第8話 それぞれの扉(道)

 こうしてマーダとローダ・ロットレン、さらにルイス・ファルムーンと、その仲間等を巻き込んだ抗争こうそうに一応の終止符が打たれた。


 結局、サイガンという男が残したは、計り知れない。アドノス島のみならず、この世界全体に多大な影響を、これからも及ぼしてゆく事だろう。


 それが善と悪、どちらにかたむくのかは、後の世が決める評価だ。


 サイガン・ロットレンだけは、帰らぬ人となってしまったが、このフォルデノ城へ生きた身体で戦いにおもむいた連中は、満身創痍まんしんそういながらも生き長らえた。


 さらにフォルデノ城下町の地下にいる住人達もほぼ無事である。街こそ消えてしまったが、生きてさえいれば、元の活気を取り戻すのに、時間はそうかからないであろう。


義父と…う……さん……」

「あ、貴方ぁぁぁぁ………」


 ようやくホーリィーン・アルベェラータが末期まつごに使いし奇跡の盾スクードは、その効力は失われた。


 戦之女神エディウスの司祭であるリイナの力で、戦いの傷こそえた連中だが、ルシアとローダの心にきざまれた傷は消えやしない。


 ルシアがローダの胸の中に、あふれ出る涙を大いに染み込ませてゆく。二度と目を開く事はない父にささげる涙だ。


 互いにやるせないその想い……けれど失われた命を戻すすべは、真の扉を開いたこの男ローダであっても、どうにも出来はしない。


 ルシアは涙が枯れるまで泣き、ローダの方は、気が済むまで支えようと思った。


 彼女の身体も涙も、とても温かで心地良い。義父サイガンがこの優しさを、自分の胸の内に残してくれた事を、心の底から感謝したい。


「………終わったな」


 ルイスが隣から声をかけてきた。黒い鎧も衣服も脱ぎ捨てていた。長い間、探し求めた兄の姿をようやく取り戻せた。


「………6年、いや7年か」

「一体何の話だい?」


 ボソッと弟だった男ローダつぶやく。


 それに対する兄だった男ルイスの問い掛けが、余りにすっとぼけたものにローダは感じた。思わず見える筈もない、遠い祖国そこくの方を呆けた顔で仰ぐ。


「17歳、アンタを探して旅に出て、今25歳って話だ。2年程前に、黒い鎧をまとっていた兄貴アンタを見つけた時は、別人だと信じたかった」


「嗚呼………成程。そういう話か」


「全く、随分軽く言いやがる。近衛騎士このえきしを全部斬り捨て、国抜けしたと聞いた時も信じたくなかったが、この島で黒い鎧を着たアンタを、敵にしなきゃいけないと知った時には、正直絶望した」


 ローダがせきを切った様に文句を吐き散らす。聴いてる方は、明らかに面倒臭そうな顔をしている。


「あーっ、そのツラ、ムカつくな。面倒くせぇと思ってるだろ? 考えてみろよ。凡人ぼんじんの俺が家を飛び出し、命からがらの苦労をして、ようやく見つけたと思ったら、敵の親玉ボスだったんぞっ!」


 ローダの胸でひたすらに泣きらしていたルシアにも、彼の文句が伝わり始めた。こんなにも口の悪い彼は、正直意外であるが、そこは兄弟の縁なのだろう。


「喋るなっ、お前が扉のマスターで僕を倒しにやって来る!? 僕の方こそ悪い夢でも見てると思いたかったよ。それから苦心して、マーダを説得し……」


 ルイスも段々口が悪くなって、とうとう二人は言い合いになってしまった。


 普段寡黙かもくなローダと、冷静沈着なルイスが、感情き出しで、言い争いをしているのだ。


 ルシアやフォウだけじゃなく、周囲の誰もが、その様子にどう声を掛ければ良いか苦心をいられる。


「あ~っ、もうっ、止めて下さいっ! 良い大人同士が何てみっともないっ!」


 そんな最中、思い切って二人の間へ割って入ったのは、最年少のリイナである。


「お互い打ち解けてる兄弟だし、久し振りで言いたくなる気持ちも判りますよっ! でも皆が貴方達の盛大なに付き合わされて、もう本当ホントにヘトヘトなんですぅっ!」


 リイナの実に的確な指摘に28歳のルイスと、25歳のローダは絶句以外の選択肢が見当たらない。これには周囲の仲間達が一斉に噴き出す。


 ずっと泣いていたルシアですら、これは笑わずにいられなかった。


 ローダは自身の愚かさが引き出したとはいえ、ようやく彼女の笑顔を見る事が出来て、救われた気分になれた。


(いや、ルシアだけじゃない。此処にいる皆の笑顔。加えてこの戦いに於いて黄泉路よみじに旅立った者達の想い)


(そんな皆に救われて、此処に立って幸せを享受きょうじゅ出来ているのだ。皆の笑顔、この光景、いつまでも見ていたい。これからは、俺がこの笑顔を守るんだ)


 ローダも途端に笑い出し、釣られてルイスも笑い出す。互いの笑い声が響き合い、皆がひとつになってゆく。そこにはもうを開く力など必要ない。


 明日にはまた、皆それぞれが持つを閉じて、各々おのおのの生活が、人生が、歩み始めることだろう。


 だけどこの瞬間だけは、地位も、名誉めいよも、性別も、年齢も、何事にもとらわれず、全てにおいて平等でありたい。


 出来る事なら我々だけでなく、世界中の人々に、こんな一瞬を一つでも多く増やせたら、どんなに幸福であろうか。


 これはローダ一人の想いだ。けれども、きっとこの場にいる皆の想いであり、これから誕生する命全てがそうであって欲しいものだ。


 それはとても傲慢ごうまんなものの見方だとは知っている。だけど、それでも自分の目指す道は、これ1本しか存在しない。


 例えどんな能力を得ようとも、愚直ぐちょくな自分には、それ以外の生き方を知りはしないし、知りたいとすら思わない。


なあに? 独りで黄昏たそがれているの?」


 号泣から笑いへ、喜怒哀楽きどあいらくの全てを経たルシアが、今度はローダの背後からその両腕を絡めて包み込む。


 柔らかな肢体したいを密着させつつ、お次は得意のからかいといった処か。


「あっ……いや、大したことじゃない。ただ皆に掛けた色んな苦労を、これからは、俺が返してやらないとなって思った処だ」


「ふ~ん………」


 もうこれしきの挑発では動じないローダが、相変わらずのクソ真面目顔でサラリと応じる。


 これにはちょっと面白く無さげな顔をするルシアである。


「………貴方の言うに、私は入っているのかしら?」


 少し言葉足らずなルシアの質問。でも聞きたいことは理解出来る。ローダがこれから頑張るお返しとやらの活動をするにあたり、私は頭数に入ってますか?


 改めてのそんな確認なのである。ルシアという創られた存在は、恐らくハイエルフ以上に永久な存在になるであろう。


 ローダがこのままを演じるであれば、むしろ自分の方が、そのお返しとやらを出来る時間が当人よりも圧倒的に長くなる。そんな含みも込めている。


「ああ………勿論だ。一番頼りにしている」

「あっ、そっ、なら良かったっ!」


 さらにギュッと夫を抱き締める妻の笑顔は、幸せに満ちあふれていた。


 無論、幸福を心から感じているのはローダとて同じこと。正直これからも過酷な道に彼女を付き合わせることになる。


 だけど、この妻と7ケ月後に誕生するヒビキを除いた人生なんて想像出来る筈がない。


 そんな想いに駆られていたら、フォルデノの南沖から実に賑やかな空砲が幾度となく轟くのが聞こえてきた。


「………あっ! あの黒い船はっ!」

「逃げずに俺達を待っていてくれたのか………全く無茶をする」


 それはまぎれもなく漆黒の軍艦ネロ・カルビノン船員達クルーからの、戦いの終わりを祝う祝砲であった。


 皆が満面の笑みでそれを眺めて大いにはしゃぐ。ローダも「無茶をする……」と言った割に顔をほころばせた。


 身体の向きを変え、喜ぶルシアを両腕で抱えながら、キラキラ輝く美しい海上を共に見つめた。

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