9:※

 ※若干の暴力描写があります。


 その日の夕方。

 俺が武練場に到着したとき、そこに中山の姿はなかった。

「珍しいな……」

 いつもならとっくにウォーミングアップを始めている時間だったから、何となく肩すかしを食らったような気分で、俺は呟く。

 教官に用事でも頼まれたんだろうかと思いつつ、俺は何気なく外を眺めた。その、ほんの一瞬見渡した視界の端に、何か異物を見たような気がして、あれ、と俺は視線を戻す。

 見覚えのあるシンプルなデイバッグが、草むらにポツンと投げ出されていた。

「……あれって中山の、だよな?」

 嫌な予感を覚え、俺はその方向に駆け寄った。膝をついて周囲をよく見ると、草が乱雑に踏み倒されている。ここで乱闘か何かがおきた証拠だ。

 次に取るべき手を考えながら、俺は左右を見渡し、人影を探す。その時だった。

 武練場の裏手の方角から、人の争う声が聞こえた――ような気がした。

「――!」

 その瞬間、俺は。

 弾かれたようにデイバッグを掴むと、走り出していた。


 俺達のような幹部候補生から、一般の訓練生、現役の武官まで、様々な人々が利用する武練場の建物は酷く大きい。

 その広大な外周を、俺は全力で駆け抜けた。


 やがて、前方から紛れもなく人の争う物音が聞こえてきて、俺は一層足を早める。

「――――んな!」

 耳に届いた声には、聞き覚えがある。ギイだ。

「調子乗ってんじゃねえよ、『混血』の癖に!」

 ――やっぱ、あいつらか

 その台詞から、彼らが怒鳴りつけているのは間違いなく中山だと確信し、俺は耳をすました。

「次期指揮官だって、お前が『混血』だって知ってたら助けなかったっつーの!」

 口々に言い募る声から、彼らが昼間の一件を根に持っていることがわかり、俺は思わずチッと舌打ちをした。

 ――くだらねえこと、根に持ってんなっつーの

「――――」

 内容までは聞き取れないが、何かを答えたらしい中山の声がうっすらと聞こえる。

 そして。

「偉そうな口きくんじゃねえよ!」

 怒鳴り声に続いて、何かが草の地面にたたきつけられるような、ボスッという音。

 知らぬ間に噛みしめていた奥歯がぎり、と音を立てた。

 あと、たった数十メートルの距離がもどかしい。

「――――!」

 ようやく建物の角に辿り着いたとき、俺の視界に飛び込んできたのは、一人の少女を取り囲む四人の少年の姿だった。草むらに膝をついた中山の表情は見えないが、俯いたその頬を手で押さえているのは判る。

「まだ何か言えるもんなら、言ってみろよ!」

 声を荒げたのは、やはりギイだった。あいつ、本当に導火線短えな――って、そんな場合じゃねえって。

 応えない中山に苛立ったように、奴の右脚が振り上げられる。

 ――んの、バカが!

 考えるよりも早く、身体が飛び出していた。


 ガッ!と鈍い音が辺りに響く。

「――――――」

 しん、と一瞬にして辺りは静まり返った。

「……ロン」

 青ざめた顔で呟いたのは誰だったか。

 その声に、身を固くして衝撃に備えていた少女が、はっと顔を上げた気配がした。

「……てめえら、どういう了見だ」

 地を這うような俺の声に、振り下ろした脚を俺に止められたギイが、怒りと困惑の混ざった表情で硬直した。

「ロン……何でお前が」

「俺の質問に答えろよ、ギイ」

 相手の蹴りを受け止めた腕が、ズキリと痛んだが、このくらいどうってことはない。怒りのまま手加減なしに睨み付けると、ギイはさっと青ざめて脚を引いた。

「だってよ……」

「そ、そうだよ、そいつが」

 青ざめながらも、他の三人が口々に言い募る。

「こいつが、何だ?」

「そいつのせいで、次期指揮官に…………」

 やはり昼の件を根に持っていたらしい。次期指揮官に睨まれたのが、そんなにショックだったか、カワイソウにな。

「そりゃ、お前らがつまんねえ絡み方すっからだろ」

 ハッと鼻で嗤うと、ギイは今度は顔を真っ赤に紅潮させた。赤くなったり青くなったり、忙しいな、おい。

「な……っ、何でてめえがこいつを庇うんだよ!?」

「そうだ、こいつは『混血』だぞ!」

 そう言ったのは、ギイの仲間のひとり――誰だったか、名前も覚えてねえし――だった。


 ――「混血」?  だから何だってんだ


 そう言おうとした矢先、別の奴が口を開く。

「そうだ、俺、知ってんだぞ!お前、最近、この『混血』と会ってるだろ!」

 ――……見られてたのか

 僅かに目を見開いた俺の反応に、何をどう思ったのか、奴らは突然態度をでかくして鼻を鳴らした。

「へえ……ロンが『混血』に唆されるなんて、意外だな」

「可哀相になー。お前騙されてんだよ、ロン」

 俺の弱点を見つけたとでも思っているのだろう。途端に胸を張り、上から目線で冷笑するバカどもに、怒りを通り越して頭の芯がスッと冷える。

「――それが、どうした?」

 我ながらこんな声を出せるのかと驚くほど、冷たい声が出た。

 それは当然の事ながら、奴らが予想していたのとは違う反応だったらしい。鼻白んだように、ギイ達は軽く身を引いた。面白いことに、俺の背後で、中山までもが驚いたように俺を仰ぎ見ているのが分かる。

 ――こいつに、俺を騙すような真似ができるわけねえよ、バカども

「……で? そんなのが、複数でよってたかって、一人に暴力振るう理由になると思ってんのか」

 背中に中山の視線を痛いほど感じながら、俺は奴らを睨み付ける。

 後で色々噂されるだろうが、知ったことか。もう俺は、そんなことは気にしないと決めた――約束したんだ。

「すぐにここから立ち去れ。二度とこいつと関わるな」

 通常時でさえ、目つきがきついだの怖いだのと言われる俺だ。本気で睨んだらかなり怖い――らしい。ハルの言ってとこが、今ひとつ信憑性には欠けるんだが。とりあえず、馬鹿な四人組はいとも簡単に浮き足立ってくれた。

「ちょ……おい、本気かよ」

「それとも、俺とやるか?」

 素手のやりあいなら、連中の中で俺に勝てる奴はいない。準備運動がてら軽く手首を振りながら、見下すように俺は連中を睨み付けた。

 その時。

「――その場合は、僕もロンに加勢するから、そのつもりでね」

「!?」

 不意に割って入った声に、連中が驚いて振り返る。皆の視線の先で、木の幹に寄りかかり、腕組みをしたハルが目を眇めた。

「女の子に手をあげるなんて、男のする事じゃないよ」

 奴にしては珍しい、冷たい声。

「――――」

 前後を俺とハルに挟まれ、四人はおろおろと顔を見合わせた。

 つーか、二対四でも勝てる自信ねえのかよ。なっさけねえな。

「――クソ!」

 悔しげに舌打ちをして、ギイが踵を返す。リーダーが逃げ出せば後は早い。残りの連中も慌ててその後を追い、あっという間に見えなくなった。

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