十六歳 その2
「わ、やっぱ浴衣って良いよな」
突然ハキハキした口調になるあたり、やはり慎二だ。
「お前どういう目で見てんの」
「どういう目でもねえさ、日本文化の美に心打たれてんだよ」
胸に手を当てて彼は言うが、ゆっくりした言い方がわざとらしすぎて信じがたい。
「ガン見してると不審がられるよ」
「チラ見しろっての?」
沙耶香は潔く、慎二との会話を諦める。そう、その辺が潮時だと葉月も思う。
彼女たちが近づいてくると、無意識に葉月は目をそらした。何もそんなことはないのだが、なぜか申し訳ない気がした。
「あれ、能勢ちゃん?」
まさしくその浴衣の女子に話しかけられたのは、全く予想外の展開だった。
「ふえ?」
不意を突かれて変な声が出てしまう。両側にいた沙耶香と慎二の強い視線を感じる。
声をかけてきたのは、三人いるうちの真ん中だった。顔を見れば、すぐに誰か分かった。
「沢木じゃん」
沢木美香。中学の後半、よく可奈子と一緒にいた人だ。
「久しぶり〜!え、全然変わんないね」
彼女は中学卒業の後、可奈子や葉月とは違う高校に進んだ。そのため、葉月が彼女と会うのは本当に卒業以来のことだった。
「沢木も変わんないね」
「でしょう。どおー?似合ってるっしょ」
などと両手を広げられても困る。沢木の両側の友達っぽい人たちは固まっているし、葉月の両側もリアクションを決めかねているようだ。
「うん、結構似合ってるとと思う」
思いついた中で最も無難な答えだった。それでも沢木は満足の笑みを浮かべた。
「ありがとうー!それ、コメントを求められる前に言えたら百点だね」
「やかましいわ」
「そっちは高校の友達?」
「ああ。そっちもだね?」
うん、と沢木は頷く。
この辺りで彼は気づいたのだが、そう言えば葉月と沢木美香は、二人で話したことがほとんどない。
もし彼女と話すことがあったら、その時はいつも、あいつがいたのだ。
「あ、そうだ」
いきなり思い立ったように、沢木は斜め上を見て口をぽかんと開ける。相変わらず日焼けしているので、顔の表面が浅黒く反射していた。
「さっき可奈子ちゃんいたよ」
「ふえ?」
さっきよりやや激しく、変な声が出てしまった。ちょうど考えていた名前が出てきたからだ。慌てて真顔に戻る。
「どこに?」
「えっとーこっちの方。このまま進んだらそのうち会えるかもね」
にっと白い歯を見せる。
「ああそう」
ふん、と頷き、彼女は一瞬じっと葉月の目を見据える。
何だよ見るなよ、と言いたいところだった。しかしその声もどうしてか出てこない。
こちらの心の中までのぞき込もうとするような。気味の悪い目だった。
「んじゃ、またね。」
また沢木は笑顔に戻った。でもさっきのとは違う、意味ありげな「にやり」という顔をしていた。
何が言いたいんだよ、こいつは。
「おう、じゃあ」
心の中で毒づきながら、葉月は口に出したい言葉を飲み込む。
沢木はようやく両側の友達との話を再開しながら、葉月たちの後ろへ歩いて行った。葉月たち三人は取り残されたような形になる。
一瞬の沈黙の後、口を開いたのは慎二だった。
「誰だよ今の〜」
「中学の頃の同級生だよ」
「大西のこと知ってたじゃん」
「まあ、中学の頃はあいつと一番仲良くしてるっぽかったからな」
「ほおーん」
この、考えるのをやめたときのカバみたいな顔に腹が立つのだ。
「良い子そうだったね」
沙耶香は沙耶香であまりに淡々と言うので、発言の意図がよく分からない。
葉月は特に意味もなく後ろを振り返った。あの三人は並んでゆっくり歩いていた。
気配を感じたのかもしれない。沢木もふと、ほんの数秒だけ、顔を半分こちらに向けた。
遠くからだったが、横目で確かに、葉月のことを捉える。
それから表情一つ変えず元の方向に向き直った。
何なんだ。可奈子もそうだが、ああいう女子は何を考えているのやらいちいち分かりづらい。
「こっち行くと大西がいるって言ったね」
慎二がだらんとした腕で、行く先の道を指す。
「そう言ったね」
沙耶香が繰り返す。
葉月は、そろそろ日が傾きオレンジ色になってきたアスファルトを見つめる。
「——どうする?」
思わぬ言葉に、葉月は顔を上げる。
沙耶香だ。なぜか彼女の視線は、いつになく柔らかい気がした。しかしよく見ようとした途端、いつものフラットでぼんやりした目つきに変わる。
「ど、どうするってのは?」
「可奈子ちゃんに、会っちゃうかもだけど」
彼女はそれ以上何も言わない。その視線は流れるように、左下の地面に据えられる。
言われていることはよく分からなかったが、葉月の中で答えは一つだった。
「いや行こうぜ、急がなきゃ座るとこなくなるよ」
「そ」と、沙耶香の返事はとてつもなく短い。自分が質問者だということを、すっかり忘れたかのような口ぶりだった。
「でもさっきは会いたくないようなこと言ってたじゃーん」
と、また慎二はくっついて来ようとする。
そんな時は、正面から膝蹴りを入れる。
「グエッ」
「会いたくないとは言ってないだろ。それにこれだけいるんだから、たまたま出くわすなんてことはまずないから」
「ん〜そういうもんかなあ」
慎二が言い終わる前に、葉月はもう歩き始めていた。
「ほら、早く——」
と途中まで言いかけた時。
視界の右半分が、一瞬にして真っ赤に光った。
「あっ」と葉月は、そちらに目を向ける。
コンマ数秒だけ遅れてくる、鼓膜を破らんばかりの破裂音。視界を埋め尽くしそうな勢いで広がる、きらびやかで巨大な赤とオレンジの同心円。
周りが一斉にざわめく。無数の観客が一つの生き物になって、むくりと起き出したような気配を感じる。
ついに花火が、始まったのだ。
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