢だと感心する。

 

 ただ彼女の言う通り私の目の下にはくっきりと隈ができていて、ここだけは現実とさほど変わらないのかと呆れた。


「あの……お姉さま、やっぱりどこか辛いなら、一度お医者さまを呼んで診てもらいましょう?」


 こんな夢を見る機会は滅多にないからと、ついじっと手鏡に意識を向けていたせいか、私を見ていたアンナが体調が優れないと勘違いして声をかけてくれる。このゲームは製作者側がお金の余裕がないのに、シナリオ分岐のシステムにこだわったせいか、キャラクター達に声があてられていなかった。


 おまけにゲーム内でも気のつく娘だったけれど、それがこうして同じ姿で言葉を交わしてみるとより良い子である。


 ……公式サイトのない同人ゲームのパラメーター管理キャラに、ここまで肉付けしてしまう自分の妄想力が怖い。でも絶対良い子だ。やたらと塾講師を小馬鹿にするクソ○キッズの中でたまに出会える貴重な良い子。


「いいえ、大丈夫よ。まだ少し眠くて調子が出ないだけなの。そんなに心配してくれるだなんて、アンナは優しいわね」


 かなりやり込んでいたから主人公キャラクターの口調を真似ることは簡単だ。そもそも、物の考え方や捉え方が似ているタイプだったので、そこまで本来の人格と齟齬そごがない。


 私の言葉を聞いたアンナは「優しいだなんて……普通よ。お姉さまは大げさだわ」と、儚げな見た目に反して結構勝ち気な妹は花が綻ぶように笑った。


 ゲームのお嬢様断罪ルートによっては家を巻き込むので、この娘にまで迷惑がかかるものもあったからか、こうして向き合うとなかなか罪悪感が心にくる。ゲームの世界だとはいえ妹だし。


 とはいえ現実にも私の家のように、一人娘が大学を卒業した一週間後に家族を解散する家もあるくらいだから、一概に“家族とはこうあるべき”ということもないとは思う。両親はどちらもすでに新しい家庭を築いているのでもう交流もない。

       

 だったらゲームのオープニング場面の夢を見られているうちに、この世界観を楽しむのも面白そうだ。当然のことながらパッと彼女を見たところで、どこにもゲームのときのようにステータスが現れる様子はない。むしろあったら怖い。


「そうだわ、ねぇ、アンナ。お願いがあるのだけれど、聞いてくれる?」


「お姉さまがわたしにお願い……ええ、もちろん良いわよ!」


 ゲームの管理画面で見たときより食い気味に訊ねてくる妹に苦笑しつつ、その頭をゆっくりと撫でてやりながら現在地味に一番気になっている質問を投げかける。


「あのね、今日が何月何日で、私が今何歳なのか教えて欲しいのよ」


 この質問から数分後『お姉さまが過労でおかしくなった』と勘違いした妹によって、私の部屋に急遽医者が呼ばれた。


 ――……本当に変なところでリアルな夢だわ。

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