2:

 それから、2か月ほど経った頃のことだ。

「よお、中山」

「あれ、何ナニ、まだ残ってたんだ」

 武練場から教室に向かう廊下を歩いていると、右手方向からそんな声が聞こえてきた。

 見れば、同じ公安長候補生が数人、ひとりの少女を取り囲んでいる。中心にいるツンツン頭は、たしかギイとかいう名前だったはずだ。

「混血がこんなとこにいるなんて、おっかしいなあ?」

「コネだかなんだか知らないけどさー、早くリタイアしちまえよ」

 自分より年かさの少年達に取り囲まれ、強張った表情で相手を睨んでいるのは、誰あろう中山友香だ。こんな光景は今に始まったことではないから、通りすがりにはやし立てる者こそあれど、彼女を助ける者はいない。

「あらら。またやってる」

 俺と同様、事態に気付いたらしいハルが、通りすがりざまそちらを見遣って足を止めた。

「しょうがないなあ……」

 小さくため息をついて、ハルは彼らの方へ、ゆっくりと歩み寄る。

「――やあ、ギイ」

 にっこりと自然な笑顔を浮かべると、ハルは少女を取り囲む連中に声を掛けた。

「何だ、ハルか」

「さっきそこでファーレンハイト先生が探してたよ。今度は何やったの?」

「……げ」

 ハルの言葉に、ギイは頬をひきつらせた。

 ――毎度毎度、よく思いつくよ

 ハルの口から発されたのは、100%大嘘だ。とはいえ件の教官は何かと厳しく、ギイとはいつも衝突しているから、思い当たる節はいくらでもあるんだろう。そこまで計算された嘘八百に、俺はこっそり嘆息した。

 ハルが適当な嘘を並べて中山に助け船を出すのは、今に始まった事じゃない。にもかかわらず、その事実に気付かないギイは、頭の配線がどっか切れてるに違いない。うん、きっとそうだ。

「機嫌悪そうだったから、早く行った方がいいと思うけど。ね、ロン?」

「……あ?」

 ――何で俺に振る?

 突然こちらを振り返った幼馴染のパスに眉をしかめても、奴は動じない。それどころか駄目押しのように「ね?」と繰り返した。

 ――目が笑ってねえぞ、この大根役者

 俺が軽く睨み返してみたところで、ハルの笑顔は揺るがない。

「……まあな」

 無言の圧力に負けて、俺は渋々頷いた。すると、ギイは「げっ」と呟いて勢いよく踵を返す。

「じゃあな、混血。さっさと辞めろよ!」

 それでも捨てぜりふを忘れないのは流石というか何というか。バカな奴ほど、そういうとこに気が向くんだよな。


「……まーったく。成長しないね、あいつら」

 去っていく連中の背中を見送ってから、ハルが深々と溜息を吐いた。

「大丈夫? 中山さん」

「あ……」

 奥歯をぐっと噛みしめて最後の罵声をやり過ごしていた彼女は、ハルのその声にゆっくりと顔を上げた。その視線が、ハルと俺の顔を交互に行き来する。

「……ありがとうございます」

 か細く、硬い、やっと聞き取れるくらいの小さな声。

 言葉とは裏腹に、鳶色の瞳には、俺らに対する警戒心がありありと浮かんでいた。

 ――礼になってねえし

 毎度毎度、ハルが適当な嘘を並べて助けているのに、彼女はいつもこんな態度しか示さない。混血という立場上、警戒心が強いのも分からなくはないが、必要以上に他人を警戒するその態度はカンに触る。

 ハルと中山がパートナーになって以来、必然的に目に入る回数が増えたせいで、俺は段々と中山に対して苛立ちを募らせるようになっていた。大体、もうふた月近く経つというのに、未だにパートナーのハルにすら警戒してるってのはどうなんだ。ハルが気にしていなくても、俺は気になるぞ。

「――おまえさ、もう少し愛想よくできねえの?」

 気に触るその態度に我慢しきれず、苦言が口をついて出た。

「あ……」

 驚いたように俺を見上げた鳶色の瞳が小さく揺れる。

「自分のパートナーに対して、その態度はねえんじゃねえ? そうやって他人に警戒心バリバリの癖に、はっきり物も言いやしねえし。そういう態度が、ギイみたいな連中を余計挑発してんだって、気付かねえ?」

「ロン!」

 咎めるようにハルがこちらを振り返るが、知ったことか。

 睨みつけた俺の視線を、中山の視線がきっと跳ね返す。けれど、その目は微かに揺らいでいた。硬く強張った表情が、ほんの一瞬、奥歯を噛みしめた。

 そして――

「…………」

 無言のまま視線を外すと、少女はたっと踵を返して走り去る。

 ――逃げやがった

「――ロ・ン?」

 苛立ちのやり場をなくした俺に、背後に暗雲を背負って、ハルがにっこり微笑んだ。

 はっきり言って、こういうときのヤツは怖い。だが俺の方だって、波立った感情は、そうそうすぐにおさまりはしない。

「んだよ。間違ったことは言ってねえし」

 少なくとも、ギイ達のように相手を誹謗するようなことは言っていないはずだ。

「言い方ってものがあるでしょ? 女の子には優しくしなきゃ」

「そりゃ、おまえん家の家訓だろ。俺には関係ねえ」

 ぷい、とそっぽを向くと、傍らで聞こえよがしに溜息を吐かれる。溜息吐きたいのはこっちの方だっつーの。

「おまえこそ、毎回毎回、よくやるよ。大体、あれが人に礼を言う態度かよ」

「それは、ロンが睨むからでしょうに」

 と、呆れたように肩を竦めてハルは言う。

「そもそも、ロンさあ。何であの子に、そんなきつい態度とるわけ?」

「そりゃ、向こうが礼儀知らずだからだろって」

 即答すると、ハルは小さく目を見開き、それからふう、と息を吐いた。

「あの子の立場考えたら、仕方ないんじゃない? ギイみたいな連中から四六時中絡まれてたら、警戒心だって強くなると思わない?」

「そんなの、あいつ自身のまいた種じゃねえか」


 あの少女が他の訓練生から疎まれるのは、彼女が「異物」だからだ。

 その出自は本人のせいじゃないかもしれないが、ハンデを抱えて幹部候補生に名乗りを上げた以上、こうなることは覚悟の上だったはずだ。

 俺達のように全員がライバルなんて集団じゃ、ハンデのある奴、弱い奴から消えていくのは必然だ。それが嫌なら、強くなるしかない。誰にも文句を言わせないだけの実力を手にする以外に、絡んでくる連中を黙らせる手などない。なのに、あの少女は――あいつは、ギイたちを振り払う力もない癖に、他人に対する警戒心だけは極端に強い。そんな中途半端な態度が気に触る。


 そう言うと、ハルの顔に、でかでかと「呆れてます」という文字が浮かんだ。

「ロン、あの子のこと、全然知らないでしょ。なのに、そんな風に頭ごなしに否定するのって良くないよ?」

「そう言うお前は、じゃあ、あいつのこと知ってんのかよ」

「そりゃま、ロンよりは?」

 と、呆れ顔のまま、ハルは腰に手を当てた。

「一応はパートナーだからね」

 事も無げに即答され、さすがに反論できずに黙り込むと、ハルが腰に手を当てて溜息を吐いた。

「あの子、いい子だよ。素質もあるし」

「……んなこた、どうでもいい」

 ここからどんどん実戦の比重が重くなる中で、並よりも小柄な少女が男達を蹴落とせるはずもない。俺の目的は公安長になることで、オトモダチと仲良くする事じゃない。競争相手にもならない相手になんて、興味を持つだけ無駄というものだ。

 話はそれだけだとばかりに踵を返した俺の背中を、ハルの溜息が追ってきた。

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