13:

 そしてそれから――


「おはよ、友香ちゃん」

「おはようございます。ハルさん、セイヤーズさん」

 声を掛けたハルに、友香はこちらを振り返るとにっこりと微笑む。


 俺達のことは、予想通り、あの翌日にはすっかり広まっていた。

 あることないこと、噂を流したのは言うまでもなくギイだ。だが、奴にとっても俺達にとっても意外だったのは、他の候補生達の反応が予想外に好意的だったことだろう。もちろん、ギイ達と一緒にくだらない陰口を叩く連中もいたが、俺やハルの周囲の奴らは思いの外すんなりと、友香の存在を受け入れた。

 結局、多くの連中がまわりの視線を気にして、行動に出られずにいたらしい。俺達が公然と「友達宣言」したことで、そういう連中も気兼ねなく話せるようになったわけだ。

 友香自身も穏やかな様子で周囲にとけこむようになり、自然と笑顔を見せることも多くなった。


 そして俺は――。

「……ちょっと待て」

 憮然とした口調でそう言った俺を、友香とハルが不思議そうに振り返った。

「どうしたのさ?」

「寝不足ですか?」

 最近、妙に息の合ってきた二人が口々に訊ねるのをじっとりと睨み、俺は友香の鼻先に人差し指を突きつけた。

「何でハルは名前で、俺は苗字なんだ」

「……へ?」

 唐突な俺の問いに、友香はきょとんと首を傾げた。

「何? 今頃気づいたの?」

 呆れたように溜息を吐いて、ハルが言う。

「もう大分前からだよ?」

「大分前っていつだよ! 大体お前もいつの間に――」

 言いかけて、はっと口を噤んだ俺に、ハルがにやりと人の悪い笑みを浮かべた。

 ――やばい……か?

 俺が言わなかった台詞の先を完全に把握した顔で、奴は俺を見下ろす。クソ、上から見んなボケ。

「いつの間に、何かなぁー?」

「……テメエ、後で覚えてろよ」

 ふふん、と楽しげに鼻を鳴らすハルに小さく毒吐くと、俺は友香に視線を戻した。

「で、。答えは?」

 俺の言葉に、彼女は状況が飲み込めていない表情で、俺を見上げた。

「え。だってハルさんが――」

「パートナー同士は、名前で呼び合わないと減点対象になるんだよ」

「――って」

 にこやかに割って入ったハルの言葉と。

 全くわかってない友香の反応に。

「~~っ、この天然が……」

 俺は唸るように呟いて、二人をじっとりと睨んだ。

「え、何かおかしいですか?」

「ハル! テメエな!」

「だってさー、信頼感ってそういう些細なトコから芽生えてくもんじゃない?」

「……っ」

 ハルのもっともらしい台詞に、俺が反論に詰まる。そんな俺達を、依然、状況の飲み込めていない友香はきょとんと眺めていた。

「ええと……ケンカはよくないですよ?」

「――だってさ、ロン?」

「うるせえ」

「大体、人に要求するなら、まず自分から――ってね?」

「ぐ……っ」

 全部お見通しといった風情はむかつくし悔しいが、ハルの言葉は正しい。

「…………」

 すう、とゆっくり息を吸い込み、腹を決める。楽しげなハルを無言で睨み返すと、俺は手を伸ばして友香の鼻をつまんだ。

「……へ、ヘイヤーズ、ひゃん?」

 唐突な俺の行動に、友香は目を白黒させる。

「――ロン、だ」

「ふぇ?」

 俺の言葉に、友香は目を瞬いた。

「ロン……ひゃん?」

「ロンだっつの。『さん』はいらねえ、ついでに敬語も禁止!」

 背後でハルが「あ、それは僕も同意」とのんびりした声をあげたが、とりあえず無視することにして、俺は続ける。

 ほんの少し、のどが渇いたように感じるのは、おそらく緊張しているからだ。友香に気付かれないよう、もう一度小さく息を吸い、俺は覚悟を決める。

「わかったな?――

 いざ口にしてしまえば、何のことはない。

 これまで何度も呼ぼうとして、どうしても呼ぶことができなかった名を、嘘のようにすんなりと唇が紡ぐ。

 そして。その言葉に、彼女はぱちくりと目を見開き――

「――!」

 花が綻ぶように、微笑んだ。

 その華やかな表情に思わず手を離すと、友香は笑顔のまま、俺を見上げる。

「――ロン?」

「……っ」

 たった一言、名前を呼ばれただけで、ドキリと鼓動が強く鳴った。

 ――うぁ、やば……

 最近おさまったと思っていた動悸が復活し、俺は無意識のうちに、ドキドキと高鳴る胸を押さえた。

 ――何だ、これ。マジか、俺

 友香が不思議そうに俺を見上げているが、何とはなしに視線を合わせられなくて、明後日の方角に目を逸らす。

「――耳、真っ赤だよー?」

「……うるせえよ」

 すれ違いざま、ハルが耳元で囁く。小声で言い返すと、奴は楽しげに口笛を吹きながら、友香の肩に手を掛けた。

 ――テメエ……わざとだろ、それ

「さーて、そろそろ始業だし。行こっか、友香ちゃん?」

「ロンは?」

「放っといても大丈夫」

「放っとくな!」

「何? ロンってば淋しがりやさん?」

「ハル! テメエ、マジで後、覚えとけよ!」

 騒がしい俺達の横を、秋風が吹き抜けていく。

 これまでのつらい出来事も、これから起きるどんな出来事も、一緒にいれば乗り越えられる。

 そんなとりとめのない予感を覚えながら、あの日俺達は、足並みを揃えて同じ道へと踏み出した。

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