二十歳 その2

「他のやつには会った?俺なんかよりもっとすごいのいっぱいいるぜ」

 涼は自分の後ろを親指で指した。

「お前以上の衝撃はないだろ」

「そうかな?例えば——」

 と彼は、視線を人の群がる方へ向ける。


 この大広間は、ビュッフェ形式のパーティー会場となっていた。あらゆるところにあらゆる食べ物が置いてあり、例えば焼きたてのステーキからデザートのケーキまであちこちに配置されており、今は始まったばかりなので、軽めのサンドイッチやサラダのテーブルに人が集まっていた。


 葉月はその中から、これもまた相当懐かしい顔を見つけた。

「あ、あれもしかして」

「よく見つけたな、あの中から」

 なぜ見つかったのかと言うと、やっぱり彼女にはオーラみたいなものがあるから、としか説明のしようがない。


 中学の時点でアイドルだった彼女の、キラキラした雰囲気は健在だった。

「加納真希」

 名前を言っただけだが、その涼の声には何だか意味ありげな響きを感じる。それもそのはず、だって、

「お前の元カノだったね」

「そんなこともあったかな?」

「とぼけるなよ、あれだけ浮かれてただろ」

「そうだったかなあ」


 忘れたはずがない。彼はキャンプの夜、加納真希に告白されてしばらく付き合っていたはずだ。

 その時の涼はもう、彼女一色だった。口を開けば「真希がさ」から始まる文しか出て来なかった。


「もしかすると葉月、知らないか」

 涼は何やら情報を隠し持っているらしかった。葉月はすかさず「何だよ教えろよ」と詰め寄る。

「あいつケッコンしたんだよ」


 最初はその単語の指す意味が分からなかったが、葉月は手繰り寄せるように「結婚」という二字熟語を思い出した。


「はっ結婚?」

「そう」

「あの——『健やかなる時も、病める時も』の、あの結婚?」

 すると涼はゲラゲラ笑い始め、葉月の肩をバンと叩いた。

「そうよ、あのマキがさ」

 と言ったところで、彼は野球部の仲間っぽい人に声をかけられた。


「あー分かった、行くよ!」

 そして満足したように「じゃ、また後で」と言い、涼はその場を離れた。葉月は「おう」と潔く応じ、もう一度加納真希のいる方を凝視する。


 涼は警察官、加納真希は結婚。やはり時は確実に過ぎている。

 葉月は半分感慨深く、半分恐ろしく思いつつ、一人で溜め息をついた。


 話し相手がいなくなったので、なんとなく周りを見てみる。

 人が群がっているのは軽食のテーブル。しかしそこから外れた所にも、美味しそうな食材が並んでいる。

 それから、急に食欲が増してくる。どこかから肉の匂いが漂ってきたのだ。


 元を探す必要はなかった。それは食材の方から歩いてきた。

 目の前を白い服の、レストランのスタッフが通り過ぎた。手のひらに乗っている銀皿は——どうやらステーキのようだ。なかなかのスピードで歩くので、危うくぶつかるところだった。


 まずは何か食べよう。思い出話はその後、ゆっくりやろうじゃないか。

 肉を目の前にした葉月は思考回路を鈍らせ、今運ばれている肉を追いかけることにした。

 部屋の隅の、意外にも目立たない所にステーキはセットされるようだった。一番奥の角だ。


 スタッフはガスコンロ型をした台の上に、その平たい皿を乗せた。それからつまみを回し、絶妙な弱火に調整する。

 火がこれ以上通らない程度の、保温のための台だろう。さすがは高級レストランの雰囲気なだけあって、一個のメニューに対する扱いが丁寧だ。


 スタッフがどこかへ行ってから、葉月はゆっくりステーキに近づいた。もっと目立つように置けばいいのに、その皿はひっそりと部屋の隅にあって、まだ誰も手をつけていない。


 オレが一番乗りだ、とはやる気持ちを抑え、ステーキの目の前で急ブレーキをして立ち止まった。

 横にある皿を手にして、トングで二切れ取った。最高の焼き色をしていた。


 これは結構な量独り占めもあるのでは、と思った瞬間、ボッ、と小さな音がした。


 なんだ今の、と葉月は肉から視線を引き剥がし、音のする方を見る。

 皿の下から聞こえてきた。それがガスコンロの音だと分かるまでに、そう時間はかからない。

 屈んで見てみると、やはり火がついていない。


 ガスが切れたのだろうか。しかし勝手に触るよりは、スタッフに知らせる方が無難だと考えた。


「すいません!」

「すいません!」


 そこで初めて気づく。

 ステーキを隔てたテーブルの向こう側に、人がいたのだ。


 葉月と同時に手を挙げた彼女は葉月を見て、目を丸くする。見てはいけないものを目にしたような顔だ。

 しかし葉月には最初、彼女が誰か分からなかった。


 肩に届くくらいの茶髪と真っ赤な口紅、黒いハイヒール。しっかりした化粧で、人形のような顔立ちだ。

 こんな格好するやついたっけ、などと考えた。数秒後、葉月は自分の間抜けさに気づくことになる。


 もしも神様なるものがいて、私がそれであったなら、二人の再会にこんなにも情緒に欠けた演出は施さなかったはずだ。ガスコンロだなんて、「ロマンティック」からあまりにもかけ離れた存在ではないか。


 そう、葉月が思いもしないタイミングで顔を合わせた彼女こそ、他でもない大西可奈子だったのである。

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