8:①
※今回2話同時更新です。
昼時の食堂は戦場だ。
幹部候補生だけじゃなく、一般の訓練生もほとんどが集まるから、座席の取り合いはもとより人気メニューの争奪戦は目も当てられない惨状と化す。
その日、俺とハルがいつもより少し遅れて食堂に到着したときには、既に長蛇の列が門前市をなしていた。
「うっわ、何だこれ」
「そういえば、今日って大盛デーじゃない?」
「……あー、しまった。出遅れたか」
食堂では週に一度、日替わり定食を無料で大盛りにできる日を設けている。ただでさえ育ち盛りなのに、運動量も半端じゃない武官の候補生や訓練生たちは、この日になると血気盛んに食堂に駆けつける。
俺やハルもその一人だったが、掻き分ける気さえ萎えるほどの人混みに、うんざりした視線を交わした。
「どうするよ?」
「さすがに、これを抜ける気力はないかなあ」
「ったって、もう購買もろくなもん残ってねえぞ、きっと」
この時間じゃ、訓練棟に3箇所ある購買も、食堂からあぶれた連中に食い尽くされているはずだ。
「とりあえず行ってみるしかないね。運が良ければ、パンの一個くらい残ってるかもしれないし」
溜息を吐いて、俺達は中庭の方へと踵を返す。
だが、食事を買い込んだ連中が戦利品にかぶりつくのを横目で眺めつつ、向かった最寄りの購買には、残念ながら既に何も残っていなかった。やむなく、背中にひっつきそうな空腹を抱えながら、別の購買を目指して、今度は裏庭を突っ切ることにする。
その時だった。
「……あれ」
不意にハルが足を止める。
「何だよ――」
と、奴の視線を追った俺は、自然と眉が寄るのを自覚した。
裏庭の茂みの向こうに、人影がある。こちらに背を向けているし、少し遠くて今ひとつはっきりしないが、あの特徴的なギザギザ頭は見紛うはずがない。
「いいじゃねえか。まさかそれ全部、おまえ一人で食うわけじゃないだろ?」
「大体さー。身体がちっちぇーんだから、昼メシとかいらねんじゃね?」
風に乗って聞こえてきた声は、紛れもなくギイとその仲間達のものだった。
「……またやってんのかよ、あいつら」
「みたいだね」
絡まれている相手の姿も声も分からないが、考えるまでもない。大方、俺達と同様、食堂に出遅れたギイたちの傍を、メシを抱えた中山が通りかかったといったところだろう。ギイの鼻が無駄に利くのか、それとも彼女の間が悪いのかは定かじゃないが、中山にとっちゃ災難以外の何ものでもないよな、マジで。
「……ったく」
軽く毒吐きながら茂みの方に歩き出した俺を見て、ハルが微かに瞠目する。その気配に気づき、しまったと思ったがもう遅い。極力、平静を装ったまま、俺は足を進めた。
中山に「友達」宣言をしてから、ひと月余り。
あれ以来、俺達は二日に一度、一緒に自主練をするようになっていた。だが俺はまだ誰にも、ハルにすら、そのことを告げてはいなかった。
俺個人としては、多少の決まり悪さはあるものの、以前ほど抵抗を感じることじゃないと思っている。だが中山にとっては誰かと友人になること自体が、酷く勇気を必要とするらしい。必死の面持ちで、気持ちの整理と覚悟ができるまで待ってほしいと言われては、俺はそれを呑むしかなかった。
とはいえ日に日に笑顔が見られる機会も増えてきたし、困らせたい訳じゃなかったから、普段は決して話しかけてこない中山が慣れてくれるのを、俺は黙って待っていた。
――我ながら驚くほどの進歩だよな、なんて。今はそんなこと言ってる場合じゃねえっつの。
「ほら、早く出せよ」
さっきまでよりも少し強い口調で言い募る声が聞こえる。時折、腹が減ると気が短くなる奴がいるが、ギイはまさにそのタイプらしい。ただでさえ気が短いのに、それ以上短気になったらもう、導火線なんか残ってないんじゃねえ?
「……これは、だめ、です」
やっと、風に乗って小さな声が聞こえてきた。どうやら中山にしては珍しく、抵抗を試みているらしい。
「何がダメなんだ? なあ」
ギイの声がかなり刺々しくなる。これは急がないとやばいかもしれないと、俺達は足を急がせた。
その時。
「――そこで何をしてる?」
俺達とは反対の方角から、不意に低い声が響いた。聞き慣れない声に、他の部署の候補生でも通ったのかと、皆が一斉に視線を向ける。
そこには黒い服を着た、俺らと同じ年頃の、背の高い少年がそこにいた。
「んだよ、何か文句あるか…………」
勢いよく振り返ったギイの声が萎んだのも無理はない。そこに現れた相手の顔を、俺達はよく知っていたからだ。
「次期指揮官……?」
ぽつりと、誰かが呟いた。
アレク・ランブル。
数年後には俺達の上官になる人物だ。が、何故こんな所に?
疑問が過ぎると同時に、遠目にしか見たことのなかった相手の姿に、我知らず緊張を覚える。
「何をしてる、と訊いているんだが」
答えないギイに、少し冷たく感じる声音で、次期指揮官は繰り返した。嘘を許さない響きを含んだその声に、おそらくこの人も、彼らのやりとりを聞いていたんだろうと確信する。
「ええと、その……ええ、何も」
揉み手でもしそうな勢いで、ギイが言った。自分よりも弱い相手には強圧的に、強い相手には低姿勢に、か。とことんゲスだな。
奴の答えを受け、次期指揮官は小さく鼻を鳴らした。
「――何もないなら、ここに集まっている必要もないな? そろそろ食堂も空き始めてる頃だろう。早く行かないと、午後の授業が始まるぞ」
感情のこもらない声でそう告げられ、二の句を告げなくなったギイが、そろそろと後ずさる。一応顔には媚びた笑みを浮かべてはいるが、背中には冷たい汗が伝っているはずだ。全く同情の余地はないものの、それでも少し気の毒に思うほどの威圧感が、目の前の相手から発されている。はっきり言って、俺やハルと同い年とは思えないプレッシャーだ。
「あ、そう……っすよね。んじゃ、失礼します」
へこへこと、これまで見たことのない腰の低さで挨拶をすると、ギイは仲間を促して去っていく。さすがに今日は、捨て台詞も出ないらしい。ざまーみろ。
と、その時。
「――で、そっちの二人は?」
瞬く間に去っていったギイ達を眺めていた俺達の方に、不意に矛先が向けられる。驚いて振り返ると、さっき程ではないものの、鋭い視線が俺とハルに照準を合わせていた。
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