11:
「そういえばさ」
壁に背中を預け、ハルが呟いた。
武練場に場所を移したものの、何となく自主練を始める雰囲気でもなかったから、俺達はとりとめもなく色々なことを話していた。
「友香ちゃん、一日おきに自主練してるって、ほんと?」
「はい」
「夕方ってくたくたじゃない? しんどくないの?」
もっともなハルの言葉に、中山は軽く中空を眺める。
「しんどい……時もありますけど」
ゆっくりと言葉を紡ぎながら、彼女は小さく肩を竦めた。
「でも、私はみんなと違って強くないですから。残るためには、努力するしかないんです」
あっさりと、何の気負いもなく、当たり前のことのように中山は言う。
「そっかー」
と、ハルは頷き、抱えていた膝を伸ばした。
「当たり前だけど、本気で公安長狙ってるんだね」
「はい」
即答した中山に、ハルがちらりと俺の方に視線を寄こした。奴にしては珍しく、躊躇するような気配が流れてくる。
「訊いていいのか判らないけど――嫌だったら、答えなくていいからね?」
そう言い置いて、ハルは言葉をつなぐ。
「どうして――そんなに、公安長になりたいの?」
それは、俺がこのひと月余り、ずっと訊けずにいた問いだった。
ハルの様子から、問いの内容を予期していたのだろうか。中山は膝を抱え、静かに目を伏せた。微かな緊張を孕んだ静けさの中、俺達は彼女の答えを待つ。
やがて。
「私のにいさ……兄のことは知ってますよね」
確認するような口調には、ほんの僅かだが、諦めの色がある。俺とハルが無言で頷いたのをちらりと見て、彼女は続けた。
「兄は公安長を目指してたんです。光と闇の仲立ちになるんだって。でも……」
長い睫の影が頬に落ちて、少女の表情を覆い隠す。
「いなくなっちゃって。だから……」
「自分がその後を追おうって?」
思わず口にした俺の声に、中山は小さく頷いた。
「お兄さんのこと、好きなんだね」
ハルが言うと、彼女の口元にうっすらと微笑が浮かぶ。
「兄は……優しくて何でもできて、自慢の兄でした」
こんな風に笑いながら過去形の表現を口にできるようになるまで、こいつはどれほど葛藤したんだろう。懐かしむように中空を見つめる瞳に、淋しげな色が漂っている。それは、やがて悔恨と自責の色へと変わり、彼女はゆっくりと瞼を伏せた。
「――でも私は……、兄が『混血』だってことの意味をわかってなかった……」
自分を責める口調で、中山は呟く。
――ん? 今、何か変なことを言わなかったか?
違和感に眉を寄せた俺と、一瞬目を見開いたハルの目が合う。俺が違和感の正体を掴むより早く、ハルが口を開いた。
「……ねえ、友香ちゃん。失礼なこと訊くけど、良い?」
「はい」
こくり、と素直に頷く中山は、既にハルの質問の内容を予期しているらしい。
「今の言い方だと、君のお兄さんだけが『混血』って聞こえたんだけど……」
ハルの言葉に、さっきの違和感の正体が明確に姿を見せる。
そうだ、確かにそう聞こえた。
両側から見つめる俺達の視線に、長い間を置いて、彼女は抱えた自分の膝を見つめたまま、無言で小さく頷いた。
「……って、マジか!?」
「……はい、多分。嘘吐いてて、ごめんなさい」
いつにも増して、消え入りそうな声。だが、その爆弾発言以上に、気になることがある。
「『多分』って、お前、親とかに確かめてねえのか」
「――ちょっと、ロン」
思わず尋ねた俺を、ハルが少し慌てたように呼び止めた。その声に、俺は少し遅れて彼女の言葉の意味に気付く。だが、既に口から出た言葉は戻らなかった。
――しまった……
俺が謝るよりも早く、中山は口元に微苦笑を浮かべた。
「親は――いません。母は、私が生まれてすぐ、兄と私を置いてどこかに行ったそうです。私の父については、『光の者』だったってことだけ、兄が教えてくれました」
それは、俺の予想を十分に越えた告白だった。
「……悪ぃ。デリカシーないこと訊いた」
申し訳なさに頭を掻くと、中山は小さく首を横に振る。
「大丈夫です。両親はいないのが当たり前だったし、代わりに兄がいてくれたから。寂しいとかそういう気持ち、あんまり感じたことないんです」
ふっと浮かべた微笑の儚さが、自らの言葉を裏切っていることに、彼女は気付いていないのだろう。この話題になってから、中山は年に合わない大人びた表情ばかりを浮かべている。
その事実に、一層いたたまれない気分になって、俺は彼女の横顔から目を逸らした。
「それに、今の養父も本当の子どもみたいに可愛がってくれますし」
「……そっか」
「いいお義父さんなんだね」
「はい」
呟いた俺とハルに、中山は静かに頷いた。
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