第2話 怪しげな島へ

 ディンがアドノスに渡りたがっている青年の身の上話を聞きたがり、あおりを入れてようやく口を開かせたその続きである。


「俺は兄さんにもう一度会って、国抜けの訳をどうしても聞きたくなった。そこで探すために旅に出る事にしたんだ。父さんには大反対されたけど、どうしても諦めきれなかった………」


「それで、そのお兄さんが、あの島にいると?」


 青年は苦笑している。余程のを通しての旅立ちであったのだろう。ディンの問いに青年はゆっくりと首を横に振る。


「それはまだ何とも言えないな。ただ王国軍に途方とほうもなく強い剣士が現れて、民衆軍を苦しめているという噂話うわさばなしを聞いた。そういう事だ、どうだ、満足したか?」


 言い終わると青年は、再びだんまりを決め込むのである。


 言いかけた言葉を飲み込んだディン。一応その噂話に思い当たるふしがあるのだ。


 船上で唯一の灯りであるランプの炎が頼りなく揺れるさまは、彼の心の中を現しているかのようだ。


 重苦しい空気が船上を支配しているのを感じる。辛い話をさせてしまったと、ディンは自分の行いを後悔した。


 その上、この空気を呼び込んだのは間違いなく自分であるのだが、若過ぎる彼には耐え切れそうにない。


 いっそ思い当たる所を打ち明けようと思い直し、重くなった口を再び開くことにした。


「俺も確かにそんな噂を聞いたことがあるよ。えっと、あれは……半年位前だったかな…」


 記憶が曖昧あいまいなのか、ディンは言葉を探す様な口調で話し始める。


 前述した通り、アドノス島の支配者は圧政が酷く、民衆は過酷な労働を強いられている。


 民衆は支配者に反乱する組織レジスタンスを作り戦乱が続いている。


 そして民衆軍は、数こそ少ないが腕が立つ者が多く、小競り合いでありながらも勝ち戦をすることも多かったという。


 だからディンも、勝ち戦の祝いのうたげで美味い飯にありつける事が度々あったらしい。


 しかし半年程前からその様な宴は、成りを潜めてしまった。

 王政側に付いた、たった一人の傭兵ようへいが信じられない程に強く、民衆軍を圧倒してしまったというのだ。


 以来、民衆軍が勝利の美酒に酔いしれる事は無くなり、敗走を余儀よぎなくされるようになったらしい。


「その傭兵の剣は一振りで、レジスタンスの連中をまとめて切り裂いたり、凍らせたりするって話だ。その剣は青白い光をまとっていて、とてもこの世のものとは思えないものらしい。剣士のくせに魔法が使えるって話らしいぜ」


 ディンが頭を横に振りながら「胡散うさん臭い話だろ?」と締めくくった。


 彼の言う存在は、そもそも大陸の騎士や剣士の常識から、確実に逸脱いつだつしているのである。


 どれだけ腕の立つ剣士と言えど、その様な力は聞いたことがない。


 先ず大陸の人間にとって魔法というものは、空想上の能力なのだ。


 増してやその様な力を魔術師ではなく、剣士が使えるなどというのは、子供の作り話にすら出てこない程、有り得ない事なのである。


 当然この青年の兄がいくら腕の立つ近衛騎士このえきしであったとしても、その様な力が使えるとは到底とうてい考えられる事ではなかった。


 もしディンの話が本当だとしたらこの傭兵は、間違いなく青年の探している兄ではないだろう。青年は深く溜息を吐いた。


 なれどそもそも何の手掛かりのない旅なのだ。可能性があろうがなかろうが、この目で確かめるしかないのだから、行動を変える理由には当たらない。


 危険そうな場所らしいが、あてのない旅に少しは色を付けてくれるかもしれない。


 この無口な青年は、ディンより10歳上でこそあるが、彼もまだ若いのだ。


 恐怖もあるが好奇心で頭の中を満たそうと思い込む事にし、少し横になって波の揺りかごの中で眠った。


 ときはどの位流れた事だろう。月のかたむきは、船を出した頃と真逆の方向を向いていた。


 アドノス島はそれほど離れた島ではない。ディンの手慣れた操舵そうだで目指す場所は近づいていた。航海はここまで極めて順調であった。


 出来るだけ人目を避けられそうな島の岸辺を目指していた。島の輪郭りんかくが次第に大きくなってくる。


 生い茂る森らしきものはとても黒づくめで、ただの森の影であるだけなのに、とても薄気味悪く思えた。


 そんな暗闇しかなかった島の岸辺の中に、青年は何かを見つけた。


「あれは…………何だ?」


「ん? もう島は近いんだ。人目なるべく付かない様に、何もない岸を目指しているけど、無人島じゃないんだから灯りの一つや二つ…」


 青年が目に映ったものを指差しながらディンに問う。「灯りくらい………」と言い掛けてディンも違和感で軽口かるぐちをつぐんだ。


 火の玉……実際に火の玉なぞ見た事はないのだが、他に説明のしようがないものが、島の岸辺付近に見える。そしてそれは2つ3つと次々と増えていく。


 松明たいまつの灯りかと思ったが明らかに違うようだ。


 松明を持つ人影らしきものは見当たらない。宙に浮いて不自然に次々と発火し、しかも大きくなってきているのだ。


 加えてその火球の一つが、急速に此方に向かって飛んできたのだ。


「うわあっ!」


 ディンは悲痛な叫び声を上げた。幸いにも飛んできた火球は、船には届かず彼らの目前で海へと落ち爆発した。


 余波は小舟を大きく揺さぶり転覆てんぷくするのではないかと思えた。


 しかも火球の大きさたるや、二人の想像を遥かに超えるものだ。


 もし船に当たっていたら粉微塵こなみじんになっていたのではないかと容易よういに想像出来る。


 そして第二、第三の巨大な火球が岸で生まれ、今にも飛んできそうなのである。


「は、早く船を岸から遠ざけるんだっ!」

「お、お前はどうするんだよ!?」


 何とか冷静な判断を保ちつつ、青年は声量こそ抑えたが、力強い発声で若い船頭に告げた。


 恐怖の余り、叫び声に涙が混じってしまうディン。


「此処まで来たんだ、俺は飛び込んで岸を目指すっ! お前は今すぐに引き返すんだ、いいなっ!」


 ディンの両肩をガシリをつかんで揺らす青年。まるで勇気を分け与えるかの様に。つい先程までの愛想ない態度は、どこ吹く風と言った感じだ。


「そ、そんなぁ、無茶だよおぉ、ローダ……」


 両目に涙がにじんで今にも吹き出しそうなディン。


「そうだディン、俺の名はローダだ。もしお前の所にルイスを名乗る馬鹿野郎が来たら、お前の弟は海を渡ったとそう告げるんだ。いいな? 絶対にこんな所で死ぬな、お前は生きて兄弟の待つ街へ必ず帰るんだぞ。じゃあなっ! ありがとう!」


 ディンに別れと感謝の言葉を伝えて、ローダは真っ黒な海の中に飛び込んでいった。

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