第9話 とあるエンジニアの夢

 西暦2024年、季節は夏。イタリアのとあるITエンジニアが発表した論文が話題になった。

 しかし残念ながら、それは否定だらけの不名誉な話題になって世界中に知れ渡った。


『ウィルスの遺伝子情報を組み込んだ人工知性の可能性と開発』


 SNSの心ない呟き。

 #神気取りのエンジニア

 #狂った技術者


 ありとあらゆるハッシュタグが、出来ては消えを繰り返した。


 『AIはこのまま進化を続ける事が正しい』

 『知能ではなく知性など神への冒涜』

 『ごの時世にウイルスを正当化する様な不謹慎極まりない発言』


 といった、まさに言葉の暴力が巻き起こった。


 しかし彼にとってこんな反応は、予想の範疇であった。

 人間の役に立てばいい人工知能。その便利さの殻を破ろうと思わない。

 いや、実は思っていても、論じる事を恐れる科学者達。


 電子の力にばかり頼っていたら、やがて喰われるのは人間の方。人間自体が進化しなければならない事が何故判らないのか……。


 しかしどんなに優れたモノであっても、万人に認められなければ成立しないのが世の常である。


 まあ、そもそも誰に頼ろうとも思ってはいない。これだけは、自分にしか出来はしない。


 彼は会社を辞め、一人自宅で論文をプログラミングにする作業を延々と続けた。


 こんな我が道を行く男であるので、こだわりは豊富であった。特に着る物にはうるさかった。


 自宅で一人、人に会うどころかオンラインによる会話すらしないというのに、プログラミングをする時は、必ずスーツとネクタイに着替えるのだ。


 メーカーにはこだわらない。自分が良いと思ったものだけをひたすら着続けた。


 後は日本の自動車メーカーが作った白いオープンカーをこよなく愛した。


 乗る時は雨が降っていても必ず幌※を開けた。愛用のスーツをびしょ濡れにしながら運転するその様は、周りの者にはさぞ滑稽に見えた事であろう。


 ※オープンカーの屋根。ビニール製が多い。


 コーヒーが好きであった。が、決して自分で淹れる事はなく、気に入ったマスターの淹れるコーヒーだけを飲んだ。


 必ずノートパソコンを持ち込んで、カウンターを陣取り、長く居座りマスターを困らせた。


 豆の種類は特にマンデリンを好んだが、コーヒーに精通している訳ではなかった。


 そしてイタリア人なのに、Webラジオ配信で日本人女性の配信を好んでよく聞いた。


 それも比較的低音の声が好きであったらしい。


 特に日本びいきというつもりはなかったが、彼の人生には何故だかよく日本が付いて回った。


 彼が一人でプログラミングをして約4年。正直、考えの半分もまだ形になってはいなかった。


 この夜も机上のノートパソコンの前で、そのまま朝を迎えてしまった。


「ん、んんっ?」


 目覚めた彼は驚いた。寝ている間にプログラミングが進んでいたのだ。しかも彼の描いた設計通りに組まれていたのだ。


 途中から知らないうちに組まれた所には、コメント文でこう締めくくられていた。日本語であった。


 /* 白い狼の先生を慕う学生。ところでパスワードが雑過ぎですよ */

 /* これじゃまるでオープンソースだ。先生ってメンヘラですか?*/


 オープンソースというのは、プログラムの中身をインターネット上などで公開し、不特定多数の人達に修正を求めてアップデートしていく手法である。


 しかし彼のプログラムは、サーバに載せてこそいるものの、サーバにもプログラムにもパスワードをかけているので、これはオープンソースとは言わない。


 の、割にはネット上のサーバに載せて、しかも彼の事を少し調べればわかる簡単なパスワードしかかけていなかったのだ。


 この学生にしてみれば、パスワードを掛けている割には、”私を、私の作る物を見て!”と訴えている様に思えたらしい。


 彼はパスワードが破られた事よりも、自分の論法を理解する者が向こうからやってきた事に驚き、そして微笑んだ。


 ◇


 これはローダが意識の中で見た出来事である。これは夢なのか? しかし夢にしては、現実味があり過ぎる。


 そして意識の中の男性は、あの老人に似ている気がした。が、若すぎるとも思った。30歳位の中年の男性に見えた。


 当然の事ながら、2024年のイタリアの街並み、ノートパソコン、プログラム、白いオープンカー、喫茶店、ラジオの声。


 その全てがローダにとって知らない事なのに、知っている様な気がした。


 ◇


(おぃ! 聞こえるか、第2の男ドゥーウェン、貴様、寝ているのか!)


 サイガンは頭の中の回線を開き、呼びかけていた。


「あ、先生。お久しぶりです。少しばかり居眠りをしており…」


 頭の中に響く声にドゥーウェンが机の上で目を覚ます。慌てて眼鏡をかけなおした。


(挨拶不要! 今、例の『扉』の男と対峙しておる)

「おおっ! ついに! おめでとうございます」


 まだ残留していたドゥーウェンの眠気が一気に吹き飛ぶ。


(それが、あまりめでたいとは言えんのだ。こやつ、私を見て暴走しておる。なんとか一時的に食い止めてはいるが、私一人ですらこれは手に余る。良いか、今から彼の情報をそちらへ送る)


 サイガンは左手の指を激しく動かし続ける。


「なんと!? 私も見る事が出来るのですね! これは人生最良の一日になりそうだ」


 両の頬を叩き喝を入れたドゥーウェンは、「これでは足りない」とノートパソコンにモニターを2台繋いだ。


(バカ者、遊びではない! 貴様は彼の情報と私が構築しようとしているプロテクトを継いで完成させるのだ)


「了解しました。5分でやってみせます」


 2台のモニターには、先生が送ってくる情報が激流の様に流れ始める。


 器用にドゥーウェンはそれらをチラチラ見ながら、自分の愛機であるノートパソコンには、プログラムソースを映し、キーボードを激しく叩く。


(5分も持たぬ、3分だ。3分でやれ!)


 サイガン先生は、この生徒に容赦しなかった。


「そんなジャンクフードじゃあるまいし、無茶ですよ。まるで、どこぞのシステム系企業のゴリ押しな提案だ」


 無茶な注文に文句を言いながら、手を止める事はないのは流石と言える。


(そのゴリ押しをやってのけるのが、貴様ら開発者プログラマーの仕事であろうが)


「そんな無茶苦茶な提案を我々に押し付けるから、障害が起こるのではないですか。貴方も煮え湯を何度も飲まされたはずだ」


(黙れ! 口よりも手を動かせ!)

「勿論やっていますよ、嗚呼、もうっ!」


 ドゥーウェンは左手で頭をひっかいた。困った時のこの男の癖である。


「………えっ?」


 突然ドゥーウェンの指の動きが鈍くなる。2台のモニターをじっくりと観察し始めた。

 そしてその細い両目を目一杯に広げて固まってしまった。


(どうした? まもなく3分だぞ? 何かあったのか?)


 ドゥーウェンが急におとなしくなったので、彼らしくもなく不安にかられる。


「先生……これ、とんでもない事になっていますよ。プロテクト? とんでもないっ! 先生にはこれからその全く逆をコミットして頂きます」


 ドゥーウェンはそう言って自らを再起動リブートする。そして先生の指示を無視した行動に突っ走ってしまう。

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