第10話 ヴェディーノ・エ・ソグニ

(な、なんだと!? 貴様、何を言っているのか判っているのか!?)


 サイガンが珍しく動揺している。心の声だが顔にも表れてしまっていた。


「全く………判っていないのは先生ですよ。言いたくはありませんが、老いましたね」


 生徒は先生にニヤつきながら指摘を入れる。生徒にとってこんな痛快な事はない。


(『ウーノ・ディフェザ一番目の封印』を今この場で外すというのか!? この私が!? 無理だ、わからんのか? 彼はまだそこまで成熟してはおらん。自我が押しつぶされてしまうぞ)


「『ウーノ・ディフェザ』ではありませんよ先生、まだ判らないのですか。そんなものはもうありません。これから外すのは『デュエ・ディフェザ二番目の封印』です」


 生徒はもうニヤニヤが治まらず、その顔のままで作業を続行する。


(な……もう一番目の封印は解けていると言うのか……はっ! も、もしや!?)


 サイガンがようやくドゥーウェンの言っている事を理解する。


「はい、私もまさか既にここまで進んでいようとは、彼の成長は我々の想像を超えていました。これより彼にハッキングを仕掛けます。おおっ! 胸が高鳴る! これはたまらない!」


 興奮治まらないドゥーウェンは、「最早椅子に座ってなどいられないっ!」と立ち上がり、食い気味にキーボードを叩き始めた。


(念のために聞くが、勝算はあるのだな? 彼が負ける様な事はないのだな?)


 サイガンは如何にもプログラマの上に立つチーフエンジニアの様な確認を言い出す。


 所詮人間のやる事だ。100%完璧などという事は決して有り得ないのだが、上に立つ者は大体こういう聞き方をして、安心を得ようとするものだ。


「愚問ですよ先生。ローダ君が『ウーノ・ディフェザ』を自力で解錠したのは、きっかけですよ。大変失礼ですが先生のそれとは、比較対象になりません」


 勿論100%ではない、しかし確信が持てる程の高確率である事は、既に立証済であるとドゥーウェンは報告した。


(判った、ではプロテクトの解除補助を宜しく頼む。私はこやつを抑える事に専念しよう。さあ青年よ、我と真に語ろうぞ)


 サイガンはローダの頭を押さえていた右手に左手も添えて両目をつぶる。


 ◇


 ローダの意識の中の風景は、さらに昔へとさかのぼる。小学生である彼は、父親のパソコンを留守の間、勝手に起動してゲームを作る事にきょうじていた。


 彼の隣にはいつもクラスメイトの女の子がいた。


 彼女の名は『アヤメ』日本の花、菖蒲あやめが元であり、菖蒲の花言葉は希望を意味している。


 アヤメはこの少年が作るゲームが楽しいというより、少年があまりにも楽しそうに、そして自慢気にパソコンの事や自分の作ったゲームを語るのを見ているのが楽しかった。


 学校にいる時の少年は、運動も勉強も苦手で、他のクラスメイトからよく馬鹿にされ、時には暴力を振るわれていた。


 アヤメは気が強くて、そんな彼をかばう事がよくあった。


 少年にとってコンピュータの知識だけは、誰にも負けないという自負があり、アヤメは数少ない彼の理解者であり、一番の友人であった。


 アヤメはよく「凄いね」「天才だ」と彼を誉めた。そんな時、少年は大体、「大したことじゃない」と顔を赤くして黙り込む。アヤメはそんな彼が可愛いと思っていた。


 だけど二人の関係は、それ以上進展する事がなかった。


 小学校を卒業すると彼女は、企業の社長である親の事業を継ぐ立派な人間にならなければならないと彼に言い残し、私立の有名中学へと進み、住む場所も離れてしまった。


 少年は中学生になっても相変わらず学校が嫌いで、父親のパソコンだけが唯一の楽しみとなっていた。


 ちなみに当時、インターネットというものは、極々一部の大企業や研究機関だけのものであったため、アヤメとメールを交わす様な事はなく、そして筆不精ふでぶしょうである彼は、手紙を書いたりする様なことも皆無だった。


 中学三年生の時、初めてアヤメからの手紙がポストに届いていた。少し大きめの封筒には、彼女の手紙と1本のカセットテープが同封されていた。


 ◇――――

 サイ、元気に……してますか。

 あいかわらずパソコンばかりしているのかしら


 わたしは…つかれちゃった

 この学校は、みんな1番をとることしかかんがえてないの

 ともだちなんていません


 おとうさんもおかあさんも1番がとれないとがっかりするの

 がんばって1番をとってもそれでよいと、ぜんぜんほめてくれない


 わたしはひどくおなかがいたくなり、学校にいけなくなりました


 わたしはなんのためにがんばったのか。もうよくわからない


 わたしはなにがしたかったのかな。サイはほんとにすごいよ


 みんなにばかにされてもがんばってたよね。本気でほめていたの、うそじゃないよ


 あれ? サイよりわたしのほうが、よっぽどなき虫だったみたい………。


 ないちゃうよ、なきたくないよ、つらいのもうヤダだよ


 ごめんね、サイ、わたし、もうだめ

 これがたぶん、さいごだから


 サイ……だいすきでした、ありがとう

 ◇――――


 手紙の字体はぐちゃぐちゃで、涙でインクがにじんで読めないところもあった。おそらく精神疾患にでもかかっていたのであろう。


 文面から聡明そうめいだった彼女の面影おもかげは消え失せていた。


 カセットテープには、少年が大好きだった歌を彼女が歌ったものが録音されていた。しかし途中、嗚咽おえつを漏らしていて、まともに歌えていなかった。


 少年は必死に自転車をこいで、差出人の住所へ向かった。家はあった。しかしアヤメはもう、額縁がくぶちの写真の中にしかいなかった。


「アヤメ! お前は希望じゃなかったのかっ! アヤメッ! アヤメェェェェエエ!」


 ローダの意識の中の少年は、大粒の涙を流しその場に崩れた。

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