7:

 その二日後。

「――セイヤーズ、さん?」

 武練場の扉を開いたところで、中にいた俺に目を留め、中山はきょとんと首を傾げた。

「よお」

 少し照れくさい気分で手をあげると、彼女は首を傾げたまま、ゆっくりと室内に足を踏み入れる。

「どうしたんですか?」

 戸惑いがちに訊ねるその様子に、これまでのような過敏な反応はもはや見られない。どうやら一昨日の一件で、彼女は俺に対する警戒を完全に解いたらしかった。

 ――もしかしてこいつって、本当はえらく素直っつーか、言葉は悪いが馬鹿正直なのか?

「いや……俺も自主練しようかと思ってな」

 ストレッチをしながら答えると、中山はぱちぱちと目をしばたたいた。そして。

「あ、それじゃあ私、出直しますね」

 あっさりとそう言って踵を返そうとする様子に、今度は俺が驚いて彼女を呼び止める。

「おい――って、何でだよ」

「え、だって」

 足を止め、肩越しに振り返ると、中山は不思議そうに返した。

「自主練されるんなら、私がいたら邪魔でしょう?」

「……こんだけ広かったら、二人くらい問題ねえんじゃねえ?」

 そもそも数百人からなる武官訓練生の合同訓練にも使われる場所だ。二人くらい同時に訓練したって邪魔になろう筈がない。だが、ガランとした空間を眺めながら言った俺の言葉に、中山は少し間を置いてから、困ったように眉尻を下げた。

「どうした?」

「ええと……ですね」

 中空を眺めながら、言葉を探すように、彼女は語尾を彷徨わせた。

「広さの方は、確かに問題ないんですけど……」

「じゃあ、何だよ」

 はっきりしない物言いに、多少苛立ちを覚えながら問い返す。すると、中山がきゅっと唇を引き結んだ。すっと俯いた横顔が、短い髪に隠される。

「……あの、ですね。あんまり私と関わらない方がいいんじゃないかなー、なんて」

「…………」

 小さいがよく通る声が、俺の胸に突き刺さった。

「私と二人で自主練したりして、もし他の人に見られたら、セイヤーズさん困りますよね?」

 ――わかってたのか……

 それはそうだ。皆があれだけ彼女を敬遠しているんだから、当人が気付かない方がおかしいだろう。だが、改めてつきつけられたその事実は、俺の胸を深く抉った。

 グッと、胸を鷲掴みにされたような息苦しさを覚えながら、俺は言葉を探す。


「私――この間、セイヤーズさんが『混血とか関係ない』って言ってくれて、嬉しかったんです」

 くるりと、こちらに背を向けて、中山がぽつりとそう告げた。

「『混血』でも、そんな風に思ってくれる人がいるってわかって、嬉しかった」

 顎のラインで切りそろえた髪が表情を隠しているが、その声は微かに震えていた。

「――だから。私、今日は出直しますね」

 きっぱりとそう言って、彼女がタッと駆け出しかけた、その時。

「……中山!」

 三度目ならぬ何度目かの正直で、俺は咄嗟に立ち上がり、彼女の腕を掴んでいた。

「――待てよ」

「……セイヤーズさん?」

 俺の行動に虚をつかれたのだろう、中山はきょとんとした表情で俺を見上げた。うっすらと潤んだその瞳を見つめながら、俺は続ける。

「……悪かった」

「え?」

「これまで、お前のことよく知りもしないで、勝手な印象でお前のこと決めつけてた」

 俺の言葉を、中山は瞬きひとつせずに聞いている。

「だから……だな」

 ――俺は、何を言おうとしてる?

 中山の言ってることは正しい。こいつと不用意に関われば、ハルはともかく、他の候補生からは何を言われるかわかったもんじゃない。さすがに俺単体を攻撃する馬鹿はそういないだろうが、ギイみたいな連中をいちいち黙らせるのも面倒だ。


 ――そうだ。そういうのが嫌で、お前はこいつを避けてたんだろう?


 心のどこか奥深くから、低く囁く声が聞こえる。


 ――手を離せ。そうすれば、晴れてこいつとも無関係だ。


「……セイヤーズさん?」

 不意に固まった俺を戸惑いがちに見上げ、中山が俺を呼ぶ。

「中山。俺は……」


 ――やめろ、それ以上は言うな


「俺は……。お前、と――――」

 心の奥、闇に潜む俺が叫んでいる。この手を離せば、「もうお前とは関わらない」と言いさえすれば、俺はもう面倒に巻き込まれることもない。ここ数日の意味不明な動悸ともおさらばできる。

 風邪をひいていたと、そう――――思えばいい。


 けど。


「――友達になりたい」

 俺の口から出た言葉に、中山は、ただでさえでかい目を一層大きく見開いた。

「今更かもしれねえけど、俺は」

「――! ちょっと待って、待って下さい」

 言葉を継ごうとする俺を、我に返った中山が慌てて止めようとする。

「聞いてくれ」

 大きく頭を振る彼女の肩に手をのせ、俺は呼びかけた。自分でも驚くほどに、静かな声。

 ――何を言ってるんだ、お前は

 悪魔の声は、まだ聞こえていたけれど、それはもはや、俺を止める力を持ってはいなかった。

 不思議と穏やかな気持ちで、俺は中山の目を覗き込む。困惑の色に揺れるその鳶色の瞳の深奥には、長い月日をかけて降り積もった不安や哀しみが見え隠れしていた。

「中山。友達に、なろう」

 ハルが言ってた通りだ。俺には何も見えてなかった。中山は中山なりに、人一倍強い決意と覚悟を持ってここに来ていたことも。彼女が本当は強く、けれど弱いことも。

 何ひとつ見ようとせず、そのくせ目に付いた印象だけで、彼女の人柄を決めつけていた。

 

 だけど今なら。


 今なら、わかる。

 彼女があれほどまでに他人を警戒し拒絶していたのは、悪意から身を守るためだけじゃない。こうして自分に厚意を向ける相手に、その悪意が牙を剥くことを恐れてもいたんだと。


 その証拠に、俺の言葉を聞いた中山は、泣きそうに顔を歪めてふるふると首を振った。

「……だめ、です」

「何で」

「セイヤーズさんに、迷惑がかかります」

「俺は、迷惑だなんて思わない」

「その気持ちだけで、十分です。だから――」

「俺は、十分じゃない」

 きっぱりとした俺の声に、中山の言葉が止まる。その隙を逃さず、俺は続けた。

「お前がこれまで一人で耐えられたんだ。俺にできないはずがねえよ」

 殊更ゆっくりと告げた台詞に、彼女は目を上げた。瞼の淵で、水の膜が波立っている。

 ――知っちまったんだ。もう、放っておけるわけがない

 正面から視線を合わせ、俺は笑った。

「――俺をなめンなよ。これでも、一度決めたことはやり通す方だかんな?」

 言い切ってしまえば、妙にすっきりとした気分だけが残った。もう、他の連中に何を言われようが、構うもんか。

「――な?」

 念を押すように繰り返すと、中山は弱り切った様子で眉を下げた。

 けど――その表情がどこか嬉しそうに見えたのは、多分、気のせいなんかじゃない。

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