第3話 黒い蜘蛛と屈辱の涙

暗黒神ヴァイロの名において命ずる。拘束コンテジオーネする者よ。その汝の力、此処に示せ『蜘蛛之糸ラグナテーラ』」


 ヴァロウズ8番目の男オットーは、しゃがれた声でその詠唱を完遂かんすいする。

 ルシアの右拳は、オットーをとらえる寸前の所で動かなくなってしまった。


「……な、何、これ」


 ルシアはオットーに飛びかかっている最中に、蜘蛛くもの巣にでもとらえられたが如く、空中で制止してしまう。

 手足どころか喋る事さえ不自由な気がする。


 御神木ごしんぼくの下の方にいるローダとガロウも、同様で必死に藻掻もがいているが、どうにもならない。


「ル、ルシア……」


 必死に足掻あがこうと懸命けんめいに努力するローダ。やはり声さえ彼女に届きそうにない。


「……ククククッ、いいザマだなあ。いや、これは実に美しい見せ物だなあ、おぃ」


 ルシアのしなやかかつ美しい金髪で手遊びをするオットー。加えて彼女の全身をめる様にじっとながめて満足気まんぞくげに笑う。


「ホレ、どうした? 俺は目の前だぞ?」


 嫌らし気なその顔を、ルシアに突き出してさらに勝ち誇る。


「くっ…………」


 発声どころか、息さえも苦しい気がしてきたルシア。悔しさと苦痛をり交ぜた表情が実に痛々しい。


「どうだ、これが俺様が暗黒神より授かった蜘蛛之糸ラグナテーラだ。引っ掛かったなあ~。俺様が陣を描いている最中だと思ったんだろ? 浅はかな連中だァ。貴様らが来る前に、魔法陣まほうじんは描いておいたのよ、馬鹿め」


 容赦ようしゃなく小馬鹿にする言葉をたたみかけるオットー。


「ハァハァ……」


 本当に苦しそうなルシア。最早驚きを返す余裕すらもない。


「な、なんだと!?」

「く、クソっ!」


 ガロウとローダは既に相手の術中で、しかもルシアに先陣を切らせた事を心底悔やんだ。


「後はいつお前らに魔法を仕掛けるか。ただそれだけの実に簡単な作業だァ。しかもおぉぉ、俺のこの赤い目はなあ、お前らがねずみの様に走り出した時から、既に捉えていたんだぜ」


「……………っ!」


「そしたら女が、飛びかかって来たのが見えたから、此処だなって思った訳よ。どうだ? 悔しいか?」


 ルシアの眼前で仕掛けをアッサリとばらすオットー。余裕を態度で示している。


「そしてこの術にかかったが最後……やがて息どころか心臓すら動かなくなり、筋力を失ったその身体の穴という穴から、汚物おぶつれ流してみにく死骸しがいと化すのだ。ざまあねえなあ、お前ら皆、滅殺めっさつだッ!」


 死刑執行しけいしっこうを言い渡したオットーは、本当に嫌らしい顔でゲラゲラ笑う。


「しかしお前は本当に美しいなあ……俺とは大違いだ」


 ルシアのひたいを触り、そのままほおから首筋へと指をわせる。


「俺はなあ、ただのエルフだった時に、ハイエルフの女に恋をした。お前よりも美しい女だ。だがハイエルフの連中お高くとまったは、お前の様なけがれた存在が、ハイエルフに恋をすることなぞ大罪だ、などと抜かして、俺様を隠れ里から追いやったのだ。その時にこの目を射抜かれたんだ」


 彼は言いながら自分の醜い顔の中でも特に目立つ赤い目を指差す。


「確かに俺はエルフの中でも容姿ようしは悪く、力もなかった。しかし俺は弱いなりにも隠れ里を守る為に人間達と戦った! 頭の火傷やけどはその時のもんだ!」


「…………」


「………こんなになってまで俺はやったんだ! それなのに、それなのに、醜いと言ってこの仕打ちだ。まあ、どいつこいつもそんなもんだ。美しさこそ正義ッ! 醜いは悪ッ! …だがなあ」


 灰色の指をルシアの首筋から肩へ、それをねっとりと往復させて楽しんでいる。


「見ろよ、この醜い俺様の目の前で何も出来ずに好きにされてるこの女。それを指をくわえて見ているしか取り柄のない男共」


 その男共に見下した視線をこれでもかと送り付ける。


「き、貴様! ルシアに手を出すなっ!」


 ローダが渾身こんしんを振り絞って灰色の男に返した。けれど声を出すので精一杯だ。


「ほう、まだそんな口が叩けるのか。んーーーっ? ひょっとしてこの女、お前のか?」


 さらに楽しそうな顔でオットーは、ルシアの首をぐぃとつかみ、ローダの方へと見せつけてやった。


「よおし、決めた、決めたぜぇぇ………」


 嘲笑ちょうしょう嘲笑あざわらいを重ねてゆくオットー。醜い顔にすごみが増してゆく。


(……な、何をする気!?)


 ルシアはいよいよ一言も声が出せない。


「な、なんだ!?」


 オットーのその醜悪しゅうあくな笑いの中に、とても嫌な感じを見つけるローダ。


「……暗黒神ヴァイロよ、この者へ慈悲じひ深き黒い炎を」


 オットーは左掌ひだりてのひらを宙へかざした。そこに小さな黒い炎が生まれる。


「この女が醜く死ぬのは、実に惜しい気分になった。そこでこれよ」


 ダークエルフの顔が黒い炎に照らされ、益々ますますその存在を不気味にする。


「教えてやるっ! これは俺様のとっておきでよ、コイツに当たった者は、肉体は完全に残り、魂だけが燃えきる。何と肉体はくさる事なく永遠に残るんだぜぇっ!」


 そして余った右手を舌舐めづり。舌がう音すら気色が悪い、つばが飛び散る。


「要は俺様の好きに出来るって寸法よ。勿論言うまでもねえが、この炎で燃やすのはこの女だけだあァァ!」


(………こ、こんなヤツに!)


 舌をんで死にたい気分になったルシアだが、最早それすらも叶わない。


「や、やめろッ!」


 必死にもがいて蜘蛛の糸の呪縛じゅばくから逃れようとするローダ。無情にも叶う事なく、それどころか益々締め付けられていくのをどうにも出来ない。


(な、なんて悪趣味な野郎だ)


 ガロウも悔しくて仕方がないのだが、心の中で悪態あくたいをつくのがやっとである。


「お前らには、そのままの死をくれてやる。俺様が蹂躙じゅうりんする様を見ながら死んで、後は黒い雲ヌブラで文字通り狂犬きょうけんと化したコボルト達犬共えさにしてくれるわ」


 やたらと統率の取れたコボルト兵達の正体も、このダークエルフの得意とする暗黒神マーダの術によるものらしい。


 あごける程に笑うオットー。全てが自分の思うがままで実に気持ちが良い。正に我が世……そんな気分をさらに高揚こうようさせる出来事が起こる。


 目の前の美女ルシアが涙を流し始めたのだ。


(……な、泣いている!? 私は死ぬのが怖くて涙を流しているの!?)


 ルシアが自分の心の弱さを恥じる。なれど涙を止める事が出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る