12:

 しばらく、誰も口をきかなかった。

 外からは、誰かの楽しげな笑い声が聞こえてくる。それとは対照的に、静かな、けれど少し重たい沈黙が俺達の上に横たわっていた。

「――話を戻すけどさ」

 やがて。

 何となく落ち着かない気分で足元の床を撫でながら、俺は言った。

 これ以上、踏み込んだことを訊くのもどうかと思ったが、この際、気になることは訊いておいた方がいいような気がする。それで、これまで無関心を通してきた償いをしようなどとは思わない。ただ、知らずに傷つけるより、直接訊いた方がいいと思うだけだ。

「じゃあ、何で『混血』だなんて嘘、吐いてたんだ?」

 中山が『混血』じゃないってんなら、あいつらの言い分は完全な言いがかりだ――いやまあ、『混血』でも、言いがかりなのは変わらないんだけどさ。

 けど、彼女の言うことが本当なら、彼女は二年間もいわれのない侮辱に晒され続けていたことになる。

「何か、理由があるの?」

「……少しは兄の気持ちが分かるかと思って」

 俺達の問いに、哀しさと淋しさの入り交じった儚い表情で、中山は答えた。

「兄はずっと、私を守ってくれてたのに。なのに私は……候補生になるまで、『混血』の意味を解ってなかった……」

 さっきも同じことを言っていたな、とぼんやり俺は考える。それだけ、兄を理解できていなかった罪悪感が、彼女の上に重くのしかかっているのだろう。


「光の者」の社会の中では、『混血』――闇の血を引いてるってのは、それだけで蔑視の対象になる。その言葉がもつ痛みや苦しみは、きっとそれを受ける当人にしか理解し得ない。彼女自身が、この二年間、そうされてきたように。「たかが9歳やそこらのガキに、それが解るはずがない」なんて安易な慰めは、彼女には意味を持たないんだろう。


 つまり、だ。

 いなくなった兄のために、こいつは甘んじてその烙印を、ハンデを受け容れていたわけか。

 真実を知らず、知ろうともしない周囲の蔑視に耐えることが、どれほど中山の心を傷つけたのだろう。

 そうして自ら傷ついては、兄の痛みに気付かなかった自分を振り返ることで、彼女はどれほど苦しんだのだろう。


 中山の選択を愚かだと断じるのは簡単だ。だが、そうしなくてはいられなかった彼女の立場を、その傷の深さを思うほど、それでもなお目的を失わない、こいつの芯の強さがわかる。

 そして同時にこの二年間、彼女に対して無関心を通し、他の連中の勝手な憶測や雑言を放置していた自分を思い返し、反吐が出る思いで俺は奥歯を噛みしめた。

 ギイみたいに自分から相手を貶めるのに比べれば、無関係を貫く方がマシだと思っていた俺は、何て愚かだったんだろう。差別される当人から見れば、どっちも大差ないじゃねえか。

 ――そりゃ、簡単に笑えるわけがねえよ

 いつだったか、笑えと言った俺に、中山が残した言葉を俺は思い出していた。

 ――マジで、無神経な言葉ばっかり投げつけてるよな、俺……

 これまでの言動を振り返れば振り返るほど、身悶えしたくなるほどの罪悪感が俺を襲う。

 おそらくはハルも似た思いなのだろう。ちらりと向けた視界の端に、苦しげな表情で唇を噛む奴の横顔が映る。


「同じ道を進んで、兄の気持ちが分かったら、いなくなった理由も判るかもと思って」

 まるで、そこから目を逸らしたら自分を支えるものがなくなってしまうとでも言うように、自分の膝頭をきつく見つめたまま、中山は言う。

「それに公安長になれば人界も探せるから、その方が、兄が見つかる可能性も高いかも……って……」


 声が揺れる。

 抱えた膝に顔を埋め、少女は不意に言葉を切った。

 小さな肩が震え出す。


 彼女を挟んで反対側に腰を下ろしたハルに目顔で促され、俺はおずおずとその頭に手を伸ばした。

「ご、めんなさ……すぐ、止まるから」

 必死で平静な声を出そうとする、その態度が痛々しい。

「何言ってんだ、馬鹿」

 そっと髪を撫でると、殺しきれない嗚咽が吐息に混じった。


 これまで必死で圧し殺していたものが、言葉と共に堪えきれず溢れだしたのだろう。膝を抱え、忍び音を泣くその姿が、彼女がただの12歳の少女だと思い出させる。このひと月あまりの間に見慣れた筈の肩が、背中が、やけに小さく見える。こいつはこんなに小さかったのか、と改めて気づかされる思いで、俺はそっと声をかけた。

「我慢すんな。泣いていいぞ」

 囁くと、中山は顔を隠したまま首を横に振る。

「……へい、き」

「――どこがだよ」

 この期に及んで強がろうとする声に溜息を吐いて、ぐい、と肩を引き寄せる。


 この小さな身体で、こいつはどれだけの悲しみに耐えてきたんだろう。

 これまで何度、こんな風に声を殺し、溢れる感情を無理やり圧し殺してきたんだろう。

 不意に胸の中に湧き上がった名付けようのない感情に促されるまま、俺は彼女を抱き寄せる腕に力を込めた。


「――もう、独りで耐えなくてもいい」

 自然と言葉が口をついた。

「…………っ」

 堰を切ったように泣き出した友香の慟哭を身じろぎもせず聞きながら、俺達は苦い想いを噛みしめていた。

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