1:
9年前――
「――ふぅん」
手にした紙に目を落とし、俺は小さく呟いた。
そこには、一言『ダリル・ホーキンス』という名が書かれている。ついさっき、教官から手渡されたそれは、新年度――幹部候補生になって3年目から始まる実戦演習での、パートナーの名だ。
――ま、妥当なトコか
あまり話したことのない相手だが、俺よりも3~4歳年上の、物静かだがそれなりにバランスの取れた実力の持ち主だったはずだ。この先、パートナーとは一蓮托生。性格が合わない奴や実力差のある相手と組めば、おのずと足を引っ張られて、自分も落第の憂き目に遭いかねない。そういった意味では、ダリルは性格的にも実力的にも、割と安心できる相手だ。
「へえ、ロンの相手はダリルかぁ」
「……勝手に見んなよ」
背後から覗き込んできたハルの声に、俺は憮然と奴を睨め上げた。
ハリー・オコーネル。通称、ハル。俺とは同郷の幼馴染だ。俺と同い年の、当年とって14歳。
「いいんじゃない? あの人結構穏やかだし、ロンとは合いそうだよね」
「余計な世話だっつーの。んで? そういうお前は誰だったんだ?」
訊ねると、ハルはほんの僅かに間を置いて、それから何とも意味ありげな微笑を浮かべた。
「――知りたい?」
「もったいぶってんじゃねえよ」
と、奴の手にした紙を覗き込み――思わず、俺は頓狂な声をあげた。
「……中山ぁー? マジか!?」
意外に大きく響いた自分の声に驚くが、時既に遅し。俺の声に反応して、近くにいた数人の候補生がわらわらと寄ってくる。
「何ナニ?」
「うっそ、マジで!?」
電光石火の速さで寄ってきた連中は、ハルの手中の紙片を覗き込むと、口々に感嘆符ともつかない音を発した。
「うーわー、ハルかわいそーに」
「てゆーか、中山ってまだ居残ってんだ」
「おまえクジ運最悪じゃん、ハル」
一見、ハルに同情しているようだが、それが本心からの言葉ではないのは、誰の目を見ても明らかだった。これで厄介な競争相手が消える、という打算が、連中の間に見え隠れする。
中山友香。ハルのパートナーとして教官から割り当てられた候補生の名だ。
2年前、幹部候補に応募した中で最年少、しかも唯一の女。男ばかりの武官候補生の中でも、武力第一といわれる公安部に、若干9歳の少女が名乗りを上げるなんて、無謀を通り越して、もはや何かの冗談だ。
それだけでも、他の候補生から軽んじられるには十分だったが、彼女にはもうひとつ大きなハンデがある。
「パートナーが混血なんて、ぞっとしねえよな」
誰かがぼそりと口にしたその言葉が、まさに彼女の立場をよく表していた。
混血――つまり、光と闇のハーフ。
光の者中心の社会で、闇の血を引いているという事実は、それだけでも蔑視の対象になるには十分だ。
しかも彼女のハンデはそれだけに留まらない。
「あいつの兄貴って、いきなりいなくなったんだろ?」
「そうそう。闇のスパイだったんじゃないかって、うちのオヤジが言ってたぜ」
数年前、一人の訓練生が姿を消した。
その訓練生は、闇の血を引いた「混血」でありながら、将来を有望視されるほどの逸材だったという。だが彼はある日を境に突然失踪し、疑惑と憶測だけが後に残された。
――中山は、その訓練生の妹だった。
ただでさえ、異分子ってのは排斥されやすい。なのに年齢はともかく、性別に血統、兄の失踪と、これでもかと言わんばかりのハンデを背負った少女が、周りから攻撃されないはずがない。必然、丸2年が経過した今でも、必要以上に彼女に近づく馬鹿はいない――たとえいても、周囲の圧力に負け、いつしか離れていくのが現実だった。
だが、そんな娘とパートナーを組む羽目に陥ったというのに、当のハルはといえば、普段通りの微笑を崩すこともなく、落ち着いていた。
「そうかな。結構、うまい人選だと思うよ、僕は。ねえ、ロン?」
俺に視線をよこし、にっこりと笑う。少し考え、奴の言わんとする所を理解して、俺は押し黙った。
候補生のほとんどが彼女を避けていると言ったが、俺が思うに、そこには大ざっぱに三種類の反応がある。
一つ、混血に対する偏見と差別意識の強い奴。
二つ、中山自体に関心のない奴。
三つ、周囲の圧力をはねのける力を持っていない奴。
表立って中山を攻撃しているのは、言うまでもなく第一のタイプの連中だ。三つめのタイプの奴らはそれに追随するか、遠巻きにして見ないふりをするかに分かれる。
俺はといえば、二つめのタイプだ。俺にとって、中山友香というのは毒にも薬にもならない存在だ。今後、自分が公安長候補として生き残っていくために、積極的にかかわる必要があるとも思えない。座学の成績は悪くない――確かこの間も、上位に名を連ねていたはずだ――が、それだけではいずれ落第すること必至だ。そんな相手に時間を割くなんて、無駄の極致じゃないか。
だが、そんな訓練生の中で、ハルは比較的異質だった。
率先して彼女と関わるほどではなかったが、級友として適切な距離を保ちつつ、さりげなく中山のフォローをしたりする。
それが可能なのは、ひとえにハルの特性によるものだ。奴の実家は女系家族――代々女性が家督を継ぐ家柄で、ハル自身も幼いころから徹底的にフェミニストとして育てられた。人当たりは男女問わず柔らかで、嫌味を言われてもさらりとかわすので、他人と波風立てることもない。ついでに、訓練生としての成績も良い。だから、ハルが中山に親切にしていても、誰も文句を言えないというわけだ。
「うまい人選」という奴の言は、候補生たちのそんな微妙なパワーバランスを見抜いた教官たちに対する評価だ。中山の相手として、他の誰でもなくハルを選んだことで、教官たちが俺たちを思った以上に観察していたことがわかる。だが他の連中は、その点には気付いていないようだった。
「……確かに」
「でしょ?」
小さくうなった俺に、ハルがニコニコと頷いた。
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