二十歳 その1

 成人したからと言って、何かが劇的に変わるわけではない。


 しかし二人が久し振りに再会する成人式の翌日のことを話すにあたって、それまでの葉月に訪れた小さな変化について触れないわけにはいかないだろう。


 彼には恋人ができた。

 安田奏音やすだかのんという名前の、ふんわりした雰囲気の秋田美人だった。


 バイト先の居酒屋で知り合った同期だ。酒にもある程度強くて、葉月にとってはドンピシャで理想の女性だった。


 他の店員も彼女のことを狙っているのは、目にも明らかだった。しかし奏音自身がはっきりと葉月を選んだのだ。深夜勤務が終わって二人で帰る途中、「付き合ってほしい」と言ったのは彼女の方だった。

 成人式のあった一月は、彼女と付き合い出してから半年が経った時期だった。


 もちろん私は、大西可奈子のことも忘れたわけではない。大学に入ってからの彼女にも、当然大きな変化があった。


 しかしそれについては、もう少し後までお待ちいただきたい。ここで語らなくとも、彼女自身が登場する頃に然るべき機会が訪れるはずだ。その方が話の流れとしては滑らかだし、こちらも二度同じことを語る手間が省けるというわけだ。


 さて、話題を元に戻そう。舞台は成人式の次の日、午後六時から始まった中学校の同窓会である。

 県の中心部を代表する高層ビルの二十五階、レストラン「ベレ・メール」が会場だった。


 今回葉月は、珍しく時間ぴったりに会場に着いた。フォーマルすぎないジャケットと新調した革靴を履き、エレベーターを降りる。

 廊下を少し歩いてドアをくぐると、中学卒業以来一度も会わなかった、懐かしい顔が待っていた。

「お、能勢ちゃーん!」


 例えば、桐野涼。

 中学最後の体育祭、最後の競技の直前に階段で捻挫した愛すべきバカだ。


 彼は葉月が会場に入るやいなや、野生の勘的な直感で葉月を発見し、走って寄ってきた。

 この流れ、何も変わっていない。かつてのあいつがそのまま、時を超えてここにいるようだった。

「おおおー涼!お前そのまんまじゃん」

「そう見えるか?」

 と言葉は疑問形だが、彼はそう言われたのが嬉しそうだった。


「みんなに言われるんだけど、これでも身長は五センチ伸びたんだぜ」

「逆に身長以外何も変わってないだろ」

「体重が十キロ増えたね」

「まじかよ!」


 まだ大広間に入ってから三歩目だったが、話の勢いは止まらなかった。やろうと思えば、桐野涼とだけで何時間でも潰せそうな気さえした。

 それを遮ったのは、くぐもったマイクの音声だった。


 尖った声とハキハキした口調、一瞬で辺りの話し声を消し去る声量。

『はい!皆さん大体集まりましたね!注目!こっちに注目!』


 秋元晴海。彼女も、一ミリも変わらないように見えた。部屋の一番奥の、一段上がったステージに立っている。


『はい!はい良いですか?』

 もう良いだろうと思う程度には静まり返っていたが、彼女はしばらく待ち、それから挨拶と同窓会の説明を始めた。


 きっとこれまでずっと、このペースで生きてきたのだろう。その声が葉月の中学時代のイメージに与えた影響が、いかに大きかったかを思い知る。


 当時は考えもしなかったが、秋元晴海のあのきびきびした語りと葉月の中学の三年間は、記憶の中で密接に結びついていたようだ。

 彼女が喋り出せばそこはもう、あの中学の教室で、体育祭の開会式で、卒業式の体育館だった。

 

 説明が終わりそうなところで、すでに同級生たちは乾杯の準備を整えていた。

 葉月は慌てて飲み物を探すが、桐野涼がいち早く気づき、テーブル上のグラスを渡してくれた。

 それから慣れた手つきでビール瓶の栓を開け、それを葉月のグラスに注いだ。


 それはあの時の「スポーツバカ」だった涼とは、微妙にイメージのずれた行動だった。当時の彼は、「自然な気遣い」や「紳士的振る舞い」からは程遠いキャラクターだったはずだ。


「ありがとう」とグラスを傾けながら、葉月はここで初めて、彼にも自分と同じく時間が流れていたことを実感した。

『——乾杯!』

 突然乾杯のタイミングが訪れた。慌てて涼と乾杯すると、彼はすぐにまた話題を振ってきた。


「で、お前今何やってんの?」

「オレ?オレは大学生よ。仙台の方でさ」

「そんな遠いとこでやってんの?すげえな、理系?」

「ま、まあ、化学系のことを、ね」

「ひゃあー!モテるやつだわこれは」


 次第にこの男のテンションが思い出される。懐かしさもあるが、感覚を取り戻すまでは不思議と一瞬だ。

「で、涼は?今何してるの?」

「俺?俺はこれよ」

 と言い、涼は背筋を伸ばし、右手を額の前にかざした。その姿はまるで——。


「え——敬礼?」

「そ」

「え、警察官、とか?」

 と言うと彼は目を細めて自慢げにうなずいた。

「明日も交番勤務よ」

「ええええ!」


 人は、あまりにも衝撃的を受けると笑ってしまうようだ。葉月は「マジかよ!」としか言えなくなり、しばらく手を叩きながらツボに入った。

「それはすごい!お前すごいな」

「まあそこまで大したことじゃねえよ」

 しかし褒められて悪い気はしないらしく、涼はやはり嬉しそうに後頭部をさすっていた。


 もちろん同級生に就職した人がいても何らおかしくはない。しかしこうも身近な人が既に職を得ていたことを知ると、葉月は自分の周りがいつの間にか「大人の世界」に変わっていたことに気付かされる。


 こいつ、自立して公務員やって、給料もらってるんだ。

 それは不思議な感動だった。心理的距離は遠のきそうなものなのに、なぜか逆に、涼がより身近な存在に感じられた。

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