10:

「……大丈夫か」

 声をかけると、中山は俯いたまま小さく頷いた。

「見せてみろ」

 頬を押さえた手をそっとどけると、赤紫に腫れた頬が目に入る。

「腫れてるね」

 近づいてきたハルが、呟いた。

「冷やした方がいいよ」

 と言って、鞄から取り出したタオルに水筒の水を含ませる。それを渡すと、

「……ありがとう、ございます」

 受け取ったタオルで頬を押さえ、震える小さな声で彼女は言った。傷ついたその姿に、連中への怒りが再び沸き上がる。

「――あいつら、やっぱ一発ぶん殴っとけば良かったな」

 低い声で呟くと、中山は俯いたままだった顔をふっと上げた。

「そんなの、駄目です」

「……何でだよ」

 予想外にきっぱりした言葉に驚いて、憮然と訊いた俺に、彼女は真剣な面もちで身を乗り出した。

「だってそんなことしたら、セイヤーズさんまで、色々言われます」

「――」

 ――んっとに、こいつは……

 人の心配してる場合かよ。

 本気で心配している鳶色の瞳に軽い眩暈を覚え、俺は内心の動揺を誤魔化すように、意識して軽い声を出した。

「別に構わねえよ、そんなの。奴らが思いつく陰口なんか、大体想像つくし」

 ま、何にしろ、ろくなもんじゃないことだけは確かだけどな。

 安心させるために言ったつもりの台詞だったが、彼女はそれを聞くと、困ったように首を傾げた。

 そして。

「……ごめんなさい」

 深く頭を下げて、中山は言った。予想外の言葉に虚をつかれ、俺は一瞬言葉に詰まる。

「……って。待て待て待て。何でお前が謝んだ」

「だって、私のせいで迷惑かける……から」

 ハの字に眉を下げた彼女の言葉の意図をすぐには理解できず、俺は眉を顰める。

「何でだよ。迷惑かけるのはあいつらだろ」

「でもそれって、私なんかと関わったから……でしょう?」

 泣き笑いのような表情を浮かべた中山の言葉が、頭の中で何度も繰り返され、そして。

 ――あんまり私と関わらない方がいいんじゃないかな、なんて

 ひと月前のあの日、やっぱり同じ表情を浮かべていた少女の言葉を、俺は思い出した。

「分かってたのに……ごめんなさい」

 泣きそうに声を詰まらせ、一層深く頭を下げる彼女に、俺はひとつ溜息を吐く。

「あのなぁ……前にも言ったろーが」

 ぽり、と頭を掻くと、俺は俯いた中山を覗き込むようにして、その鼻先に人差し指を突きつけた。

「迷惑だなんて思わねえって。一度決めたらやり通すって、俺、お前に約束したよな?」

「でも――」

「でも言うな。俺がいいって言ってんだからそれでいいんだよ、いいな?」

 反論しようとした鼻先を軽くつまむと、彼女はぱちぱちと目を瞬く。

 そして。

「…………はい」

「解ればいいんだ、解れば」

 小さく頷いた頭をくしゃりと撫で、俺は真顔に戻る。

「むしろ俺の方こそ悪かった。余計な気ぃ回させちまったな」

 殴られた箇所を冷やすタオルを取りあげ、もう一度水筒の水に浸すと、そのまま頬にあてる。

「痛かったろ?」

「……大丈夫」

 小さく微笑み、中山は首を振った。

「つーかお前、やり返せば良かったのに。あいつら程度なら、四対一でもそれなりにやり合えんだろ」

 そう言うと、彼女は再び不思議そうな顔をして、瞬きを繰り返す。

「……考えつかなかった」

「…………あのな」

 あまりにらしいというか何というか。とぼけた答えに力が抜け、俺は深く溜息を吐いた。

「――っ」

 その時。

 不意に聞こえた声に、俺は我に返り、傍らを振り返った。見れば、ハルが横を向き、腹を抱えて笑っている。

 ――やっべ、こいつがいたんだった……

 すっかり存在を忘れていた分、恥ずかしいような、いたたまれない気分になって、俺はハルを睨み付けた。

「……何笑ってんだ、テメエ」

「いや、だって君……あーダメだ、おかし……っ」

 くつくつと笑いながら、奴は続ける。

「あ、あの、ロンが……っははっ」

「――テメ、いい加減にしろよ」

 ハルの言わんとする所を察し、俺は気恥ずかしさを誤魔化すために、わざと渋面をつくって奴の背中を蹴った。

 しかし腐っても幼馴染。よくも悪くも、そのくらいで怯むような奴ではない。つーかテメエ、昼間も充分同じネタで楽しんだろうがよ。

「大体テメエ、何でここにいんだ」

「そりゃ、ロンが血相変えて走ってくのを見かけたからね」

 ハルは笑いすぎで目尻に浮かんだ涙を拭いながら肩を竦め、中山に向き直る。

「これで多分、ギイも簡単には君に手出しできなくなるだろうし、よかったね?」

 その言葉に、中山は一瞬きょとんと目を丸くした。そして――

 氷が融けるようにゆっくりと、その表情がゆるんでいく。

「ありがとうございます」

 そう言って俺達に向けた表情は、あの写真とまではいかなくても、これまで見た中で最上級の笑顔だった。

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