第1章「めざめ」 2-3 まともな飯

 「おい、おまえ、風呂の入り方を知ってるんだろうね!」

 「え!?」


 貫頭衣めいた服を脱ぎかけていたプランタンタンはギクリとして、女将を振り返った。


 「その汚れた身体で、先に湯へ入るんじゃないよ! タオルと石鹸があるから、何回か湯をかぶってからしっかり身体の隅々まで洗って、髪も洗って、洗いつくしてから入るんだ!」


 「へ、へえ……」

 知らない。当然だ。風呂に入るのは、130年間生きて、初めてだ。

 「でないと、湯を汚しちまうだろ! 旦那に、汚れた湯に入ってもらうのかい!?」

 「あ、なある……へへ、女将さん、ありがとうごぜえやす」


 上目でペコッと頭を下げ、プランタンタンが素直にそう云ったものだから、女将も意表をつかれて、


 「……わ、わかりゃあいいんだよ」

 浴室から部屋へ出て、ストラへ向かった。


 「旦那、そうしましたら、食事の用意ができましたら、お呼びしますからね。お連れの服は、すぐもってこさせますんで」


 「はい」

 ストラは、無表情のまま、つぶさに室内を観察しているように見えた。

 (さすが……襲われたときとか、どう戦おうか、逃げようか、考えているんだ)


 ワケアリと思いこんでいる女将は勝手にそう思ったが、ストラは観察は観察でも、自分の知っている施設とあまりに違う超古代の遺跡を再現したような宿屋が珍しくて、探査して遊んでいるだけだった。


 プランタンタンはボロキレみたいな服を脱ぎ捨て、湯殿へ入った。エルフは元から華奢だが、女将がそのプランタンタンの裸体を見たら、声を上げていただろう。まるで栄養失調の子供のように細くガリガリだったし、全身が痣だらけの傷跡だらけだった。中には刀傷のようなもの、火傷の跡のようなものまである。特に背中がひどく、鞭打ちの類の拷問や刑罰を受けた跡もあった。


 よく見たら、その細い手の指も、何本か異様な角度に曲がっている。折れたまま……いや、まま、固まってしまったのだ。


 プランタンタンは石鹸も初めて使うが、知識として使い方は知っていた。云われた通りに二回ほど暑い湯をかぶってその熱さに身震いしてから、タオルや身体を湯で濡らし、泡立て、とにかく全身を洗った。真っ黒になった泡と汚水が排水溝に流れる。その汚れは、自らのこれまでの人生全てに思えた。


 汚れを落とせば、元奴隷でもエルフだ、光るようなキメ細かい肌や薄い絹のように艶やかな細髪が復活する。湯に浸かるのも産まれて初めてであり、熱さに馴染めず少しの間だけ入ると、プランタンタンは身体を拭いて浴室から出た。


 すると、使用人が新しい服を持ってきていた。ストラが、

 「これ、着て」


 というので、慣れない人間の服を苦労して着る。下着、シャツ、ズボン、上着に靴と、人間の少年用なのでサイズがやや大きかったが、騎士や剣士の従者としては、男装ながらまず問題ないかっこうになった。


 それを、これも使用人が用意してくれた大きな鏡で見やって、さすがにプランタンタンは感慨で涙が出てきた。


 「ど……どうでやんす、旦那」

 「よくわかんない」

 「えへへ……」

 照れながらも、決意を新たにする。


 (ようし……これで、旦那と一緒にしこたま稼いでやらあ。まずは、こんなクソみてえな土地を、とっとっとーっと出るでやんす)


 そうして、ストラも人間に紛れて暮らすための疑似生活行動の一環で入浴し終えたころ、使用人の中年女性が、食事の用意ができたと呼びに来た。


 夏も始まろうというこの季節、充分に外は明るい。


 狭い食堂へ行くと、二人きりだった。ほかの二部屋の客は、外へ飲みに出ているという。


 こんな安宿だ。食事も、豪勢なものではない。


 が、家畜のエサ以下の残飯のようなものしか食べさせられていなかったプランタンタンにとって、御馳走という以上の感慨があった。まともな飯、という言葉が、これほど心に染み入るとは思わなかった。


 少量ながら酒もあったし、プランタンタンは涙をぬぐって、

 「さ、さあ、ストラの旦那、お口に合うかどうかわからねえでやんすが……」

 二人で席に着く。

 ストラは、一瞬で食物の成分を原子レベルで解析。


 (パン状物質、ワイン状物質、未知の葉物野菜と根菜と些少の未知生物の肉を使ったスープ状物質。原材料の遺伝子形状的にライムギパン、赤ワイン、ケール類と豚肉食肉とネギ類と人参に近い野菜のスープというかシチュー相当の煮物料理、味付けはいわゆる岩塩、未知の香草類、未知動物の乳状体液)

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