14.ジョルシュのアホの部屋なのだ

 廊下に出てみますと、嘔吐物に破壊された椅子が散らばっており最初の綺麗な廊下が恋しくなってきます。


「針口が口から出産した子が廊下にいます、元気なゲロですよ」

「針口ぃ、見えないのだ」


 蝦蛄エビ菜が嘔吐物をぶっ壊された椅子の破片に塗ってそれを近づけてきます。


 当然、針口裕精は彼女には近づけさせませんし、見せもしません。手で目を伏せています。


「全体的にかわいくなってますね」

「地獄絵図なのだ」


 蝦蛄エビ菜の言っていることは大体適当なので、この光景の有様も適当に言っています。


 そして薫田あるじはマトモなので彼女の発言に対して心底気持ち悪がっています。


「次が最後の部屋だね」

「この部屋で脱出出来るといい、またお前はドアノブを…」


 最後の部屋の前に着きました。常識人二人はもう疲労困憊といった感じで、立っていると足の血流が滞っているようにダルくなってきました。


 また針口裕精はヴェニアミンの後ろにおり、彼の前から何かガダゴタと音がします。


 ドアからするので、針口裕精はまた彼がドアノブをガダゴタしているのだと思いました。


「していないよ、この振動はエビ菜ちゃんが頭を打ち付けているんだよ」


 体格で分かりませんでしたが、今は彼が横に避けているのではっきりと蝦蛄エビ菜がドアに頭を打ち付けています。


 その速さは人力を超えており、高橋のような名人のような巧妙さを感じ取れます。


「なななななな何しているんだ…!?」

「人は追い詰められるとこうなるのだ」


 ニートは心底理解出来ない行動に血が引いており、高校生は慣れきった目で冷たく彼女を見ていました。


「一服出来ないのがストレスで」

「ニコチン中毒か」


 彼女はタバコのジェスチャーを繰り返しますが、誰もライターをつけてはくれません。


「お酒ガブ飲みした後にパチンコ行きます」

「アルコール中毒にパチンカス、救いようがなさすぎるだろ」


 その時の彼女の目は血走っており、もう我慢の限界なのでしょう。謎に笑ったり真顔になったりと…彼女は本当に頭がおかしいのです。


「入るのだ」


 そんな社会人とニートを放って、薫田あるじと金髪コンビはその部屋の中へと入っていきます。


 中には居ると焦げ臭い匂いと形容しがたい匂いがします。部屋は焼け落ちており、綺麗に残っている老人の男の肖像画だけが異質で他は全て焦げて汚くなっています。


 その焼け落ちている壁の外は石壁であり、またもや外には出れませんでした。正直あまりここには居たくないと全員がそう思いました。


「エビ菜のその打ち付けで引火したのだ」

「元々燃えていたんだよ、あんなので引火したらこの世は火だるまだぞ」


 薫田あるじが珍しくボケたので、針口裕精は驚きつつもツッコミました。


「お金ですよ、純金美味しいです」

「何してんだバカ!それで腹壊したらどうすんだよ」


 コインを口の中に入れて遊ばせているのは、蝦蛄エビ菜です。そして、彼女の背中をバシバシと叩いて吐かせているのはニートです。


 しかし、すぐに吐きました。ヨダレでテラテラと光っているコインは焦げており、彼女は口を膨らませて少し残念そうにしています。


「ババアの棺桶の中の物を食べればいいよ」

「不謹慎に拍車をかけるな」


 頭の良い方ならもう察しのついていることでしょうが、彼はカニバリズムを推奨しているのです。


「19ー年、焦げていて見えませんね。焦げていると価値が下がります、要りません」

「なんだコイツ」


 蝦蛄エビ菜は己のヨダレで汚くなったコインを拾いました。そして、その製造年数を確認しましたが焦げていたのでよく分かりませんでした。


 それをプロの野球選手ばりの速度で投げ捨てました。針口裕精は衛生の基準が下がってきたのか、あまり余計な事は言いませんでした。


「それで五郎、見覚えはないのだ」

「決めつけるなよ。そこで諦めたら五郎が可哀想だろ」


 また同じやり取りをするのに飽きたのでしょうか、薫田あるじは冷めた声色で言いました。それに驚いた彼は、改めて五郎に聞いてみました。


「ない、まったく」

「ほらー」

「ぐうぅ…」


 五郎もまた冷めた声色で返しました。それにも彼女は冷めた声色で返したので、優しい彼は何だか悔しい気持ちになってきました。


「日記見つけた」

「ニアミンさん、それ燃やした?」

「君はこの日記のようにただれたいんだね」


 ヴェニアミンが持っている日記は隅々まで焦げており、本の形状を保っているのが奇跡な程です。


 それを見て針口裕精は彼が燃やしたと思ったのですが、この短時間で燃やせる訳も着火剤も持っている訳ないので軽く言ったつもりでした。


 しかし、彼の逆鱗に触れました。表情は全く変わっていませんが、目が本気です。


「俺の扱い酷くないか」

「みんな疲れてきているのだ」


 全体的に疲労が溜まってきたのでしょう、全員、最初に会った時より生気がなくなってきています。


 そしてヴェニアミンが急に日記の内容を読み上げたので、全員驚きました。以下に日記の内容もとい彼が読み取れた内容を記します。


 跡継ぎが生まれない、私だってそう長くは生きられない。私の苛立ちだって妻にも伝わっているだろう。妻の苛立ちもまた、私に伝わっている。


 この苛立ちを解消するためには女を…ここで終わっており、彼は数十ページ程めくりました。


 クソ、道端にいる酒浸りの野郎の冗談を聞いている方がマシだ。何故そことそこなんだ。血は繋が…をつかなければ。


 最後のページを彼はめくりました。


 こうなるのであればやらなければよかった。


 ヴェニアミンはある一種の同情をこの日記の主に向けました、彼の境遇を思い出したからです。


「…の所までしか読めない、焦げている」

「ひとまず家系図を見てみましょうか」

「い、いつの間に見つけてきたんだ…」


 何故か何もしていないであろう蝦蛄エビ菜の手には、古い家系図が握られておりました。

 まるでマジックのようで、針口裕精は少し疲れながらも驚きました。


「ジョルシュと本妻との間の子供は三人で長女、次女、長男。そして養子の次男が一人で、その養子が長女と結婚しているのだ。長男は別の娘と結婚しているみたいなのだ」

「その養子とその長女の間に出来た子供が五郎なのかも」

「えーわちきは長男夫婦だと思うのだ、なんとなく」


 家系図を床に広げて、全員座ってそれを見ています。薫田あるじは自分の家族ほどではないにしろ、少し人数が多いなと感じました。


 そしてヴェニアミンは五郎が黒幕であるという考えが頭の中でいっぱいいっぱいになります。


「待て待て、思えばこの絵画一族の家系図はもう何十年も前の図のはずだろ。それだと五郎の年齢が俺達より随分年上になるはずだ。なのに何故五郎は幼いんだ…?」


 針口裕精がこの家系図の古さと、もし五郎が本当にどちらかの夫婦の元で生まれたのなら相当な歳を取っているはずです。


 しかし彼女の見た目はどこからどう見ても、幼く小さな女の子で、表情はつまらなさそうにしています。


「もうこれ五郎人間じゃないですよね」

「黒幕確定濃厚スパシーバ」

「まだそうと決まって…唐突に自我を崩壊させないでくれよ」


 狂人2人があらぬ目で五郎を見ています。その目は険しく、瞳孔が開いており、ヴェニアミンの方に至っては得体の知れない笑みを浮かべています。


「五郎のおばあちゃんなのだ、そう考えるのが普通なのだ」

「それが自然だよな…」


 ふすーと気の抜けた事を言うのは薫田あるじです。彼女は正直、五郎がもし狂人2人の方の考えの方に転がっても有り得なくはないなと思っています。


 そんな事は露知らずに、針口裕精は現実逃避をしています。


「まだ現段階では分からないことばかりですね、それよりこの養子とその長女が近親で結婚している事が問題です」

「近親で交配すると血が濃くなるね」


 狂人2人が至極まともな事を言うので、常識人2人は驚いてしまいました。


 兄妹や親子で交配した場合の子供の遺伝的疾患率は高くなります。


 例えば両親のどちらともが心臓病になりやすい遺伝子を持っていれば、遺伝した子供は両親よりも更に心臓病になりやすいリスクを負うのです。


 それが連続して子供から孫へと続くのなら更に遺伝的な障害が出やすくなります。


 だから本能として兄弟や親には性的興奮はしませんし、そもそもの話ですが、そんな家族間での不埒な事は考えたくありませんよね。


「跡継ぎが産まれなくて他の女に浮気、そしてその女にも子供出来ちゃって、二人共産まれたのが男の子。責任取ろうとして養子に迎えると何故か姉と結婚、反対出来なかった理由とはなんでしょうか」

「ひえっ、いきなり真面目になるな」


 彼は蝦蛄エビ菜が真面目に考察しているを見て、ゾッとしました。普通にしていれば好感が持てる人なのにと思いました。


「血が繋がっているって秘密しないと浮気がバレるよ」

「あ、なるほど。血が繋がっていないと思っているし、多分恋愛婚だからセーフだとこの養子夫婦は思っていたんだな」


 というか、針口裕精は恋愛に関してはディスティニー映画のようなロマンチックな物しか知らないので結婚=全ての恋愛の終着点だと思っています。


「考えれば考えるほどジョルシュがクズに思えてくるのだ」

「クズがジョルジュになっていると考えられますね」

「反対な」


 女性陣がジョルシュを罵倒した所で、全員絵画の方へと行きました。


 絵画は渋い老人の肖像画で良いスーツを着ている事から、中々のお金持ちであることが分かるでしょう。


 厳格な顔つきで、傍観者から見て右方向を向いています。後ろには紅と橙の色に染まっており、その色味は神々しくとも禍々しく異彩を放っています。


「絵画の方のジョルシュは渋い感じの男なのだ、後ろの紅葉が綺麗なのだ」

「それ紅葉じゃなくて燃えてませんか?」


 薫田あるじはその絵画に描かれている肖像が保護者に似ていると思いました。ほんの少しだけ、彼女は家族に会いたいなと感じてしまいました。


 そして蝦蛄エビ菜は背景の禍々しい色味が紅葉ではなく、炎だと分かりました。


「こういうのはな、近づかないと気づかない暗号みたいなのがあるんだっ!?うわぁ?!へっ?!え!?」


 落ちました。針口裕精は絵画にあと少しで触れそうになった所で、砂埃が舞い、床が抜けて彼は見えなくなりました。


 呆気ない声で驚いた彼を嘲笑うのは狂人2人でした。表情は全く変わらないのに、笑い声だけは聞こえます。


「なぜ失笑するんだい?彼の落ち方カクパシチは完璧だよ」

「この穴に落ちるね、と君が言ったから7月36日はドアホ記念日」


 トンチの効いた冗談に穴からひょっこりと彼のツッコミが聞こえてきます。


「痛っ…!って、なんか書いてあるぞ?」


 絵画の側面には「夫婦はそればかり、それで気が狂った」と彫られていました。


 それがどういう意図で彫られたのかは分かりませんが針口裕精はとりあえず全員にそれを伝えました。


 伝えると、ヴェニアミンだけが少しだけ、ほんの少しだけ顔を強ばりました。


「言ってねぇし!日付け頭おかしいし名作名言を汚すな!」


 彼は立ち上がって、お尻についた埃を払っています。


「お尻痛くないのだ?」

「だいじょうぶ?」


 女子高生と見た目は幼女の2人に優しい言葉をかけられて、彼は泣きそうになりました。


「あるじたんと五郎は天使、好きだ。いや大好きなんだ、俺は嘘をつかない」


 さっきまで嘲笑っていた2人はピタッと笑うのを止めました。そして蝦蛄エビ菜は軽蔑した目で彼を睨みました。


「さっさと絵画の考察してくださいぺドめ」

「いや落ちた所に女物の服が二着あるぞ、ほら。落ちて終わりじゃないぞ」


 針口裕精は自分の落ちたところから上がると、焼け焦げているレディースの服が二着ありました。そこからは酷い匂いがします。


 灰になったような、なんとも形容しがたい匂いがします。様々な物が燃え尽くされた後の匂いもして、あまり嗅いでいていい気分ではありません。


「懐かしい匂いだ」

「あ、先生もですか?」


 狂人2人はその匂いが昔によく嗅いだ匂いに似ていて、すこし懐かしくなりました。


「コイツら普段洗濯しないのか?」


 彼は今後この2人を触らないようにと心に決めました。異臭を放つ衣服など絶対に汚いからです。


「剣はあるから男か」

「見れば分かりますよね」


 絵画の右端には綺麗な剣が描かれており、後ろの燃えている炎の光で、ギラギラと剣が反射しています。


 そして、適当な事を言った針口裕精を蝦蛄エビ菜が後ろからツッコミを入れます。彼女にだけツッコミを入れられたくなかった彼は恥ずかしくなって、口笛を吹いています。


「誤魔化し方が古典的ですね」

「い、いちいち突っかかるな」


 彼は蝦蛄エビ菜にデコピンしました。幼馴染にからかわれた時によくしていた癖です。


 彼女は「は?」とドスの効いた声でその場から動かなくなりました。


「まぁまぁ、貝があるかもしれないのだ」

「男装ババアは特殊じゃない?」

「なんだがそれ、聞いたことがねよ」


 フォローを入れたのは薫田あるじです。しかしどこにも貝なんてありません。


 そして、ヴェニアミンが彼女の言った通りにこの肖像画がもし男装ババアなら中々の趣味だなぁと思いました。


「この部屋で最後、暗号といて」

「暗号…?あぁ、アレが残っていたのだ。てっきりここから出たらもう外かと思っていたのだ」


 アレ、というのは廊下の奥にある暗号の事です。五郎はこの部屋のドアを指さしています。


 そんな事はすっかり忘れていた薫田あるじはぶーぶーと弱音を吐きながら廊下へと向かいました。


「現実は都合が良くないんですよ」

「全くその通り」

「お前らは誰から目線なんだよ」


 狂人2人も廊下へと向かいました。そして疲れきったリーマンのような事を言った後に針口裕精を置いていきました。

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